書評:『科学技術史』掲載
TITLE:種の起原をもとめて ウォーレスの「マレー諸島」探検
AUTHOR:新妻昭夫
PUBLISHER:朝日新聞社
ISBN:4-02-257067-9
1997年5月
2700円+税
本書の主題となっているAlfred Russel Wallaceは、19世紀を代表するイギリスの博物学者の一人である。生物進化における自然選択説を唱えたことでCharles Darwinとならべられることの多い人物である。1997年に毎日出版文化賞を受賞している。
本書は、動物学者・科学史家である新妻氏による、博物学者Wallaceの個人史研究の著作である。特に、1854年から1862年にわたって行われた、Wallaceにとって2つ目の大きな探検であるマレー諸島探検に的をしぼり、そのあいだのWallaceの調査、研究、執筆活動の経過を描いたものである。Wallaceの伝記であり、探検を著者が追試した探検記であり、またWallaceの研究の再構成でもあるという、多面的な著作と言えるだろう。
Wallaceに関する科学史上の研究は、生物学の個人史研究の中では比較的多い部類に属するようになってきたと思われる。生物の地理的配置についてのマレー諸島での調査と、それをもとにした生物進化の機構に関する理論的な研究、とくに自然選択説へと向かっていく研究の経過が、これまで最も注目されてきたものである。本書もまた、この点に大きな関心を寄せている。これは、Darwinとのあいだにプライオリティに関する微妙な問題があったことにも由来すると考えられる。特に、WallaceとDarwinのあいだの関係に関して大胆な推測を働かせたArnold C. BrackmanのA Delicate Arrangement(1980)(邦訳『ダーウィンに消された男』羽田節子、新妻昭夫訳 朝日新聞社)は、日本でも有名になった。また、心霊主義に深い関心をもち人間の特殊な精神性を認めたこと(Kottler,1974)や、あるいは人間というただ一点のみを除いて自然選択説万能論者であったこと(Helena Cronin, The Ant and the Peacock:Altruism and Sexual Selection from Darwin to Today(『性選択と利他行動:クジャクとアリの進化論』長谷川真理子訳 工作舎)、などもWallaceを取り上げるときの視点として、重要視されてきたものである。さらに、700を超える一次文献のリストも完成する(C.H.Smith ed., Alfred Russel Wallace : Anthology of His Shorter Writings, Oxford U.P.1991)など、Wallace研究はいまや形を整えつつあるということができる。
このように様々な観点からWallace研究が行われてきた中で、本書はどのような特色をもつのだろうか。まず章ごとに順を追って具体的な本書の内容を紹介し、続いてその記述に見られる本書の特徴をいくつか指摘したい。
本書は、最初の2つの章で、Wallaceの最初の大きな探検であったアマゾン探検(第1章)や、生い立ちや少年期の生活およびイギリスで受けた教育、さらに生物学への関心の芽生え(第2章)に触れている。しかし、それはその後の第2の探検の記述に向けての導入という意味あいが強い。基本的には、マレー諸島への探検を中心としたWallaceの伝記的な記述であると言って良いだろう。
第3章では、マレー諸島探検を始めるに至った経過、当時のWallaceの知識や考え方、探検の全体像が述べられ、以後の叙述に対する準備が行われる。探検の時期を4つに分け、重要な論文を指摘し、その後の叙述の見取り図が示される。Wallaceの探検の順路を示した地図の頁には、実際の行程を想像しながら以下を読むために栞を挟んでおくべきである。
第4章ではサラワク法則について述べた最初の論文「新種の導入を調節してきた法則について」の分析がなされる。サラワク法則とは、「あらゆる種は以前に存在していた類縁の近い種と空間的にも時間的にも重なり合って出現した」という法則であり、Wallaceはこの法則を、地理学的、地質学的諸事実から導いている。法則の名前は、論文が書かれたボルネオ島の地名サラワクにちなんだものである。地理的分布が示唆すること、隔離の重要性など、進化理論を構築するために重要な事項が多数この法則と関連づけられていることが注目される。
第5章では種形成に関する当時の対抗的な仮説であったForbesの両極性の学説とWallaceの考え方との対比がなされ、それらの関係が分析される。両極性の学説とは、多くの属の出現という事態が古生代の初期と新生代の末期という、互いにかけ離れた時期に起こっている(ということが化石の証拠から示唆される)ことを、極性という考え方から説明しようとする学説であった。同じ事実をWallaceは、サラワク法則で説明できると考えた。そして、Wallaceの中で「事実」と「観念」の戦いが発生して、前者が勝利をおさめていく過程があったというのが本書の捉え方である。
第6章では、Wallaceの2つ目の論文「鳥類の自然配列の試み」が検討される。絶滅種の位置付けが未確定であったため、Wallaceのアイデアが論理的には行き詰まりを見せているというのが本書の評価である。Wallaceの思考過程の中で、どのようなことが起こったのかについての著者の大胆な推測が見られる。
第7章は、(後にそう呼ばれる)ウォレス線を超えての探検、たとえばロンボク島、アルー諸島での探検について述べられ、3つ目の論文であるアルー諸島の博物学についての論文「永続的な地理変種の理論に関する覚書」が検討される。著者は、Wallaceがこれらの新しい観察によって、Lyellのモデルから離反していく過程を見ている。
第8章は、4つ目の非常に理論的な色彩の濃い論文「アルー諸島の博物学について」が取り上げられ、それが書かれた経緯が問題視される。新妻氏は、Wallaceの人種論との関係でこの論文を解釈する立場をとる。
第9章は、Darwinとの往復書簡が取り上げられる。両者のあいだのプライオリティについての問題の中心の一つであった、Wallaceの手紙の日付についても、新妻氏の解答が与えられている。
第10章では、有名な5つ目の論文「変種がもとの型から限りなく遠ざかる傾向について」が取り上げられ、その内容が分析される。この論文は、Darwinのもとに送られ、それによってDarwinがBig Bookの執筆計画を一時中止し、それまでの研究をまとめた「比較的」簡単な著作『種の起原』を出版することを決意させたものとして有名である。モルッカ諸島のテルナテで書かれたので「テルナテ論文」と呼ばれている。著者の分析は、特にそれ以前の論文との関連を意識したものになっており、特にこの論文だけに注目するのではなく、一連の思索の流れの中にこの論文も位置づけようとしている姿勢が見られる。
第11章では、その後本国帰還までのWallaceが取り上げられる。ここで、6つ目の論文「マレー諸島の動物地理学について」とそこに見られるWallaceの明らかな誤りが注目されている。
以上のようにWallaceが、どのようにして自然選択の理論に一歩一歩近づいて(時には遠ざかって)いったのかということを、マレー諸島探検中に書かれた諸論文、書簡類、それに実際にその場所で見ることができる動植物や地理的特徴、といったものを丁寧に追いながら再構成していったのが、本書であると言える。
また、たくさんあるWallace研究の中において新妻氏の著作は新しい切り口を見つけたということができるだろう。ここでは、そういった切り口のおもしろさをいくつか指摘したい。1つは、貴族色が濃かった学会という領域に、素人である標本採集人がどのようにコミットしていったかという視点がある。当時の学会の雰囲気と、素人を許容する雑誌の存在というものが、Wallaceという市井の研究者に対する正当な評価システムを結果的には用意していたことが語られる。これは、今日の専門家体制に対する問題提起にもなっていると言えよう。
次に、実際に著者が現場を歩いてみた過程が歴史的な研究に生かされていることである。科学史家は、多くの場合、文献を渉猟し、そこに書かれている言葉を丹念にたどって、新たな思想の芽生えを探していくものである。しかし、新妻氏の手法は、そこに止まっていない。Wallaceが実際に旅した場所を訪ねてWallaceが思ったこと、考えたことを追体験している。Wallaceを産み出した国イギリスの歴史家よりも、この点では同じアジアの国の歴史家に地理的な有利さがあるといってしまえばそれまでだが、いずれにしてもインドネシア等での現地調査を十分に生かしきって書いた著作であり、そのことが著者のWallaceへの思い入れとあいまって臨場感ある記述を産み出しているのではないかと考える。
また、マレー諸島からイギリスに帰って以後の幅広い活動、すなわち土地国有化論者、心霊主義者等としての活動にはほとんど触れていない。実際はその後の活動の時間の方がずっと長い。したがって、進化論だけからWallaceを見ず、独自の思想家としてのWallaceに注目するなら、今後はこういった点にもWallace研究者は注目しなければならないだろう。
最後に、本書の付録について付け加えておきたい。これまでDarwinとの関係で議論になってきたいわゆる「サラワク論文」(1つ目の論文)と「テルナテ論文」(5つ目の論文)が、ともに著者によって邦訳されて付録とされている。Wallace研究の重要な一次文献であるだけに、このように簡単に入手できる形で邦訳が供給されたことは非常に意義深いことである。