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研究室の読書遍歴


研究室の読書遍歴

コロナ元年の読書遍歴

 今年度は思い掛けない疫病の蔓延で世界が動揺したが、人間や社会を考えるには絶好の機会でもあった。生きるとは何か、社会とは何か、などという深遠な問題は、このような契機でもないと真剣に向き合うこともなかろう。ところが昨今は「分かり易いニュース解説」や「分かり易い専門家の解説」とともに、厚かましい性格の「コメンテーター」なる視聴者代表が幅を利かせている。手っ取り早く社会で起きている事象を知ることは同時に浅薄な社会観を持つことでもあり、マスコミの魂胆を見抜くことも難しいだろう。諸君には情報ソースの真贋を見極め、自ら考える能力を持って貰いたい。
 そのためには古典の読書が極めて有効だ。ことに日本語の豊かな言語表現は書籍の質感やデザインと相俟って頭の中に複雑な刺激を与える。電子書籍ではこうは行くまい。対面で話をする機会が喪失したのを機に、学生諸君には週に一冊の古典の読書を奨励した。初めは厭々ながらでも一部の諸君には読書癖がついたようだ。下記に昨年4月以来の読後感を掲載する。読書に慣れるにつれて読後感にも変化が見られるのが頼もしい。残念ながら断念した諸君は、是非とも再開して欲しい。読書によって抽象的な思考が可能になり、言動や表情が洗練されるのを自覚することだろう。

2020年度

■野部達夫 江戸の読書会(前田勉)読書の形態には黙読、音読、会読があり、昔は黙読はなかった。荻生徂徠曰く、学問とは自ら疑問を抱き能動的に考えること。松平容保の慟哭(鈴木荘一)容保(かたもり)は幕末期の会津藩主で京都守護職。歴史は勝者側の正史ばかりではない。順逆史観に抹殺された敗者のレゾンデートルを無視しては、次のパラダイムに進むことは出来ない。英傑たちの肖像写真(渋谷雅之他)何故西郷隆盛の写真が残されていないかという疑問に端を発して本書を読んだが、他に坂本龍馬、明治天皇、土方歳三、近藤勇の古写真の謎を知る。湿板鶏卵紙のプリントは今見ても非常に緻密で想像が膨らむ。幕末には既に立体写真があった。江戸はそう遠い昔ではない。読書論(小泉信三)「本の読み方」は誰も教えてくれない。殆どは読書の入り口で掴み所のなさに嫌気がさすが、古今東西の読書人の具体例を挙げながらその奥深さに言及する。まさに「読まずに死ねるか」である。みずうみ(川端康成)夢幻が次々にフェードアウト、フェードインしながら一人の男の内面を濃くもなく淡くもない不思議な筆致で描く。川端と言えば正統派文豪のイメージだが、複雑な生い立ちの陰の部分を書いたのかと思う。あがた森魚の「君のこと好きなんだ」はこのオマージュか。命売ります(三島由紀夫)三島のイメージからは遠い通俗小説だが、この作家ならではの感覚や表現が鏤められている。根底には命とは何かという重い命題が潜んでいるが、筆力が空回りしていて余りいただけない。殉情詩集(佐藤春夫)さまよひくれば秋ぐさの 一つのこりて咲きにけり おもかげ見えてなつかしく 手折ればくるし、花ちりぬ 破天荒にして繊細な佐藤の思いを凝縮した「断章」というこの詩、相応しい情景で愛誦してみたい。朝鮮・琉球航海記(ベイジル・ホール)19世紀初頭の英国船による航海記。太古の昔に縄文人は弥生人に追われて日本の両端に残ったのではないかと小生は推測しているのだが、その原日本人の観察記録のように感じた。当時、琉球は朝貢はしていたが戦争も経験せず武器も貨幣もなく、清貧高潔な人々は争いや盗みも皆無だったとある。そんなユートピアのような描写は他の航海記にも共通している。ペリリュー・沖縄戦記(ユージン・B・スレッジ)史上最悪の戦場と言われるペリリューにおける海兵隊員の手記。人間性を棄てねばならない極限状況において最後に残る感情とは何か。欧州大陸における戦争はルールがあったが、文明の衝突としての戦争にはルールはないという事実。真珠湾攻撃も戦争観の違いを利用されてしまったのかもしれない。双方に甚大な被害が出たこの戦いからは、今でも大いに考えさせられることがある。玉造小町子壮衰書(杤尾武校注)本書は小野小町の生涯とされているが、幸福の絶頂であった前半生と、縁者が死に絶えてから落魄の身となるまでの後半生が対照的に漢詩で書かれている。仏教説話として読むべきだが、当時の金満家の生活ぶりが詳細に描かれていて興味深い。食生活は非常に豊かで、現代から見ても美味そうで意外だ。川路聖謨とプチャーチン(匂坂ゆり)プチャーチンは川路の英明を書き残しているが、互いの信頼は幾多の想定外の出来事が契機となり時間を掛けて構築された。人間は非常時に真価が顕わになる。荘子物語(諸橋轍次)孔子・孟子の着実な思想に対抗する老子・荘子の虚無について物語風に述べている。著者は世事に疎い環境のはずなのに非常に説得力があるのは、古代思想に普遍性があると言うことか。これやこの(サンキュータツオ)米粒写経の学者漫才師が放つ随筆は落語愛に始まり人間愛に行き着く。そこには全てに死の情景が通底している。ベルツの日記(上)(トク・ベルツ編、菅沼竜太郎訳)明治9年にドイツから来日したベルツの日記。当時の世相がありのままに描かれている。今でも違和感のあるニコライ堂が大津事件の遠因になった? 学会は分科会で細分せず専門外の知識の摂取と交際を旨とすべしと主張。養生訓(貝原益軒)江戸時代初期に生まれ84歳の中寿を全うした著者は、儒者でありながら医学、本草学を探求して著した名著だが、読む人は少ないだろう。朱子学を修めながらも老子や荘子の言説にも近く、養生の基本として「畏まる」態度を示している。人間は50代までは未熟な存在で、還暦以降に真価を発揮するという。となれば、現代では定年以降が人生の本番と言うことか。西洋事情(福澤諭吉)当時三十半ばの福澤が欧米を興味津々に視察し考察した記録。工学の専門でもないのに蒸気機関の要諦を理解し、外輪船がスクリュー船に変わった理由も理解している。パリで撮影した丁髷姿は一万円札の肖像を彷彿とさせながらも、現代でも美男子として通用する彫りの深さに理知的な表情を湛えている。幕末のベストセラーとのことだが、今読んでも非常に刺激的な内容で考えさせられるものがある。恐るべし。歴史としての戦後史学(網野善彦)所謂在野側の歴史学者として古田武彦と網野善彦が頭に浮かぶが、彼らの著作を読むと古代から現代に通底する歴史観は相当作為的な物であるような気がしてくる。彼らに共通しているのは自分の頭で考えるという基本姿勢で、如何に日本の歴史学が教条主義であるかを示している。これは西欧文明の根源をギリシャに求める近代思想と同根かもしれない。ということは、歴史は云った者勝ちでしかないという事実が透かして見える。一休・正三・白隠(水上勉)いずれも長寿の禅僧ではあるが異端の印象を我々に与えるのはなぜだろうか。自ら禅寺で小僧をした経験を「雁の寺」で著し、モノクロームの映画を子供の時にふと見たことのある小生にとって、またそう熱心ではない禅寺の檀家の一人である小生にとって、禅の生き方は無性に共鳴するところが多い。以前稽古していた弓道も「立禅」と称していた事を思い出した。幕末維新の古文書(岩下哲典監修)当時の手紙や公文書の写真集。坂本龍馬が勝海舟の門人となった際に姉に送った「エヘンの手紙」には、エヘンエヘンと、その嬉しさと誇らしさが素直に表れている。巻紙に毛筆で認めていた時代、日本語はもっと自由で生き生きしていたことが伺える。大事な要件は、少なくとも万年筆で書こうと思う。博物館で古文書を見るのが楽しくなる本。「反権力」は正義ですか(飯尾浩司)最近ラジオはたまに行く床屋でしか耳にすることがないが、テレビとは違う直截な物言いが多いと感じていたところ、本書に出会った。テレビの害毒を詳らかにし、マスコミのナルシシズムを指摘する。日本が海洋型国家から半島型国家へ移行しつつあることと、それを操る存在を指摘しているが、なかなか鋭い。この本を書いたのは誰だ?(村上征勝)計量文献学と呼ばれる手法で古今の文献の真贋を判定すると言うが、やっている内容は我々が使うクラスター分析やチャーノフグラフなどで目新しいところはあまりない。しかし、推理の過程は興味を引く。統計学は決定的でないことがよくわかる。落日の宴(上)(吉村昭)幕末に小吏から旗本外国奉行へ上り詰めた英才が、長崎でのプチャーチンとの丁々発止に始まり、ディアナ号が駿河湾で沈没するまでの苦闘を描く。以前読んだゴンチャロフの日本渡航記がロシア側からの視点で、読み比べると立体的に見えて興味深い。それにしても、幕末の世相は日本人の本質を知るためには参考になる。落日の宴(下)(吉村昭)それにしても昔の役人の健脚ぶりは物凄い。まるで蟻がせわしなく動き回っているようだ。現代から見れば当時の社会は硬直化の極みとして見えるがその利点や必然性もあったはずで、それを見逃すと現代社会も理解できないと思う。先人の努力の上に現在の日本がある。饗宴(プラトン)饗宴とはシュンポシオン(シンポジウム)のことで、その原義は「飲み会」だ。ということは、小生は毎晩酒場でシュンポシオンに明け暮れていることになり、ソクラテスの気持ちも少しは分かろうというもの。この本の話題は「エロス」だ。日本的霊性(鈴木大拙)禅を中心に据えた唯心論で、日本の仏教と文化の熟成過程を語る。明治期の気負いを感じさせるくどい文章。その背後にあるものを想像しながら読むと興味深いが、途中でめげた。謡曲選集(野上豊一郎編)「読む能の本」との副題通り、舞台の所作を言葉で補い、戯曲のようになっている。古語ではあるが話し言葉なので、有名な演目は細部までよく理解できてこれは面白い。戦国時代(永原慶二)混沌とした調略の歴史である戦国時代を理解しようと読んでみたが、分かりづらいわけが分かった。種子島以前にも鉄砲はあり、ポルトガルはモルッカの香料を欧州ばかりではなく中国にも売っていた。邪馬台国はなかった(古田武彦)教科書で習う邪馬台国(邪馬臺国)は魏書では「邪馬壹(いち)国」であるなど、江戸期の国学者の意図的な解釈を後の学者が盲信していると、細かい検証で主張。しかし、在野の歴史学者として中央からは無視、軽視され、反論のボルテージも高まる。双方の学説が構築されるメカニズムが興味深い。笑い絵(出久根達郎)作者は高円寺に店を構える古本屋の亭主だが、本の虫ならではの文献を駆使した表現で埋め尽くされている。昭和の下町の風俗を活写しているが、例の二笑亭が出てくるのが心憎い。少々技巧先行にも見えてしまうが。西郷南洲遺訓(山田済斎編)西郷隆盛は一切写真を残さなかったが、遺訓と遺文は残る。幕末には数度の流刑や坊主と海に身を投げたりと波瀾万丈であったが、維新半ばに西南の役で官軍に敵対せざるを得なくなった悲劇が心を揺さぶる。最期の落ち着きぶりに比べて若い時の坊主との心中未遂は何であったか、調べてみたいと思う。大政翼賛会への道(伊藤隆)太平洋戦争前夜の紆余転変が示すのは、日本人は極めて同調意識が高く、雰囲気に酔うという事実だ。恐らく現今のリベラルは、次の戦争前夜には声高に挙国一致を叫ぶだろう。その予感は、今年のコロナへの対応で確信に変わった。食べられる野草(辺見金三郎)かつての保育社カラーブックスの一冊だが、経験に基づく素直で詩情溢れる文章表現に感動する。墨場必携(小尾郊一)昔の文人や偉人はこのような虎の巻を見て揮毫していたはず。その裏が解って興味をそそる。月の裏側(レヴィ=ストロース)フランスの日本文化論は地球の裏側というよりも月の裏側に等しい未知の対極として扱われることが多い。本書もズバリそのようなタイトルだが、著者の好奇心は尋常でないレベルにあることに圧倒される。ベルツの日記(下)(トク・ベルツ編、菅沼竜太郎訳)下巻は日露戦争を外国人がどのように捉えていたかを中心に書かれており、国際関係の奇々怪々と外交の難しさがよく解る。現代のコロナでの右往左往とは比べものにならない嵐の時代であったが、民衆の受け止め方は興味深い。整枝と剪定(川原田邦彦)動物に比べて植物は生長が緩慢なので剪定による将来の影響を想像しにくいが、経験により明確な関係性があることを本書は示している。動物も躾や教育などの精神的な作用は因果関係が解りづらいがことが重大なので古典としてその教訓が受け継がれていると思い至った次第。旧鎌倉街道探索の旅(芳賀善次郎)関東西部を四通八達していた鎌倉街道は、古くはいざ鎌倉、近代は絹の道として使われた。中世の人がどのような考えでルートを開発したかを知ると、当時の合理性が見えてくる。菜根譚(洪自誠、今井宇三郎訳注)端的な人生訓にはそれぞれ儒教や仏教、道教に基づく世界観が投影されている。仙境からの慈愛に満ちた性善説のメッセージと言ったところか。澁澤龍彦のイタリア紀行(澁澤龍彦、澁澤龍子、小川煕)オヤジと同じ昭和3年生まれとは思えない澁澤龍彦の精神の自由さは何なのか。まぼろしカレー(水野仁輔)今は亡き名店のカレーを求めて物語が展開する様は、最早道を求める者の風情だ。人間に限らずあらゆる世界は一見無駄なものに満ちあふれてはいるが、短絡的に必要なものだけを最適化しようとする現代社会の危うさを感じる。意義のないことに意義を見出すことが出来る視野の広さを持ちたいものだ。技術とは何だろうか(マルティン・ハイデガー、森一郎編訳)哲学なき技術の危険性を示唆するものの、訳の日本語が妙ちくりんで違和感が先に立つ。ひとはなぜ戦争をするのか(アインシュタイン、フロイト)フロイトの「文化は戦争を回避するが、人間を滅ぼす」とは至言。二人の書簡よりも巻末にある養老孟司の解説の方が面白い。現代が自然発生的旧社会とアルゴリズム的新社会の過渡期であるとの説には大いに頷ける。遊びと人間(ロジェ・カイヨワ、多田道太郎・塚崎幹夫訳)以前から読みたかった本をやっと読むことが出来た。文化は遊びから生まれ、運命を甘受する超脱は遊戯から生ずると。趣味を仕事にした途端につまらなくなる必然。愚行権や無用の用に通ずる発想。シンギュラリティは近い(レイ・カーツワイル)「技術的特異点」などと訳されるシンギュラリティが注目される契機となった未来予測。広く深い見識に基づいた記述のように見えるが、どうもその根底に見え隠れする人間不信の尊大さが鼻につく。AI教に順応できない人間は人でなくなると。それでいて自分の記録だけは電子媒体を避けて紙媒体に残すとは、矛楯の極みだ。こんな放談を真に受ける世の中に危うさを感じる。自由論(J.S.ミル)無謬性への盲信は破綻を招く。現代社会は正義という鎧を着て安全地帯にいるマスコミがSNSや私憤を拾い下心のあるニュースに仕立てている構図を見抜き、資料を基に自分で考える姿勢が求められる。また、批判を傾聴する態度も重要である。ミルはフランス革命は最悪だったと断じている。シンギュラリティ(神崎洋治)シンギュラリタリアンによる最近の事例紹介を兼ねた勧誘書。このムーブメントに乗り遅れるなとしきりに大衆を鼓舞するのだが。大審問官スターリン(亀山郁夫)スターリンの消したい過去のコンプレックスが次第に怯えに変わり、他人が信じられなくなるプロセスが活写されている。毒殺はソ連のお家芸で、ナワリヌイへの未遂や金正男の件も全体主義国家の本性かもしれない。 

■河村卓哉 
論語と算盤(渋沢栄一)「自分が出来ることを全てした上で、運命を待て」全てこれに尽きると感じた。すべての事柄(研究やコロナなど)において、常に今自分がやるべきことを全力で行う。生物から見た世界(ユクスキュル/クリサート)生物のまわりに広がる世界(環世界)とは、自然の中から切り出された一部に過ぎない。ヒトもこれに該当し、その世界で生きていくために多くの複雑な機能が備わっている。一方で、複雑な機能が少ない生物(ハエやノミなど)が生きていけるのは、必要なものを絞り単純な機能でも生きていけるからである。物事を見る視点が広がる一冊であった。忘れられた日本人(宮本常一)昭和20年ごろに筆者が日本の村を巡り、その際の村に伝わる習慣や文化を述べた一冊。村ごとに生活や考え方が異なり、読み進めるほど同じ国の話かと思えた。さほど昔の話ではないが、今では考えられないようなことがまさに題目にある「忘れられた」に該当するのだろう。今の当たり前の生活習慣が将来では、忘れられたものとなるのだろうか。 

■久保田裕貴 
職業としての学問(マックス・ウェーバー)第1次大戦後のドイツ青年たちが事実のかわりに世界観を、認識のかわりに体験を、教師のかわりに指導者を欲した時代。科学と仮説(ポアンカレ)数学や物理の変遷をつづった本。数学の足し算引き算の検証から始まり、幾何学、古典力学、エネルギーと熱、電気と続く。二年前より数学も物理もできるようになっているはずだが、それでも半分くらいしっかり理解できなかった。ポアンカレは位相幾何学の創始者のためか幾何学の内容が特に多く書かれていたが、ユークリッド幾何とリーマン幾何の話の一部しか理解することができなかった。その後物理の範囲では様々な分野の統合の話などがあったが、相対論のない時代の本なのでエーテルの話が所々にあった。このエーテルの話に先週読んだマックス・ウェーバーの学問は時がたてば否定されるということが表れていると感じた。戦争論・上(クラウゼヴィッツ)クラウゼヴィッツは戦争というものを政治というものの別の手段であると捉えた。この本は上、中、下とあり上巻だからか概念的なこと、戦略的なことがメインで書かれていた。本書はナポレオンの後、第一次世界大戦の前の書なので戦術の変化の時代の中に書かれた書であるためか一部自分の意見とは異なる部分も見受けられた。当時機動戦術や内線作戦などの概念が出てきて全く新しい戦術が生み出され、総力戦の片鱗が見えてきた頃なので一部現代にも通づる物もあったりする。個人的には戦術的な話は兵站、補給の話が一番好きであり、一度似たような内容をもっと簡潔に述べられた最近書かれた本を読んだことがあったのでそこまで目新しい内容はなかったように思う。第二次世界大戦外交史(上)(芦田均)この本は第二次世界大戦のポーランド侵攻から話は始まる。私は第一次世界大戦後の戦後処理あたりから話が始まると思ったのだがポーランド侵攻から始まった。私は歴史は最後に習ったのが高校の時の単位の関係でやらなければならなかった世界史Aで内容は中世ヨーロッパ史だったので世界大戦のころの歴史をまずあまり分かっていないというのがあった。クラウゼヴィッツの戦争論によれば戦争が起こるということは何かしらの外交的な理由があるわけだがそのきっかけや戦場の動きがほとんど書かれていないのである程度の知識が求められる。そういった世界大戦の動きとか戦後処理とかを調べていたらなんとなく外交の動きも分かってしまい、飽きてしまった。また調べる過程で前に買って途中までしか読んでなかったマーチン・ファン・クフェルトの補給線の話や、地政学とかを少し調べていたら今の世界のニュースから各国が何を考えているのかというのが理解しやすくなったことからそっちを読む、勉強したいと思った。 

■萩翔太 
ヴェニスの商人(シェークスピア)結末は予想もしなかった悲劇的な終わり方。キリスト教徒とユダヤ人の対立。きみたちはどう生きるか(吉野源三郎)主人公の日常物語と主人公へ向けて書かれたノートで構成されている書であった。主人公が経験する様々な経験に対する心情が丁寧に書かれていた。経験したことや疑問をしっかり自分なりに考え自分なりの答えを見つけることが大切だと感じた。こころ(夏目漱石)メタボリズムを新陳代謝とあてたのは夏目漱石という情報を見て、夏目漱石の本を読みたくなりました。非常に切ない話でした。人間の愛や欲望、卑怯さ、苦しみや後悔等誰しもが備えているであろう人間らしさというものを登場人物達から感じられました。ひとはなぜ戦争をするのか(アインシュタイン、フロイト)どんな人でも攻撃する欲望や破壊する欲望があり、それが戦争を招いてしまう。アクション映画などで激しいシーンを見るとスッキリする感情を持ってしまう。また、コロナによる自粛期間家にじっとしていた反動やストレスからhttps://www.jalan.net/news/article/355298/このような施設が流行っているそうです。これも生まれながらに持つ欲望などにより、爽快感が持てるため人気になっていると思うと納得できました。 

■荻野洸希 
論語(孔子)孔子の道徳と教養についての考え方をまとめた短編集。時に人を励まし、戒めるエピソードが数多く登場する。ただその中で孔子もまた苦悩する描写が垣間見える。日本人の英語(Mark Frederick Petersen)日本語と英語の観念的土台の違いに基づき、なぜ日本人がおかしな英語を書いたりしゃべったりしてしまうのかを考察している。概念さえ理解すれば英文法など何も難解なものではないと言うことを理解することができた一冊。 

■戸坂優介 
森の生活(HDソロー)情報化社会において孤独はソローの時代よりも価値あるものになっている。私の個人主義(夏目漱石)好きを仕事にする際に起きること、分業化における弊害、個性の尊重、ノブレスオブリージュなどを説いています。どれも現代でも言われていることであり「今の時代だからこそ考えるべきこと」などなく、人が考えるべきことは普遍なのではないかと感じました。1984年(ジョージ・オーウェル)ビッグブラザーによる支配が行われている世界。語彙で思考が制限できるという考え方が面白い。コロナの影響のある世界で,行き過ぎた正義感はビッグブラザーになりえるのではないか。ことばと思考(今井むつみ)言語と思考はどの程度の関係性があるのか。サピア=ウォーフの仮説に対しての疑問が解消「される。言語が我々の認識に大きな影響を与えていることがわかる。 

■新井修平 
論語と算盤(渋沢栄一)物事を成し遂げるに必要な智・情・意、人を見抜くうえで必要な視・観・察。人間失格(太宰治)人は何を信じ生きていくべきなのか、人生における失格とは何なのかを疑問に思い、読むに至りました。これから先何を信じて生きていくべきなのか考えさせられる作品です。友人、恋人、宗教など様々ありますが、自分の軸となる価値観を確立していないと周りの環境や一時的な自分の意思に流され、最後に人生を振り返った時、人として失格になりうると感じました。対人関係においては、素の自分を出せる人は信頼してる人と言いますが、果たして素の自分とはどの様な人間なのか。信頼してる人には一度も嘘はつかず生きていくのか。読後に調べたことですが、この作品にはキリスト教の聖書に書かれている文章を引用し、訴えかける部分がありました。戦後、新たに教育や宗教倫理の構築が行われた時代背景を調べたうえでこの作品を振り返ると太宰は現代の日本人の生活に溶け込む宗教に対して問題提起している様に感じました。仮面の告白(三島由紀夫)冒頭は幼少の頃の記憶を思い返すことから始まり、当時から男(男臭さ)、美(肉体美、造形美)、死(苦しみ)に関心を持っていた事がわかりました。読み進めて行くも、この3つのキーワードを軸にした性癖の告白のように感じましたが、読み終えた時は、当時の同性愛への偏見に対する問題提起や愛と欲望について描いた作品なのではないかと思いました。また、前回読んだ太宰治の「人間失格」と相対するもの(学ぶことをやめ、酒と女性に身を捧げた人生とエリートとして官僚になり、高い志のもと小説家を目指す人生)、共通点(自伝的な作品であり、両者とも自殺による死)を感じたのでこの2人の関係性についても調べたいと感じました。 

■小澤知明 
羅生門・鼻・芋粥・偸盗(芥川龍之介)誰しもが感じたことのある気持ちをもとに物語が作られている。ギリシア神話(アポロドーロス)ゲームなどで度々名前が出てくる人物のことを知るために読みましたが、物語の展開が早く登場人物も圧倒的に多いため短期間で理解することは難しいと感じました。ですが、多くの人がこの物語を知っているのは、これだけの人物が登場しているのにも関わらず物語として成立していて、魅力も感じるからだと思いました。オセロウ(シェイクスピア作、菅泰男訳)読者は神様目線なので登場人物の考えていることが分かりますが、物語の登場人物は「いい日々を送れるように過ごしていたはずが、実は損をする方向に物事を進めてしまっていた」という事実を終盤に知ることになるのでとてもつらい思いをしたのだろうと思いました。みんな得をして終わりという物語でなくても楽しめ、考えさせられる作品があるということを再確認できました。幸福論(ラッセル、安藤貞雄訳)この本を読むことで幸福な人とはどのような人なのかを知ることができました。同時に、定義されている幸福な人になるのはとてつもなく難しいことだと知りました。なので、この本は「幸福になりたい人」ではなく「幸福とは何なのかを知りたい人」が読むのには最適な本だと思いました。デミアン(ヘルマン・ヘッセ、実吉捷郎(訳))この本の主人公が幼少の頃に体験した気持ちに似たようなことを自分も体験したことがあるので、主人公の気持ちに共感できる本でした。物語の中盤から終盤にかけて作者が言いたいことが集約されているので、文章が難しく理解するのが大変でしたが、読んでよかったと思える作品でした。椿姫(デュマ・フィス、吉村正一郎訳)この物語の登場人物が送ったような、一つのことを死ぬまで折れずに貫き通すような人生を自分も送ってみたいと思いました。この小説では、相手の気持ちを考えることができなかった結果うまくいかなかったことが大半だったので、自分の気持ちだけでなく相手の気持ちも考えて行動することが人生を好転させる秘訣だなと感じました。 

■河野雄己 
志村流(志村けん)自身が人生を振り返るためのツールとして書いた本であるかのよう。過去を一旦整理することによって自信を客観視。学問のすゝめ(福沢諭吉)この本を読んで受けた私の印象は、とことん読書の為に書かれているということでした。先週私が読んだ志村けんさんの著書とは対極で、志村けんさんの著書が自分の為に書かれた本ならば、学問のすすめは全ての民衆の為に書かれたものです。天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず、この言葉に対して人は生まれながらに貧富の差があり、生まれによって受ける影響は大きいではないかと、不満を抱いてきました。ですが、それは私の大きな勘違いであり、天の上に〜というのは、目指すべき姿のことでした。そのためにこそ上とされる者には、弱者とされる者を軽視してはならないとい教えを、弱者とされる者には、這い上がるための教えをと、全ての者に対しての教えを書かれていました。私はその勘違いに気づけただけでも読む価値があったと思いましたし、今まで遭遇した勘違い仲間にも是非読んでいただきたいです。人間失格(太宰治)主人公がひたすら破滅に向かっていくストーリーであり、特徴としては普通は文章(出来事)に対して客観的な視点を得られるのが読者の特権なのですが、人間失格では主人公は人が怖く、怯えるが故に主人公が自身を客観視し分析したことが綴られています。また、先に述べた通り人間失格は破滅に向かう物語なので、同じ轍を踏まないという形でしか自分の人生の参考にすることができませんでた。主人公の不運は常識は一般的、むしろ人一倍の常識を身につけていたのに、感性が独特であるがゆえ世の中に馴染めなかったことだと思いました。幼かった主人公は道化に徹するという形で擦り合わせを行っていたのに対し、成年になってからは現実から逃げることしかしてないように思いました。自分だけ死にそこなったり、妻が商人におかされたりと不幸は重なってはいるものの、努力を続けて現実から目を背けなければもっとちがった結末もあったのではないかと疑問がある残りました。もしこの先私自身に不幸があれば、現実を受け入れ、向き合い続けることで主人公にはのようにはならない生き方をしていきたいです。思考を鍛えるメモ力(齋藤孝)天才は皆メモを取っていた。ナポレオンもエジソンもダヴィンチも、ある種の天才だった人たちはメモ魔であり、凡人である我々がメモを取らずしてどうするということがコンセプトです。この本ではメモ魔となるための工程を段階的に記されており、読み進めていくうちに、メモなくしては飛躍は見込めないとまで思える一冊でした。私は普段からメモを取る習慣はなく、今まで自主的にメモを取っていたのはアルバイトを始めた時くらいです。(そしてそれもある程度慣れてからは使わなくなりました。)また、メモを取るといっても使い方としては、自分が聞いた話の中から重要だと思ったことを抜き出し、書き留めるというものでした。しかし、それはこの著書によるとメモ初心者だったのです。この本によると、要点をまとめられるのがメモ初心者、そこから疑問や感想、コメントなども書き込めて中級者(中級者では野部先生のすすめる本への書き込みや、毎日の出来事の記入も登場してました)、更に自分自身と関わらせることができる者が上級者、極め付きはメモから何かが生み出されるようなクリエイティブなものが「メモの鬼」だそうです。さすがにメモの鬼は難しいにしろ、自身と結びつけるメモ上級者ならば、意識改善によって目指すことができると感じました。そのためには話を聞く力と、メモを取る力と並行して興味・疑問を考える力が必要とのことですが、冷静に考えてみると普段から話を聞きながら興味・疑問を浮かべるというのは、当たり前のようにやっていることです。ただし、キーワードを抜き出し要約した上で興味・疑問を、論理的かつ最小単位にまとめるメモというのは体験したことのない領域です。ここで、私たち学生に絶好のチャンスがあります。それは現在のコロナウイルスによる外出自粛により行われた、オンライン授業です。オンライン授業ならば、メモ上級者になるための試みを行った上で、練度不足による遅れを動画の再生によって補うことができます。せっかくの授業のスタイルの変化ですのでメリットを存分に活かし、メモ上級者を目指していきたいです。メモを取る、それは写真や動画などの技術の進歩と共に廃れている行いですが、筆者も述べている実際に手を動かすことで得る記憶の定着効果は、確かに代替の効かないものであるでしょうから今後のアルバイトや授業、就職した際にも使えるよう日々心がけていきたいです。 

■熊谷伊織 
人間不平等起源論(ルソー)人間が未開地にいたときの自然状態をベースとし、国家の不平等が変容し増大していくさまは読んでいて痛快でもあった。善の研究(西村幾多郎)「善の研究」という題の通り、人間的な善とは何か、西洋哲学的な視点と、東洋哲学的な視点に近い作者の視点の両方から論ぜられている。曖昧且つ証明し難いテーマではあるが、独自の着眼点をもとに順を追って論理的に説明してあった。本の内容は、まず主観的でも客観的でもない純粋経験を説明し、その純粋経験をもとに思惟、意志、直観や実在、真理などを論じていた。善についての考察では、純粋経験を基にした意志や直観から論じ、人格の実現が我々にとって絶対的善であるとした。本から得た教訓として、今後は純粋経験を大切にし、より自己の人格実現を目指したいと思う。歎異抄(金子大栄校注)私は古典を読むにあたって、人間の普遍的真理のようなものの追究を目的としている。一介の学生がするようなことではないことは重々承知しており、実際は真理や善とかそういったフレーズが出るとより一層深く読んでいるだけだけである。前回の「善の研究」は、人間の善について非常に論理的に考察されていた。本の内容すべてが私にとって新しい考えで、魅力的だった。次も似たような日本の哲学書を読みたいと思い探したのだがなかなか見つからず、西村幾多郎を代表とする日本の哲学者に影響を与えたであろう「歎異抄」を読んだ。宗教書で浄土真宗の考えが盛り込まれた本であり、私にとっては難しい本であった。歎異抄はたんにしょうと読むようだ。私は調べるまで読めなかった。この本は親鸞の教えを直弟子の唯円がまとめたと言われている。親鸞の語録が九章まで、唯円の歎異が十から十八章までである。親鸞の説いた浄土真宗は、「本願を信じ念仏をもうさば 仏になる そのほか、なにかの学問かは往生の要なるべきや」という教義がある。阿弥陀仏を信じ念仏を唱えれば、悪人でも往生できるという考えである。本の内容としては、念仏を薦める章や、学解派(念仏ではなく本願を信ずることを真理として学解しようとする学派)や異義者を批判する章が多い。また、念仏を悪しきものとする人や浄土真宗の教えについて間違った解釈をしている人を諭す内容の章もある。私は、この浄土真宗の考えが、日本哲学にも影響を与えているかもしれないと考える。この本には、「一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟である。それこそ仏教の人間観として念仏者の忘るべからざることである。」という文章があった。調べてみたが、この言葉は、「”いのち”の関わり合いは家族や親しい友人だけでなく、自分と敵対する人、人以外の存在にもある。いかなる命も尊く平等である。」という意味のようだ。この考えは、説明が難しいが、善の研究にも通じるものがあったようにも思える。今回は浄土真宗の独特な考えを知ることができた。今後日本哲学などの本を読んだときに、これまでとは違った視点からも見ることができると思う。「空気」の研究(山本七平)「善の研究」の考えに影響した日本的観念、宗教観とは何か知りたいと思い、歎異抄の次に「空気」の研究を読んだ。この本は野辺先生が私に提案された本で、私が求めていた日本的な風習(といっていいだろうか、明確に定義できない概念)について著者の山本七平氏の考えが綴られている。1977年代に書かれた本であり、当時の日本情勢、共産党の事件や公害事件などをもとに「空気」、「水=通常性」「日本的情況倫理」について具体例を交えながら説明してあった。私は当時の状況を詳しく知らないため、本書を読むにあたって基礎知識が足りず少々疎外感を感じたが、山本氏の言わんとするところは理解できたように思う。また、日本的根本主義を語るために諸外国との違いを語ることは定石であるが、著者は聖書を引用し、日本人には理解し難い聖書絶対主義を比較的わかりやすく説明している。海外の宗教的概念から日本を見ることは私には新鮮であり、この手法は聖書の知識も幅広く持つ著者だからできる業だと思う。聖書等の海外の文化に触れ、戦争や復興といった激動の時代を生きた山本氏だからこそ、実態がつかめない「空気」の研究が可能だったのかもしれない。本の内容は、日本人なら感じたことがある「空気」について、問いを示し、その答えを実際の例をもとに探っていくスタンスで、読みやすかった。空気を解明する過程で、日本的価値観である物神論を取り上げ、臨在感的把握、感情移入、対立概念といった言葉で空気を表現した。また、絶対化、相対化を取り上げ、そこに宗教的概念を取り上げながら日本が空気に支配されやすいことを説明していた。私も「空気」を日常生活でよく感じるが、これ程上手く空気の概念を説明できない。腑に落ちる説明だった。空気を壊し通常性を取り戻す方法で、水を差すという言葉を引用したのは面白い。確かに適当な言葉である。著者は、この効果を酵素に例え、「日本的・無意識的通常性的作用」と名付け、論を展開した。そして、共産党リンチ事件を例に通常性に関係する日本的情況倫理について説明した。当時の共産党の弁明は、当時の状況を知らない私にとってはとても理解できるものではないが、著者は「空気」と「情況倫理」を説明しながら、なぜこのような弁明をしたのか詳しく説明した。これは昨今話題の忖度と似たようなものであり、今の忖度も結局は昔と同じ日本的情況倫理で作用しているのだろう。今の政治は戦後と変わらないことを知れた点からも、とても面白い内容だった。著者は巧みな比喩や例示を用いてわかりやすく説明していた。多くのたとえが用いられているが、私が驚いたことは、著者は空気によって混沌と化した公害事件や、情況倫理という忖度をもとにあり得ない答弁をした共産党を(直接的には)批判していない点である。本来ならば痛烈な批判とともに日本的「空気」を批判するだろうが、著者は「空気」や「日本的情況倫理」を批判せず文化として認めているようでもあった。そしてその上で自由を獲得するために空気から解放されることを諭した。あらゆる文化を知っているからこそ、空気も日本の文化として認めているのだろう。「空気」の研究を読んで、西洋的、日本的視点から日本人的観念を知ることができた。今後は、日本全体も含め「空気」を察知し、大局を見定めることを目指していきたい。大衆の反逆(オルテガ・イ・ガセット)前回は、「空気」の研究を読み、日本人(実は日本以外にもある)に蔓延る「空気」とは何か実例をもとに知った。今回は、「空気」の醸成に関係し、昨今の日本・世界情勢に大きな影響を及ぼす「大衆」についての本を探した。単なる大衆批判の本はこの世に潤沢にあるが、せっかくなのでスペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットの「大衆の反逆」を読んだ。この本は見事に大衆を分析し、未来を見据えて的確な批判をしている。しかしながら、古典の宿命なのだろうか、昨今の情勢を捉え大局を見据えたいと分不相応にも考える私にとっては、この本は少々問題があった。「大衆の反逆」は、第一次世界大戦を経て、第二次世界大戦に向けてファシズム等が台頭するきな臭い1930年に書かれた。当然、この本における大衆とは、1930年付近の大衆のことである。つまりは、パンがなければパン屋を壊してしまえ、といった連中にオルテガは痺れを切らしているのである。今の日本とはあまりにも情勢が違いすぎた。同じ大衆であれども、文化、周りを取り巻く環境が変わればもはや別物である。さりとて、全てが違うことは決してない。環境が違っても同じ人間の集団。科学技術は進歩したが、人間の根源的追及はちっとも進んじゃいない(持論)と考えれば、1930年代の人々から得た教訓は今を生きる我々に生かせるだろう。オルテガは、大衆の反逆とは、人類の根本的な道徳的退廃に他ならないとした。ここで、大衆とは自分はすべての人と同じであると感じ、そのことに苦痛を覚えるどころか喜びを感じるすべての人々と定義している。オルテガの求める人物・社会像とは、貴族的な高貴さ、常に自己を超越し、己の義務とし己に対する要求として強く自覚していることだった。「慢心しきったお坊ちゃん」という作者の表現は大衆を上手く表現している。技術の発展で人々の生活が豊かになったが、人々はごく当然のこととして文明の利器を使い、かつて少数の能力に長けたものが行っていた芸術、政治に介入し始めたことにオルテガは苦言を呈した。今の時代にも、政治ではなく政治家の思想に過剰に噛みつく輩は多い。ミュージシャンに関しても、その人の考えが少しでも気に障る内容だったら「思想を、自分が持っていると信じてる別の思想で裁こう」とする輩が多すぎる。音楽家等の芸術家に求められるべきは芸術的探究のみであって、正しいと大衆が思っている思考ではないと私は思う。この本の驚くべき点の一つは、オルテガが未来を正確に予言している点だろう。「歴史は数えあげることのできないほどしばしば予言されてきた。」とオルテガが述べたように、過去の歴史や大衆の動向から察したのだろう。作者は、当時台頭したファシズムを、理由を示して相手を説得することも自分の主張を正当化することも望まず、ただ自分の意見を断固として強制しようとする人間のタイプとし、大衆の新しい表れとしたうえで、革命というものは十五年以上は続かないと結論付けた。また、作者は、地中海諸国は政治的にはその日暮らしであると述べていたが、この文化は、昨今イタリアやスペイン、フランスでコロナが特に蔓延することに関係しているのかもしれない。もしオルテガがコロナ蔓延の世界情勢で、日本に生きてたらどのように思うだろうか。トイレットペーパーが売り切れる姿を見て大衆批判をし、テレビを見てマスコミや政治の批判をする一般人的批判では済まされない、怒涛の攻撃をするだろうか。「想像力こそ、人間が所有している人間解放のための能力である。」オルテガがこの本で述べた言葉の中で、最も好きな言葉だ。今後も、想像力を養っていきたい。 

■齊藤晴香 
ソクラテスの弁明(プラトン)生きている人間は死というものを誰一人知らないし人間にとって最大の善かもしれないのに、最大の悪だと知っているつもりで恐れている。幸福論(アラン)受動的な人生では成功せず、幸福は自ら求める人の元にしか訪れない。自ら切り開いて作りげることで、幸せを築き上げることができる。未来ばかりを考えて立ち止まらず、今を見定め幸福へと進むことが大切である。賢い人の知恵は感情ではなく、態度をコントロールすることである。論語(金谷治 訳注)この古典を読み、感じることが多くあった。学びはどこにでもあり、どんな人からでも得るものがある。 学んだことを迅速に行うこと、遠くを目指す際は小道を選ばないように努めること。 謙虚に学ぶことを忘れないことが徳を積む第一歩であることが分かった。孔子の考えそのものよりも、孔子の振る舞い、弟子との関係性から人間臭さがあり、それが魅力的である。弟子たちや政治家たちとのやり取りを通じて孔子という人物の豊かな人間性が浮かび上がってくるのを感じた。日本における道徳心や文化、価値感などに大きな影響を与えている。時が経っても社会や人間の本質が変化していないこと分かった。ハックルベリイ・フィンの冒険(マーク・トウェイン 村岡花子訳)黒人が人間かどうかを認める差別問題があった背景がよく分かる作品だった。当時のアメリカの教養や秩序に従う気は少しもないが、自分の実際に見たこと、経験から判断し、自分の意思と考えに基づいて行動し、かつ、自由というものを自分だけではなく他者にも当てはめて考えることができるハックの姿勢が印象的だった。ファウスト(ゲーテ)壮大な世界観で奥深い内容だった。この作品は二つの悪を描いているところがある。一つ目の悪は、メフィストーフェレスに代表されるこの世の悪、二つ目の悪はファウストの中にある自己中心的な悪だ。最初、ファウストは悪党に見えないが、自分の力だけで知の世界を突き詰めていこうとする態度には、他人に対する配慮は少なかった。人間として、どう生きればいいのか、どう生きることが正しいのか、正しいの基準は何なのかを考えさせられた。 

■橋本尚俊 
死の淵を見た男(門田隆将)わたしは震災当時青森県に住み、その日は小学校の卒業式の練習をしていた。ものすごい揺れで驚いたのを覚えている。もし仮にメルトダウンが起こっていたら東日本全体が住めなくなっていたとは全然知らなかった。そこまで大事だとは思わなかった。福島だけじゃない、自分の問題だと改めて考えさせられた。特に印象的なのは決死隊の選出の場面。原発を爆発させないように減圧させる作業、ベントを手動で行うメンバーを選ぶ場面。そのメンバーを選出する際、最初はだれも手を挙げなかった。それが手を挙げたことを皮切りに、次々と手を挙げていった場面はじんわりきた。行けば死ぬかもしれない状況でわが身を挺して戦う姿はグッときた。最年長なのに率先して危険な任務にあたるところが強く印象に残っている。現場職員の方には感謝しかない。車輪の下(ヘッセ)この本の車輪というのは学校や社会の制度のことをさしていました。ハンスという人物は車輪に潰されないように、勉強し、神学校にかよいました。しかし、結局ハンスも車輪に潰されることになりました。そして、彼は徐々に純粋な心を失っていきました。このようなことは現代社会でも起こっていると感じました。大学に進んでも雰囲気や周りに馴染めないひと。就職したけれども労働に潰されてしまう人。車輪というものに潰される人はいつもいると思います。どんな生き方をしても残酷なことを起こる可能性があると感じました。この本はそんな残酷な救いようのない現実を書いていると感じました。社会でこれから生きていく上で避けられないことがこれから起こるかもしれない、理不尽な出来事が起こるかもしれない。この本で描かれているのはそういう葛藤などを感じました。猫を棄てる(村上春樹)猫を棄てるを読み遺書のような文章に感じました。書かないと死ぬことができない。どうしても書いておきたいことを猫を棄てるエピソードによって語られています。『降りることは、上がることよりずっとむずかしい』という一文がありました。一人暮らしをしていてすごく心に残りました。自分は大学の都合で一人暮らしですがこれが家族を嫌になって一人暮らしをはじめていたらと思いました。家族と暮らすのが嫌になって、一度一人暮らしを始めると今さら実家には帰りにくい。自分のやりたいことと社会が求めることに大きな違いがあるなと思いました。傷ついた記憶は消えなくうまく自分の気持ちと付き合っていかなければいけない。村上春樹さんの父はきちんといつも家に帰ってきて、家庭を持ち、子どもと対立しながらでも最後まで生きた千秋さんは尊敬しました。 

■長谷川建 
考え方の論理(沢田允茂)ものごとを考える上で今まで怠っていたものが何か片鱗が垣間見えた気がする。君たちはどう生きるか(吉野源三郎)私たちは生きる上で、様々な問題を抱えています。解決するのが困難な問題も多々あります。しかし、その問題にぶつかったときに、周りの目や態度を気にして自分の考えを曲げてしまうことこそが自己成長を妨げてしまう要因なのだと学びました。その時に正しいと思ったことを行動に移していけるようにします。動物農場(ジョージ・オーウェル)はじめは人間が圧倒的権力を保持し、動物たちを奴隷のように扱い、人間の食料としてしか見ていなかった。しかし主人公のナポレオン(ぶた)がそれを覆したいと思い反乱を起こす。その村から人間を追い出すことに成功し、動物たちだけで生活を営むようになる。そしてある時、動物農場にやってきた人間と和解し、人間と動物が対等の立場になり、共和主義をかかげともに生活するようになるというお話でした。人間は普段動物のことを下層階級であると思い接していますが、動物からすれば逆に私たちが下層階級なのかもしれません。全ての生き物は平等であるとこの本を読んで思いました。これからの接し方が変わって来そうです。THINK BETTER(ジェリー・ミンチントン)人生の大きい壁にぶち当たった時に、どのように脱するか、どのような心持ちでいればいいのかなどの言葉が100語記してあります。最近コロナウイルスの影響もあり、日常だった学校への登校がなくなり、いつもと違う時間に起床し、非日常を味わっています。私自身気づかないうちにストレスを感じていたようです。何かストレスを抱えている時や目標を見失いそうな時にこの本を読むと、自分の目標や夢などが再確認できると思います。新・魔法のコンパス(西野亮廣)彼はもともとお笑い芸人という職種だったのにもかかわらず、あらゆるチャレンジをし、絵本作家にもなり、また、彼自身が運営するオンラインサロンも創設しました。この本の中で出てきた言葉で印象的に感じた言葉があります。それは「人生において、この世に失敗など存在しない」という言葉です。この言葉に込められる意味としては、人は何か失敗するとその失敗を引きずり、それに対して向き合おうとしない、つまり失敗を失敗のままにしてしまう傾向にあると書かれていました。その失敗としっかり向き合い、改善し、仮にそれが達成できたなら、その失敗が自分の成功のために必要だったということを知るというものです。私自身、これまで高校野球や試験などで失敗を繰り返してきました。しかし今振り返ってみると、その失敗も、今こうして自分の力となり、成長するために必要なものだと思うことができるようになりました。失敗を恐れて何かに取り組むより、失敗することが成長の種になると信じ、今後もチャレンジして行こうと思いました。始皇帝 中華統一の思想~キングダムで解く中国大陸の謎~(渡邉義浩)この頃、世間で注目を集めている「キングダム」というアニメ・漫画を手に取ったことがきっかけで歴史に興味を持つようになりました。この本では、中華統一の話がメインでされていますが、誰がどのように7国ある国を一つに統一したのかということが書かれています。この頃から「法」という言葉があり、言葉の起源を知るいいきっかけになったと思います。温故知新(故きを温ね新しきを知る)という言葉が本書に出てきますが、今こうして読書していることで新しい発想、創造ができるようになるのだと感じました。知らないと恥をかく世界の大問題ーグローバリズムのその先(池上彰)”最近の若者は本を読まない””経済を知らなすぎる”と様々な場所で耳にします。イギリスのEU脱退やアメリカの大統領選挙、台湾の一国二制度、コロナウイルスによるオリンピック延期が2021に果たして開催されるのかなどがかかれています。中でも今秋に開催されるアメリカ大統領選挙について興味を持ちました。現在環境問題に目が向けられている中、トランプ大統領は「パリ協定」を脱退したいと宣言しています。他の国はアメリカがパリ協定から脱退するのを防ぐべく、様々な手法でアメリカを食いとどめます。次の大統領が決まる2020年11月4日、アメリカの大統領が環境保護にどれほど興味があるのかが見所です。 

■林京吾 
老いの楽しみ(沢村貞子)この知識を若いうちから得られる自分は得だと感じた。本を読む本(M.J.アドラー/C.V.ドーレン)この本を読んだことで、読書に対する考え方が変わりました。読書には初級読書、点検読書、分析読書、シントピカル読書の4段階にレベル分けができ、自分はまだ点検読書が出来るくらいの段階だと考えさせられました。正しい本の読み方を知らない人は意外と多いのではないでしょうか。これからまだまだ読書をする者として、早い段階でこの本に巡り会うことができ、これからの読書が充実しそうです。まずはこの本に見習って積極的読書を心掛けていきたいです。方法序説(デカルト、谷川多佳子 訳)この本はデカルトが初めて発刊した著作で、理性を正しく導き、学問においての真理の探求方法が述べられていた。過去に読んだ哲学の本と比べると少し内容が難しく感じたが、哲学の根本原理に触れることができた気がする。デカルトは、今までに学んだわずかなことは、まだ知らないことに比べれば無に等しい、と述べている。この世には、まだ発見されずにいる事実が無数にあると考えさせられた。人形の家(イプセン(原 千代海訳))最近は哲学の本ばかりを読んでいたので、久しぶりに小説を読むことにした。本のタイトルから人形を擬人化した物語かと思い込んでいたが、内容は人間の愛と結婚の物語であった。物語に登場する夫は妻を可愛がっていたが、それは人形的な可愛がり方で人間的ではなかった。故にこの2人の関係は続かなかった。人との接し方を考えさせられた本である。論文の書き方(澤田昭夫)この手の本は、マニュアルに沿ったことしか学ぶことが出来ないかもしれないが、4年になり論文の書き方の基礎を取得するということで一読してみた。論文を構造的に展開するためには、やはりアウトラインが重要になると理解した。また、アイディアを述べる上で過去・現在・将来というのは手がかりとして便利なものになると改めて感じた。老年について(キケロー、中務哲郎 訳)これは八十四歳の政治家であるカトーが2人の若者を屋敷に迎えて、自らの到達した境地から老いと死と生について語るという構想の対話篇である。カトーは「人は皆、生きるべく与えられただけの時に満足しなければならぬ」と述べている。少年期には少年期の仕事があったように今には今の仕事がある。全ての仕事に満ち足りることが人生に満ち足りることになると感じる。<身>の構造(市川 浩)皮膚の内に閉ざされた身体という固定概念から離れた<身>についての探究本であった。本の一部に<身>の言葉として、ノンバーバルコミュニケーションについて記述されていた。場が共有できない今は、身体的なコミュニケーションが制限されており、自己真意を上手く伝えるためには話し方にも工夫が必要だと感じた。イワン・イリッチの死(トルストイ(米川正夫 訳))この本はタイトルの通り、人生永久の問題たる死を主題としたものであった。死に触れる本は過去にもいくつか読んだが、この本は主人公がきわめて平々凡々であり、ユニークな視点で死に至るまでの心理的な描写がされていた。 

■森禎晟 
読書について(ショウペンハウエル)良書を読むことで才能の可能性を呼び覚ますことができるけれど、多読を極めると自分の頭で考えることをしなくなる。笑い(ベルクソン)私は、笑いに関してだけは幾分理解があると思っていましたが、この本を読むことでさらに理解を深められました。私なりに簡単にまとめてみると「笑い」は、放心による""機械的なこわばり""があることで生まれるものだと思いました。笑いの対象が人間的であればあるほど滑稽で、笑う人の情緒に訴えかけず絶えず無関心の状態であることが笑いの条件だと分かりました。社会は私たちにしなやかさを要求しているが、その行き詰まりを解きほぐすのに有効な手段が笑いなのかと思いました。私のお気に入りの言葉はこれです。「笑いくらい人の武装解除させるものはない」武器よさらば(下)(ヘミングウェイ)表紙に書いてある通り、歯切れの良い文体で物語は進んで行き、最終章に近づいていくと、読み手の自由な感情に任せるためにこういった書き方をしたのかと思い、残り数ページあたりでその認識を確固たるものにされられました。歯切れが良すぎる文体のせいか、私がまだ本を知らないせいか、この本を読んでいてあまり面白くないと思い、もうヘミングウェイを読むのをやめようと思っていたのですが、ラストシーンの悲劇が、読書中今までは平坦だった喜怒哀楽の感情を最後にぶつけるかのように哀しみを沸点まで持ってこさせられ、なんとも言えない読後感に陥りました。もう読まないと思っていたヘミングウェイの著作をまた読みたくなっちゃいました。イスラーム文化(井筒俊彦)イスラームの宗教を真にイスラームたらしめている存在は聖典「コーラン」にあり、イスラームの宗派を文化させ、それらが対立している原因は「コーラン」のいかほどにも捉えられる曖昧さによる解釈の違いから生まれるのだと知った。もともと「コーラン」は、ムハンマドという商業都市の商人が神の啓示を受けて神の言葉を記録した書物であるという。ここで私の1つの妄想として、もし仮にムハンマドが「コーラン」を書いた理由として、商業のため、いはお金を稼ぐために始まったとして、イラン革命など今の今までイスラームの宗派の対立により血塗られた歴史があると知ったらどう思うのかと不思議です。もう後にも引けないこんな状況を何と言って説明するのかと。商業のために始めだことですなんて言えないはず。また、無宗教の私がこの本を読み終わってふと思ったのは、朝起きた時に見ていた「夢」や人の行き過ぎた妄想や思い込みから、見えない「神」の存在を初めて朧げながら自分の頭が作り出してしまうのではないかと思った。なので、夢を見る動物で豊かな妄想力に富んでいることが要因で、存在しない「神」を作り出すのかと、ふと思った。ロミオとジューリエット(シェイクスピア)ロミオが好きな子をコロッと変える気まぐれさとすぐ人を殺す熱っぽさの性格を持つ人だとは思いませんでした。終始、運命の悪戯が2人の恋の成就を許さない様子が描かれているのと同時に、死なずとも幸せに生きていく道がいくつか用意されていたのにも関わらず、恋の熱病に取り憑かれたロミオはどんな展開になろうと早死にしていたのだろうと私は思いました。正直、この作品は今まで私が読んだ岩波作品の中で一番退屈でした。P.S. マルクスの資本論は時間がある時に読みたいと思います。これからの「正義」の話をしよう(マイケル・サンデル)私が正しいかもしれないと思った功利主義やリバタリアニズムの考えをわかりやすい例を用いて批判し、またミルやカントやアリストテレス等様々な哲学者が独自の正義を提示しており、どれも絶対的な正義観なのでどれが適切な正義の考え方なのかますます正解が分からなくなりました。ただ最後に著者は、正義の考え方として最大多数の最大幸福でも自由を尊重することでもなく、正義には美徳を涵養することと共通善について判断すること」だとするアリストテレスに近い答えを示しており、私も納得はしましたがとても難しい問題だと思いました。合理的ではあっても人間の潜在意識の中の美にも触れなければ正しさの追求としては不十分なのかもしれません。自殺について(ショウペンハウエル)この本を読んで心が軽くなった気がします。ショウペンハウエル曰く、幸福な人生というものは不可能である。その理由も冷静に淡々と解説してました。読後感として、子供の頃に欲しがっていた不思議な動きをする玩具の構造を全てバラされて(説明)「こんなもんだよ」と言われたような気分になりました。別に生きる気力をなくしたわけではありませんが、変な期待を寄せても疲れるだけなのかと思いました。数ある印象的な言葉のうち1つを紹介します。「動物と人間の原動力の所以なるものが飢餓と性慾の2つの単純なばね仕掛けであろうとはまことに感嘆のほかはない」冷静に分析し、ある時は痛烈に批判し、夢見がちな者に悉く真実をぶつける、そんなショウペンハウエルが面白くて好きです。テレビじゃ言えない(ビートたけし)ビートたけしの本は気づかされることが多く、よくハッとさせられます。今は忘れられていることが多い昔の日本人の品や人情や美徳を教えてくれます。私は、ただ生きているだけだと忘れがちな「本当のかっこよさ」をビートたけしから学んでいるのかと思います。もしくは尊敬するビートたけしの本を前に冷静になれていないだけの痘痕も靨なだけかもしれません。自由論(J.S.ミル)肉体と精神の主権者である人間の自由は他人に影響を与えなければ絶対的に不動のものでなければならないというミルの思想の根本が随所に感じられました。この社会で何事も自分の意思で行動する自由をもって生きていると矜恃してきましたが、果たして真に自由なのかを考えるべきだと思いました。正義は勝つとよく聞きますが、勝った者が正義だとすると歴史は強者の作ってきたもので歴史は正義そのものだと思ってしまいます。ただ今までの正義は真理かと問われるとそうではないこともあると思います。今生きている社会が自分にどう影響を与えているかを考えなければ真に自由ではなく、支持されている意見に流されてしまい、人間に必要な充分な知性と判断力が衰退してしまうと思いました。本書曰く、国家教育は統治者の喜ぶ都合の良いものであり、社会が理想に近づくためには意見の対立が必要で、そのためには個性や状況の多様性を育む社会がなくてはならないという。本書は個人の自由だけでなく意見、思想、言論、社会、教育まで羽を広げて多くの意見を記しています。人間には盲目的になる特徴や思考停止してしまう傾向があるといい、社会の綻びや偽りの自由に気づくことができるか否かは、探究心や好奇心を捨ててしまわないで知識を取り入れ思考し続けることに限ると思いました。天才(石原慎太郎)田中角栄のお金や権力に対する考え方は幼い頃の家庭環境に由来し、土木の推輓の仕事で社会の底辺を経験する等して、強い熱情で国のトップまで上り詰めることに成功したと知りました。真実はよくわかりませんが、愛国心の強かった田中角栄は日本の経済発展の邁進に努めていたが、アメリカの都合の悪い政策を進めたことで怒りを買い、偽りで溢れたロッキード事件なるもので葬り去られたと本書に書いてありました。(その後もフィクサーとして動いていたが)本書を読むと、政治家も普通の人間なんだと思うことがあり田中角栄曰く、「誰か相手を選ぶとき、大事なことは所詮、人触りの問題なのだ」とのことで、人を掌握する技術に長けていた田中角栄らしい言葉だと思いました。善人か悪人かはさて置き、高速道路や新幹線や空港、またテレビというメディアを造成したものは若い頃の田中角栄の決断だといい、また高齢化も予見する等、知恵や先見性が優れていたことは真実であり田中角栄の凄みを感じました。田中角栄の気迫溢れる態度は現代の生温い(安全な)社会に生きる私には刺激的でした。恩讐の彼方に・忠直卿行状記(菊池寛)戦国時代の武士道の精神は命を軽んじる潔さが皆共通の美徳であると感じて、なんでそんなことで死ぬのかとばかり思ってました。徳川家康の孫の松平忠直が自分が小さい頃から周りの人から讃えられて忖度されてきたと気付いてから、周りを巻き込む裸の王様ぶりはどうしようもなかったです。「恩讐の彼方に」で、ある人物が大方1人で20年かけてトンネルを掘り進めるという偉業を成すことができたのは、一切の迷いがないことが要因だと私は感じました。最近自分が考えている心持ちや精神状態のことに少し近い感覚の作品だったように感じました。昔の日本人の気質や考え方を探ってみたくなりました。バカの壁(養老孟司)全体的に一元論的な考え方を否定する著者の考えが詰まった本になっていたと最後の方のページで分かりました。これが正解だとかこれは間違いないとか決めつけた時点で思考停止になり壁が立ち、向こう側のことが見えなくなり他の視点に立てなくなると言っていたと思います。たまにこの人は何を言っても通用しないなと思うことがあります。ただ本書を読んでいてると他人事ではなく、悲しいことに自分のことだと思う瞬間もありました。壁が立っている人には何も通用しないという思い込みもまた自分に壁が立っていると思うと、バカの壁だらけのように感じます。分かってないことが分からない等という「理解することや学ぶこと」についての根本に触れた気がします。地アタマを鍛える知的勉強法(斎藤孝)孔子に影響を受けた筆者が伝える「一生学び続ける姿勢」は、堅苦しいものではなく人の幸せな生き方を教えてくれるものだと言います。学ぶことは体を使うことが大事だと言う筆者の提案する勉強法の1つで面白いなと思い、実践しようと思ったのは、憑依型勉強法です。ソクラテスならソクラテスの本を2週間ずっと読んでソクラテス以外のことは考えず、ソクラテスの言ったことを引用して話し、ソクラテスになり切って、ソクラテスならこう言うだろうとか、こう考えるだとか、ソクラテスにどっぷり浸かるのです。するとソクラテスが自分に憑依したようにソクラテスになれるとか(笑)学んだことを使えて初めて自分のものになるのでアウトプットを適当にしてはいけないと思いました。これからは哲学者達の気に入った言葉を使っていこうと思います。地アタマ力も判断力も先天的なものではなく、どんどん使って鍛えないと身につかず、磨きをかけていこうとする姿勢がない限り柔軟な思考を持つことはできないと言います。自分が求める最善の策は何か常に考え続けることが学ぶことへの向き合い方だと分かりました。最近この歳になってようやく何か目的のためにではなく、ただ1つ知的好奇心という名のオールで智に向かい船を漕ぐようになりました。それまでは名声・名誉などの孔子や筆者からすれば不純な動機で学んでいることが大半でした。それだけに簡単に何度も折れてしまう脆いオールでしたが、今は死ぬまで折れることのないであろう軽くしなやかで丈夫なオールを手に取って進んでいます。どんな荒波や強風をも楽しみながら超えて行けるような、そんな気がします。日本語トーク術(古舘伊知郎、斎藤孝)もともと古舘さんの秀逸な例えや我を忘れて喋り尽くす様子を見て、話が面白い人だと思ってこの本を読んでみました。言葉には求心力の強さがあってそれをどう掛け合わせるかはその人のセンスかもしれませんが、数多くの雑多な知識があるからこそなせる技であると思いました。本書には言葉のずるさを利用した本来分けられないはずの「知識よりも知恵」だとか量をこなさないと変わらないのに「量より質」という言葉で騙されていることを言っていました。大衆の輪から外れないように客観的にばかりなっていると、断言や断定を恐れて曖昧な表現を使い、一人一人の価値観や思想の色味が薄くなり鈍くなって錆びていく気がします。日本語を使うにあたりこれからは夏目漱石の本を読もうと思います。夏目漱石が近代の日本語を作ったような人物で、漱石の書いたものを読めば日本語の基本はだいたい済むとのことです。なので先日野部先生のおすすめ作家と夏目漱石や森鴎外も読んでみます。学問のすゝめ(福沢諭吉)有名な「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という文章は、人は皆平等であるという意味で民衆に訴えかける啓発だと思っていましたが、生まれた時に人との差はないはずが、賢い人愚かな人富める人貧しい人のような差が生じる原因は学んでいるか学んでいないかにあるといい、学問の重要性を主張していて今までずっと間違った解釈をしていました。福沢諭吉は一人一人独立することを願っていて独立の気力がないと他に依りすがる心が生まれ、多くの災害はそれが根源だと言っていて、私も弱気になると何かにすがってしまうのでまだまだ半人前以下だと自覚させられました。政府と国民との関係性も論じていて、産業革命等の文明の発展も民間の力であって政府に任せればいずれ組織が破綻するといい、この間読んだJ・Sミルの自由論の考え方に似ていて、福沢諭吉の独立とJ・Sミルの自由は思索の根本が同じような気がしました。今の自分の立場も学びの不足に他ならないと思うとやはり人のせいにはせずに一身独立の思いを強くして学び続けようという気概を示そうと思います。顰蹙の達人(ビートたけし)色んな視点で物事を見ていて人としてどうあるべきかを理解していて肝が据わっているように感じるビートたけしの本はつい読んでしまいます。印象的な文章は「感動ごっこでお茶を濁す」というニッポン人の悪い癖があるといい、根本的な解決はされてないけれどその場のチープな感動一つで綺麗に丸く治ったように終わらせるというのは私も如何なものかと思います。お涙一つで終わらせて大事なことに目を背けることをしないように自分に自戒していかなければいけないと思います。死の壁(養老孟司)昔は人の死が身近にあったけれど、現代ではそれが隠されていて私自身、人の死がどんなものか今年の1月に祖父が他界するまで実感がなかったです。それまで三人称の死(赤の他人の死)しか見てきておらず、ようやく二人称の死(親しい人の死)を経験しました。そこで初めて人は本当に死ぬんだと実感しました。筆者は、解剖のための遺体を高層階から地上に降ろすために棺をエレベーターに入れようと試みるも棺を縦にしないと入らないと分かり、建物を建てるにあたり設計者が人が死ぬことを想定していない都市化の象徴ではないかと例に挙げています。祖父の死でようやく真剣に自分は何のために生きるのかとか幸せとは何かとかを考えるようになりました。そして最近ランニング中に考えたことは、自分が何かに一生懸命頑張っていないと生きたくても死んでしまった死者に「お前変われ!(俺が代わりに生きる)」と言われるような気がして、それを言われないように日々頑張っています。それが自分が頑張る活力の数十%くらいを占めています。やはりどうせ最後はいつか死ぬならその時までは全力で生きてやるということで、ありがたいことに両足も両腕も快適に動くので毎日走って自由を感じるようにしています。話は逸れましたが、2度と取り戻せない死と同じく2度と取り戻せない今日を大切にしようと思います。武士道(新渡戸稲造)以前読んだ菊池寛の小説で私が驚いたのは武士の命に対する軽薄さで、それはまさに武士道の精神に基づき、その中でも名誉の恥辱を受けたからだという理由が半分を占めるのではないかと推測します。武士道が深く浸透していた時代から数百年経った現在でも、武士道の精神に多くの共感を得るのは今でも先祖の魂が宿っているためだと思いたいです。武士道の徳を簡単にまとめると義務の「義」勇気の「勇」愛の「仁」礼儀の「礼」誠実の「誠」また「名誉」と「忠義」であり、武士階級の人の掟として要求され教えられたものだと言います。この中で私が注目したのは、目上の者に対する服従及び忠誠を成す「忠義」です。著者が例に挙げたのは、信仰の道を離れ、堕落した信者がその主に一たび忠義の念を訴えるや再び信仰に復帰したそうです。このようなことは、私の今までの人生で似たようなことがあり、他の徳も混在しているけれど忠義の徳によるものが大きな要因だったんだと思いました。他にも例を挙げていましたが、忠義は偉大な徳であると感じました。本書を読んで武士道の色気に触発させられたことで、元々根を張っていた日本人として持っている品に漆を塗ったかのように美しく気高くありたいと思う次第であります。たった一人の熱狂(見城徹)見城徹の魂には深く刻印された死生観を持っていて理想の自分を保つために血湧き肉躍る人生を生きている人だと思いました。自己否定や自己嫌悪の観念が極めて強く、自分を裏切ることは絶対にできない思いを秘めており、悪くいうと頑固さで側から見れば清さの闘魂あふれる義理人情の熱い人だと思いました。自分は安全地帯から人並みの快楽を得て満足するより荒野でもがき苦しんで掴み取る興奮の方を選ぶ性なので本の内容に多くの共感を示しました。見城徹はアフリカの原住民に伝わるこんな言葉を紹介していました。「君がなんとなく生きた今日は、昨日死んでいった人達が、どうしても生きたかった明日だ」人生の目的(五木寛之)人生の目的という野暮なタイトルだと筆者が自虐するそのタイトルに少し目が止まったのと、中学生の頃、塾のテキストの文章問題で五木寛之の文章の難しさに苦戦したのが記憶に残っていたため、本書を読んでみました。筆者曰く、人生に決められた目的はない、人生の目的は自分の人生の目的を探すことである。最終的にこのような結論に帰着しており、日本の自殺者数の増加や悲惨な事件が後を絶たないという話から終始暗めな内容であり、簡単に言うと筆者が一番感じてほしいことは生きることが辛くなってもとにかく生きていること。死んだら終わりだということ。ありきたりな内容ではありましたが、読んでいて運命と宿命について面白い例えがありました。広さ30㎝四方深さ56cmの箱に砂を入れ、植えられた一本のライ麦。4ヶ月あまり水をやって育てるが、色艶の悪い貧弱なライ麦である。そのライ麦の根とその先についてる見えない根毛まで長さを計測してみると、砂の中に張りめぐらせて水分や栄養素を必死に吸い上げて麦の命を支えてきた根の総延長が1万1200kmに達していたという。この小さな箱とはそのライ麦が背負った宿命、そして実験室に植物として発芽したことはライ麦に与えられた運命であるという。考えてみれば自分の力では変えようのない事実はあると分かります。それでも筆者の話にあまり納得がいかなかったのは運命>努力のような少し無気力な考え方です。なので今パッと思いついた私の人生の目的は、みんなが諦めている運命や宿命に抗うことにしてみようと思います。運を支配する(桜井章一、藤田晋)友達と遊ぶカードゲームで最初に配られる自分の手札が悪いと思うことが多く、毎回ツイてないなと思っていたときにこの本を見つけて、運をつかむ手法を探るために読んでみました。読後感として、自分には運をつかむ習慣がほとんどないことに気づきました。運やツキを手にするのに特別な方法はなく、ただシンプルに考えて真っ当な準備をする。そして力まず、勝ちたいという欲もなく、流れが来る「そのとき」を見極めて勝負をする。思い込みも固定観念もなく柔軟に対応し、尚且つ直感を信じる。冷静沈着で一点の曇りもない心模様。掻い摘んでまとめるとこれらが運を支配するために大切なことであるといいます。自分のミスを運のせいにしていましたが、本書を読んで自分のミスは運を掴めない行動や判断をした自分のせいだと思うようになり、おかげさまで自分のこれまでの行動を見直すきっかけになり、足りていないところに気づけてよかったです。遺書(養老孟司)筆者の文章を読むと東京の都市生活を送っていると忘れがちな自然的な感覚を思い出します。ヒトには与えられた感覚をすぐに意味に変換する癖があるといい、例えば鉛筆で白と書いて色を問われると白だと確信する一方で、文字の意味を知らない動物が答えるとしたら黒である。(鉛筆の字は黒色だから)文明の発達により人はどんなことも簡単にまとめて「同じ」にすることをやってきたが、感覚としては「違う」ということは例を挙げれば数えきれないと思います。例えば、意味主導の場合、朱色と茜色を一概に赤色と断定できるが、感覚主導の場合、両者とも違う色だと言えます。どちらにせよ、決めつける前にそれらを意識することを提案する筆者の思いにこれまで生まれてきた物事の対立の原因を見たような思いがあります。国家の品格(藤原正彦)著者は武士道原理主義者ではなく、市場・経済、効率・能率、経済発展は大切だが武士道精神は、人の精神性の根幹をなすべき極めて重要なものだという見解を示し、古典的名作を読むことを推奨している人でした。教育方針や世界で広く認知されている論理は欲や利益により正当化された誤謬であることがあり、論理を紐解いて前提から結論までの過程の確率を計算すると信頼性の低さが丸裸になると数学者らしいことを言っていました。本当に大切なことは論理では説明できない感覚にありそれはまさに武士道精神が育む「形」や読書により培われる「情緒」であるといい、数多くの論理からどれを選ぶかを決める能力で発揮される総合判断力や大局観が養われるといいます。私は新渡戸稲造の武士道を読んで武士道精神の色気に惹かれるとともに硬さも感じていましたが、読書がそれを補完し二本柱で支えていると判断し、著者の人としての在り方の提言に共感できました。また著者曰く、真のエリートの二つの条件として、第一に文学、哲学、歴史、芸術、科学といった、何の役にも立たないような教養をたっぷり身につけていること。そうした教養を背景として庶民とは比較にならない圧倒的な大局観や総合判断力を持っていること。だそうで、先生みたいだと思いました。ちなみに第二条件はいざとなれば国家、国民のために喜んで命を捨てる気概があることだそうです。直感力(羽生善治)著者曰く直感とは、こういう方向でやればいい、こういう道順で行けばいいと瞬間のうちに腑に落ちる感じであり、自然に湧き上がり一瞬にして回路をつなげてしまうものだといいます。ただし、この一連の流れは最初に見えた策略を勢いに任せて仕掛けることではなく、深い思考の中で醸成される読みと現状を俯瞰して見る大局観を備えた多角的視野に立つことで自然と湧き上がってくると解釈しました。今まで読んできた本から総合しても直感は、変に考えすぎることがないため迷いも邪心も疑念も不安も入る隙がなく、さらには理由付けの自己正当化もなく最善な手段に辿り着くものだと思っています。その分鍛えるのも難しく直感を磨くには時間がかかりそうですが、数多くの場数を踏むように努めます。道をひらく(松下幸之助)心の在り方、個人の在り方、社会の在り方、国の在り方まで人として忘れてはいけない持つべき指針をわかりやすく説いた随想集でした。言わずもがな万人共通の思いに改めて一石を投じ、多岐にわたる人道的な見地を1ページ1ページに目まぐるしくも穏やかに記されていました。中学高校の時期に読みたかった箇所もあれば社会に出て働き出すときにも読んで力になる箇所もあり、どんな時期にも読みやすい本だと思います。編集者という病(見城徹)以前読んだ著者の「たった一人の熱狂」で感じた熱量を再び味わうために、本書を手にしました。数々の作家や音楽家等、その人らの作品によって自分が心動かされ、この人と一緒に仕事がしたいと思った相手と対峙し、作家と編集者の業務上の希薄な関係を飛び越えて切れることのない深い友情へと結実させる。ベストセラー作品を次々と世に出し圧倒的な成果を出し続ける著者の原動力となる秘めたる胸の内には学生運動の際の葛藤が渦巻いていたそうです。著者は高校大学時代、学生運動で同世代が死を恐れぬ覚悟で自らの信念を貫いて散っていった姿を間近で見ながら自分にはその覚悟がないまま進学の道を選んだやるせない気持ちがあったとか。その気持ちを何十年も経った今でも持ち続け、苦境にはその記憶を思い出しては奥平剛士らのやったことに比べれば大したことはないと思うのだそうです。当時の同世代に対する強烈な刺激が著者の魂を駆り立てる永久不滅の起爆剤になっていたようです。昔の人は腹の据わり方が今とはまるで違うような気がします。脳内麻薬(中野信子)依存する対象が違えどそれらに接している時には必ず快楽物質のドーパミンが放出され、刺激を繰り返すたびに受容体の神経細胞が減少し、依存の頻度や量が増えてしまう。簡単にこのような仕組みでアルコールやタバコ、薬物依存性患者が生まれるのだと分かりました。依存、ホルモン、神経、脳など少し専門的な分野まで羽根を広げて快楽の正体を追っています。私は以前から人と接するたびに、脳に飼い慣らされているなとよく思っていました。と言うのも、自制が効かないことや依存対象に囚われすぎていること等、他にも思うところが多く、目先の利益に飛びつく獣のように見えたからです。とは言っても獣ほど野心的ではないのですが。ある意味、本書で脳内のホルモンが動力となり心も体も動かされていると知り、持論の肉付けになりました。言ってはいけない(橘玲)IQ、性格、精神病の遺伝など他の本ではあまり触れられていないテーマをエビデンスに基づき論じています。本書を読んで自分を形作る多くの要素が遺伝の影響を受けていると思いました。しかし、生まれながら人より受容体の数が少ない遺伝子を持っているために、生涯を通して受ける得失はその人個人ではどうしようもないことだという捉え方はあまりにも希望がないように思います。何かにチャレンジしている時に、幾度となく失敗を重ねても自分には才能がないと思いたくないですし遺伝的才能というものがあったとしても、超高次元の世界で発揮されるものだと思っているので本書の遺伝率の数値も見てもなお、努力すれば結果は出るという認識でいます。どこかのミュージシャンがどれだけ努力しても思い通りにならず、それでも続けても叶わず、自分が死ぬ直前になってようやく言える言葉が「自分には才能がなかった」なんだと言っていたのが印象的でした。 

■山崎里奈 
銀の匙(中 勘助)細かい描写や独創的な言葉の表現により、知らないはずの時代の生活風景や心情を感じられた。科学者と世界平和(A・アインシュタイン)アインシュタインと旧ソ連の科学者たちの対話と、物理学の探究について記された本。1947年にアインシュタインは「自分たち科学者が国際的組織問題を解決する能力に欠けているために、技術開発の進歩が平和を脅かす危険に貢献することになっている」と述べている。そして平和を維持するには、超国家的な権威の樹立が必要だと主張した。対話と探究どちらの話においても、科学者たちが、対立する考えを持つ相手のことを全面的に理解しようと努める心掛けを前提においている点が印象に残った。アインシュタインが相対性理論に着想しながらも量子力学への疑念を持ち続けたように、相手の目を通して世界を見られることが知的振る舞いを可能にすると学んだ。代表的日本人(内村鑑三著/鈴木範久訳)西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人について書かれた書。全員に共通している点は、人の心を動かすほどの誠実さや覚悟、その行動力、自然や天との対話、知識や学問よりも徳を重んじる考え等だと感じた。特に印象的だったのは、二宮尊徳が公共事業にあたる中で国が飢餓に直面した時のこと。殿様直筆の文書がなくては城の倉庫を開けられないと言った役人に、尊徳は「領民を忠実に守るべき身の我々は、領民が食物を絶たれているように食を断ち、使者が帰るまで当然断食をして待たなくてはなりません。」とこたえた。尊徳により即座に倉庫は開かれ、救済は直ちに着手された。時代背景が異なるにせよ、今の状況に重なるものがあると思った。生物から見た世界(ユクスキュル,クリサート著/日高敏隆,羽田節子訳)生物から見た世界について知っていきながら、人間から見た世界についての固定観念が人間にはあることに気が付いた。視空間には最遠平面という限界があり、全てを包括する世界空間は共通認識のためのフィクションに過ぎないこと。一瞬の長さは生物によって異なり、人間とカタツムリでは時間の流れが違うことなど。そして、環世界の特性を認識できない以上、他者の環世界を認識することはできない。 

■小林俊賢 
ハムレット(シェイクスピア)どんな理由であれ人の不幸を願ったら負けだと思った。それ以上に自分の幸福を願うべきだと考える。人生は選択の連続で初めは何とかやり直せるが、行きすぎると複雑な迷路に迷ってしまう。後悔のない選択をしようと思った。変身(フランツ・カフカ)自分と言う存在は他者との関わりがないと存在することができないのだと実感した。人間は所詮一人では生きていけないのだと考える。自己満だけでは人間は完結せず、ほとんどが他人からの評価で成り立っている。自分と他人との関係を考えさせられた。沈黙の春(レイチェル・カーソン)人間は自然の一部なのだと実感した。人間が自然と共存しようとせず、支配しようとする自然破壊が今でも続いている。世界中の人間自身が、人間の在るべき場所を破壊していると意識するべきだと考える。自分の行動が生態系にどう影響するのか考えて行動していきたい。自省録(マルクス・アウレーリウス)自分の人生をどのような考え方で生きるのが正しい生き方かを教わった。全てに対してではないが、多くのことが参考になった。神と言う超自然的存在を信じているからか、当時の暮らしとの文明の差か、考え方が根本的に違う部分があった。私達は、文明の発展により本当の生き方と言うものへの考え方を侵されているのかもしれないと思った。私達とはどのような存在であるからして、どのような生き方をすべきなのか、常に考えさせられた。孫子(浅野裕一)何事も準備が全てなのだと改めて感じた。この本は戦争における戦略を説いている本だが、まず戦わないことが前提だと言っている。争いは問題解決の手段の1つに過ぎず多くの場合、犠牲が伴う。あらゆる手段を使い、無駄な犠牲をいかに無くすか。これは人生においても言えることだと考える。英国流旅の作法(中島俊朗)ヨーロッパでは昔から、旅は教育として用いられてきた。私達は未知のものを追い求めて旅立つのに、結局いつも見出すのは自分自身のことである。不思議である。旅をし、様々な風景を見て、文化に触れることは自身の人間としての成長に欠かせない要素の一つであると考える。これからも世界中の自然や風景を見ることを目標にして、常に意識していきたい。ベートーヴェン巨匠への道(門馬直美)どんな困難があっても、自分の追い求めているものにどれだけ熱中できるか。それがその人と人生の価値を左右するのだと考える。作品には自分という人間が出るため、自分を鍛えることが大事である。オーヘンリー傑作選(オーヘンリー)短編集の巨匠と言える。どれもユーモアがありひとひねりされていてオチもある。面白かった。オーヘンリー自身が順風満帆な人生ではなかったことが作品にも表れている。キャラクターの個性などに頼らず物語の流麗で引き付けられたことはすごいと思った。幸福論(アラン)幸福になる術を知った。基本ネガティブに考えないこと。自分が良い状態だと演じること。など今まで実行してきたことやしてこなかったことの区別がついたため、やってきてこなかったことを実践したい。不思議な少年(マークトウェイン)人間のことを悲観主義に捉え、良心があるからこそどの生物よりも愚かな存在だということを語っていた。しかし、唯一の良い点として笑うことのできる偉大さにも触れていた。人間はどうしようもなく愚かだからこそ人生は考え抜く必要があると考える。賢人の知恵(バルタザールグラシアン)賢人と愚者の違いを把握することができた。会話や、駆け引きなどで意識していなかった部分を正された気がする。冷静な視点で現実を見つめ、思慮分別と洞察力を持って柔軟に物事に向き合うことを学んだ。それが自分を見失わずに本当の意味で成功を手にする鍵だと考える。学問のすすめ(福沢諭吉)前半が学問がもたらす日本への影響、後半が生き方についてだった。実学、つまり目に見える学問を学ぶことで国家運営に大きく影響すると知った。全ては国の発展が目的であり、そのためにはニュートンやエジソンのように個人の人民の力が不可欠。そして判断力をつけるためにも学問をすることが求められる。私は結局は人生において何事も学ぶ姿勢が大事だということだと考える。車輪の下(ヘルマンヘッセ)人には他人からの期待に応えようとする一面、自分のやりたいことを貫き通したい一面がある。これらはバランスが大事で、どちらか一方に偏ると不幸にならざるおえない。この本では自分のことより友人のことを選んだ結果、落ちこぼれになってしまった。つまり周りの環境や教師が1番このことを考えて、接して、育て子を教育しなければならない。この本はかつて、その時代の社会や伝統、神学、権威などに打ち破れた著者の怒りが集約されていた。五輪書(宮本武蔵 鎌田茂雄編)宮本武蔵が最後に書き残した兵法の極意についての書。利益を求めないこと。様々なことを経験し習得すること。常に平常心でいること。先手を取ること。など、人生という強敵に勝つ知恵が詰まっていた。自分も万里一空の境地を目指して生きていきたいと思った。グレートギャツビー(フィツジェラルド)この話は、華麗なるギャツビーと言う映画で実写化されたことがある。精神的豊かさを持った人たちが、お金という物理的豊かさに飲まれた人達に自然と不幸にされる物語だ。この本は精神的豊かさが欠けている人にならないように、自らの手で自分にとっての精神的豊かさを見つけて、手に入れる必要性を説いているように感じた。陰翳礼讃(谷崎潤一郎)電灯がなかった京都は違う日本が持つ、本当の風雅と言うものを学んだ。日本人や日本の漆食器、日本食、着物など電灯の無い灯籠などを使っていた暗闇の世界に順応するように作られている。日本人を日本人たらしめるのは暗闇なのだと知った。西洋からもたらされた便利な知識は大いに役立つが、その分に失ったものもあることを承知しなければならないと考える。ガリヴァー旅行記(スウィフト)この本は人間への風刺小説だ。主人公が様々な島に辿り着き、そこで出会うものたちが人間の様々な愚かな部分を表現している。人間の不公平さ、趣味の悪さ、視野の狭さ、独占欲、無駄な食欲、嘘をつく習慣、人を疑う性格など著者は人間を批判して、嫌っていることが感じられた。それと共に、このようにはなるなと言うメッセージでもあると考える。人間はなぜこんなにも愚かな部分が多いのか、なぜ理性というものが備わっているのか、など一層、興味が湧いた。論語物語(下村湖人)何事もただ学ぶのではなく、自ら学ぼうとした上で深く考え、実行しようとする姿勢が大事だと考える。人間はなぜか人より優位に立とうとする習性がある。どうしても人と比べて、お金を欲してしまう。エゴが勝り、自分のためが最初に来てしまう。質素に生き、人のためを考え、天命を信じる。そして、ただ、自分の道を行くこと、平凡の中の非凡に生きることが、人生を謳歌する秘訣なのかもしれない。清水建設の社是が論語と算盤なのが少し気になった。ドイツの大学(湖木守一)ドイツの大学はかつて荒れていた。大学の教育制度が成り立っていなかったなど様々な理由はあるが、酒や暴力、決闘、政治運動などのデモが多々起こっていた。大学教授にも問題があり、生徒からのインセンティブで生きていた時代だ。そのため、他の教授が大学に入ってくると競争となるため、学部教授会と言う大学の組織は仲間内で優位になるよう勝手に教授陣を決めていた。その結果、大学や研究の進みが廃れた。それを救ったのが文部省だった。文部省は大学の教授制度を一旦に担った。そこで、アルトホーフという人物が類稀なる才能を発揮しどの大学に、どの教授を入れるのか、私教授から助教授、助教授から教授へのランクアップなどの制度を的確に支配した。その結果大学ごと、教授陣ごとの競争が始まり研究の進歩、科学の進歩を達成した。大学としても結果、良い形となった。いかなる制度といえどもそれなりの利害得失を持っている以上それを利に変えるか、害に変えるかはその制度を担う具体的な人間の問題である。その人間問わずして、いかなる制度も神聖化することはできない。果てしなく美しい日本(ドナルド・キーン)日本の今までの変わったものや変わらないものが知れた。日本社会の状況や生活の価値観等、既に歴史になったものも多々あったが、本質は変わらないと考える。儒教や仏教が深く日本人に根付いているため、さまざまな場所で昔ほどではないが上下関係や家族関係、が日本には大きく関わってくる。キリスト教など西洋の個人、自由の文化が入ってくるにつれ、直ぐに様々な文化や技術を吸収して今の日本が出来上がった。この西洋の文化のおかげで少なくとも私はかなり暮らしやすくなったと考える。清潔で礼儀正しい性格、日本の芸術の素晴らしさは変わっていないが、家族中や組織での生まれつきの階級やプライバシーへの意識やエロなどの娯楽、労働、食、教育に関しては全く違うものになったと言える。何か日本に変化が起きた時は戦争が深く関わっていたと考える。茶と美(柳宗悦)茶道は人間を高めるための道である。それは道とつくもの全てに言えることである。自然の美、不完全の美、自由の美、非対称の美、質素の美など日本には美が溢れている。それを見つける眼力と自由さが現代の日本人には足りない。お金の力より本質を見極める眼力を、お金の自由よりも心の自由を身につけるべきである。聞いたりネットを見るのではなく実際に見ることの大切さも実感した。魚食の民(長崎福三)日本人と魚は海に囲まれた国であり、寒流と暖流が交じり合う場所からして長い付き合いである。魚は筋肉硬直が終わって緩んだ時が1番美味しいらしい。獲ってから5から24時間以内だそうだ。かつ、産卵期前なら尚更美味しいらしい。種類によるが多くの魚は冬から春先らしい。東京に住みスーパーで買って食べるのは便利な時代だが、美味しさに欠けるのが事実だ。魚は旬と、地方と、新鮮さが味を決める。その場所と時に食べなければ魚の味は評価できないと感じた。鯨は日本には昔かなりの数がいたらしいが、日本とアメリカの乱獲によりほぼいなくなってしまった。現在は海域の制限や、無駄な乱獲、海の汚染、埋め立てなどで瀬戸内海を除き、魚の種類、量が激減した。縄文の時代から漁業を生業にしてきた私達は魚の生産の面でも消費の面でも知恵を絞らなければならない。今は養殖や輸入に頼るしか無いが漁業の景気が良くなることを願う。ストレスと自己コントロール(平井富雄)今の時代、特に日本にはストレスが満ち溢れていることを実感した。不安や恐怖、妬みや劣等感などの負の感情から鬱病になることが多い。常にポジティブに考えること、ポジティブに変換したり、連想することを日常的に行う必要がある。多様性で満ち溢れた考え方と心を持つこと、つまり本を読むことが欠かせないと考える。心と体は繋がっているため、体をまず大事にすることも重要である。コンピューターは意外と人間にストレスを与える。コンピューターは仕事で人間がやることを減らす。仕事を生きがいとしている人はその生き甲斐を半分取られてしまい、他に生きがいを見つけなければならなくなる。それに加えて、コンピューターが割合を占めてくると、男女の差別をする必要がなくなる。女性同士の競争も激化し、男性との衝突が増える。コンピューターを使うためにはさまざまなことを覚えなければならない。そしてコンピューターに追いつかれまいと人間はさらに努力する。気付かぬうちに人間がコンピューターに使われてしまう状況になる。コンピューターを使うことは便利なことだが、決して立場を逆転させてはならないことを忘れてはならない。二重人格(ドストエフスキー)この物語は、非常に読んでいてつまらなかった。しかし、内容には深いものがあったと考える。劣等感に溢れた自分の性格の反対の性格のドッペルゲンガーが突如現れ、自分の周りで普通に同じ人間として生活し、主人公が勝手にどん底に落ちていくと言う物語だ。この世は他人の恩恵なしでは生きていけないことと、人と比べるとろくなことにならないことが書かれていると考える。この世には劣等感に溢れているが、野心は人一倍あり、本当なら出来たんだと自分の弱さを認めず停滞している人たちがいる。自分の弱さを認めることは世を渡る上で大切な力だ。他人より劣っているなど気にすることでは無い。本当は自分の方ができるなどのプライドにしがみつくのなら、他の何かでカバーするか、どうしたら治せるかを気にするべきだ。私たちは競争するために生まれてきたのでは無い。幸せになるために生まれてきたのだから。誰のための仕事(鷲田清一)人は仕事と余暇を分ける癖がある。仕事とは辛いもの、余暇とは遊びで楽しいものと。この対立を超越すべきである。つまり統合するべきである。仕事はやりがい、社会と他人への貢献度、楽しさ、自由さを兼ね備えているべきである。余暇の中でもスポーツは真面目に取り組むものだし、きついものでもある。だが楽しい。ゲームは今や仕事となる。家事はもはや仕事である。ボランティアはどうか。様々なものを様々な定義をして分けているが、全ては人が何かしらの目的のために活動すること、それだけで良いのでは無いか。行き過ぎた分割は差別や悪い点を強調してしまう。それに加えて生産性を重視する癖がある。よく人は無駄な時間と口にする。その時間を自分の成長や仕事、手伝いに使ったりする。それは逆に不幸への1歩なのではないかと考えさせられた。心の余裕の無さを実感した。この不幸という言葉も、幸せと対立に定義してしまうから生まれてしまい、意識してしまうのでは無いか。ソクラテスの弁明・クリトン(プラトン)自分の無知を自覚することができるものこそ本当の知恵ものである。同感だ。実際人間はこの世界の1%も分かってはいないとアインシュタインは言っている。この世界を神だとするなら神からしたら私達は何も知らないに等しい。それなのに所詮人間の中でだけ知恵があることを粋がることはとてつもなく愚かで恥ずかしいことだ。ソクラテスのように死ぬ時に、偉人たちと話すことができるから、人生でも少ない夢の無い眠りだからと、徳をした気分になれると本気で思えるようになりたいものだ。国家には従わなければならない。なぜならその国家を出て行かなかったのは自分だから。最もだ。自分で行動できたのに結果に文句を言うのは言語道断だ。しかし、なぜソクラテスは出て行かなかったのか。なぜ理不尽な理由での処刑に対して、おおらかでいられたのか。私達は国家について悪いイメージを強く持つ人が多いが、良い意味で国家とは何か、また一種の国家でもある集団や小さなグループとは何かを考えさせられた。表現の技術(髙崎卓馬)さまざまな感情は、小さな驚きや裏切りから生まれるものだと知った。人の感情を動かすにはまず驚かせることを意識して生きていきたい。人になにかを伝える時はどれだけ相手の感情を揺らすことができるかで伝わり方が違ってくると思う。罪と罰1(ドストエフスキー)人を殺すことは自分を罪悪感に支配されることをいう。少しでも罪悪感という概念があるなら人は殺さないほうが良いと思った。武士の時代や戦争は多くの人の命が亡くなった。昔の人達は死が身近にあったが現代は疎遠でつまらなくもある。しかし、昔は生き様に満ち溢れていたと感じる。死への考え方は生き方を左右する。様々な生き方があるが後悔のないように生きたい。ポジティブで心に余裕を持ちつつ目の前にあることは全力で取り組む生き方を楽しみたいものだ。罪と罰2(ドストエフスキー)百の利益を得るため、人類の進歩のためだったらいくつかの命を犠牲にしても良いと言う考え方が出てきた。利益は必要だが大事ではないことに気づいていないのだろう。利益は自分のため他人のために行動した結果ついてくるもの。お金と一緒で利益も勝手にやってくるものだと思う。主語を利益、お金にしてはならないのではないか。考えることは大事だが、最近お金について考えすぎだと自分で感じる。その時点でお金にとらわれているのではないかと思う。まだまだ未熟だ。お金のことはしばらく忘れたい。罪と罰3(ドストエフスキー)やっと読み終わった。犯罪心理学的な小説だった。当時の博打好きでお金がなく借金ばかりしていたドストエフスキーの生活やペテルブルクの情景が脳裏に浮かんだ。実存主義というのもありリアリズムや現実逃避に焦点が置かれていたと思う。死刑判決を受けた後に出来た作品のため、死への恐怖への向き合い方や生への執着についても感じるものがあった。まとめると精神の混沌と人類との隔離がもつ恐怖について描かれていたのではないかと考える。罪とは何かについて深掘りしたくなった作品であった。私の個人主義(夏目漱石)夏目漱石は若い頃は自分の軸がなかったようで苦労したようだ。その大切さに今自分は気づけていて良かった。職が増えすぎて競争意識が生まれ専門性が高まることは1人で世を渡る力がある人間を作らない。職は言うなれば細いが深い針だ。知識は深いが面が狭い。面を広くするためには読書をすること。それでも建築という分野は広い方だと思う。崇高な倫理観を持たないものに個性や権力、お金を持つ資格はない。個性は尊重すること、権力には義務、金力には責任が伴う。夏目漱石は世の中を俯瞰してみていた。何事も広く見て、考えるべし。道徳の系譜学(ニーチェ)偏見や固定概念が全ての起源への考察を妨害していると感じた。人間は苦労したがる。苦労ではなく何のために苦労するのかがわからないことに苦しむ。なによりも理由を求める性質がある。この起源はニーチェによると禁欲にあるらしい。それが正解不正解かではなくどれだけ考察を広げられるかが人それぞれの価値基準や道徳の幅を拡大して人間として成長していくのではないかと思う。気付いたのだが、日本人の道徳は海外とは違い倫理観がどうとかではなく、その行動や言葉、物事が美しいか美しくないかで判断しているのではないか。 ■白渡尚弥 ねじまき鳥クロニクル1編(村上春樹)ねじまき鳥クロニクル2編(村上春樹)ねじまき鳥クロニクル3編(村上春樹) 殺戮にいたる病(我孫子武丸)この作品は、野部研究室の小林から紹介してもらったものです。この本は、最終的に作者の人物像に対するトリックで読者を欺く作品になっています。この本を読んで考えさせられたことは、世の中には死に対する憧れを他人に向けてしまう人が異常者と捉えられることです。自分は理解が浅いのでもう一度読み返してみようと思います。その時にまた違った考えが出てくるのではないかと思います。他の作品でも似ていたことが書いてあり、印象に残っているので備忘録として載せておきます。ノルウェイの森「死は正の対極にあるものではなく、うちに潜むものである。」建築設備新思想大系(野部達夫)この文章は、読書中に強く共感して、勢いのままに書いています。122ページの自己効力感についての文章は今までの空調設備おいては、自分の不快感に関する明確な答えが書いてあるようで感動いたしました。受動的な空調でのバカンスのたとえも秀逸だなと感じました。自分が考え抜いた思想は、本を開きさえすればいくらでも書いてある。自分で考え抜いた心理であればその100倍もの価値がある。なぜ? 1自分のいままでの経験と強く結びつき、自分にとって不可欠な一部として活用できるから 2その心理の(色彩、色調、特徴)からしてその人にあっているから。 3 1より忘れることがない例え話 読書  読書で生涯を過ごした人は、旅行案内所を熟読した人と同じで、その土地に関する情報を持ち合わせている 思想  自分でその土地を旅した人はその土地の真の意味をしっている。(自分のために思索するひと真の哲学者、自らのことを知り思索を楽しんでいる人のこと。(他人から思想化と思われたがる人思想を他人にばら撒き、名声の中にのみ幸福を求める人。読書について 最近、売れている本、多数の読者が読んでいる本に、手を出さないこと 出版と同時に造反を重ねる本は特にアウト そのような出版物の寿命1年 いろんな国の、いろんな時代の卓越した本のみを熟読するべき そのためには、悪所を読まないべき(さっきあげたもの)※悪所は精神の毒薬 人生は短く、時間と力には限りがあるから。グレート ギャッツビー(フィッツジェラルド)この作品の主人公でもあるギャッツビーは若い時代の夢を叶えるために、精神の向上を心に決めて節制している描写がある。しかし、このギャッツビーの精神は塗り固められたものであって簡単にボロが出てきている。この作品を見て、精神の成熟には、自分は節制だけでは足りない複雑なものであると感じた。好きな一文p.288「海にものを捨ててから、どうせ海が流してくれるとは考えたくない。」ニック・キャラウェイ。フラニーとズーイ(サリンジャー)この作品では、アドラーの心理学における他者への介入はできないという考えが宗教的に描かれているように感じ取れた。フラニーは大学のクラブや教授が“エゴ”でまみれていると考えて気が滅入ってしまう。しかしそれは間違っていると兄弟のズーイに指摘される。(この指摘は破壊的といってもいい)全てを同一視しても意味がないと。好きな一節p288「他人がどうこうなんて、そんなこと考える権限は君にはないんだ。」ズーイカラマーゾフの兄弟1(ドストエフスキー)カラマーゾフの兄弟は4冊からなる長編ですが、その1を読んでの感想を書きます。この本で興味深いと思ったのは、フョードルという男でこの男は自分のことを根っからの道化者と語っているが、その反面、言うこと一つ一つがどこか筋が通っている。フョードルは寝る前に2時間から3時間も考え事をする習慣がついており、故に自分なりの思索を持っていると思った。好きな一文p.111「大事なのは自分に嘘をつかないことです。」無気力の心理学(波多野余夫)無気力を回避する条件は、自分で自由選択をし、その上で内的評価を大切にして行動することが大切である。自分の中でこういった経験は一度あり、資格の勉強の際に自分なりのやり方で学習をしていたらうまくいったことがあった。この経験を裏付ける事が本の中で語られていたのが印象的であった。これからも同じように自己決定と内的評価を大切にしよう。カラマーゾフの兄弟2(ドストエフスキー)前回の続きになるが、今回も新しい発見があった。カラマーゾフの兄弟の三男のアリョーシャと次男のイワンの会話で、神についての話し合いがなされている。(カラマーゾフの兄弟の源泉は聖書にあるのかもしれない…。)無神論者のイワンからすると、神がいるかいないかという問題は、三次元だけの概念しか与えられずに創られた頭脳には、似つかわしくない。と語っている。この考え方は、浅学非才の自分にも理解できました。頑張ってあと三冊読みたいと思う。好きな一文p.223「理想のためみたいな、高尚な苦しみには慈善家は認めちゃくれない。」論語と算盤(渋沢栄一)渋沢栄一の考え方の根源にある論語と、その時代における日本や実業家についての見識が書いてあった。就活をしている今の時期に読むことができてよかった。特に、渋沢栄一の言う武士道の精神や道徳は見習うことが多い。「物事の本質は成功や失敗ではなく、なすべきことの達成を心がけなければならない」この言葉で、自分が全く道徳を知らないことを思い知らされた。結果は副産物のようなものなのかも知れない…。好きな一文p101「貨幣はモノを代表することができるのだから、ものと同じく大切にするべきなのだ。」カラマーゾフの兄弟3(ドストエフスキー)ついにカラマーゾフの兄弟の作品も折り返しまで来た。現代の小説の長編とは違い、なかなか読み応えがある。カラマーゾフの兄弟は第三篇まで読み進めても4人兄弟の3日間しか描かれていない。これは自分の中では驚くべきことであった。物語に出てくる脇役でさえも繊細に描かれており、その人物の価値観までも垣間見ることができる。物語のクライマックスが気になる。もう少し深く読むには、読解力の低い自分は二周は必要であると思う。好きな一文p41「常日頃からあまりに分別くさい青年というのは、さして頼りにならず、そもそも人間として安っぽい」できる人は長短眠!(堀大輔)今回は、野部先生が好きではないHOWTO本を読んでみた。この本に書いてあることは、睡眠の論文や研究が書いてあり、新しく知ることもあった。しかし、この本に書いてあるやり方は参考にせずに、自己決定と内的評価を基準に試行錯誤してみたいと思う。 

■鈴木理方
草枕(夏目漱石)言い回しが難しく内容を理解するのが大変でしたが、夏目漱石の西洋の詩についてや非人情の世界に行こうとする主人公の心情や価値観を物語の会話や作中の主人公や登場人物の行動の中で描かれており、とても面白い本でした。ギリシア神話(高津春繁訳)ギリシア神話は、よくゲームや小説でも出てきており、結構メジャーであると思うのですが、自分自身実際に詳しく読んだことが無く、岩波文庫が出版していたので、ちょうどいい機会だと思い、購入しました。読んだ感想としては、とにかく神々の名前が多く出てきて、それぞれが何の神なのか覚えるのに苦労しました。また、読んでみると、物語形式ではなく、ただ起こったことを淡々と書いてあるだけでしたが、私が知っている名前や神話の内容が多少違ったり、より詳しく書かれていて面白かったです。 

■鶴見優歩 
人間失格(太宰治)この本は小さい頃に一度読んだことがありましたが、そのときにはならかった不思議な気持ちになりました。私は、今では葉蔵の人間恐怖が理解できます。自分で相手の性格を理解しているつもりでも、自分が思っているものとは違う裏の性格を知ったとき、恐怖を感じたことが何度かあります。しかし本心とは異なった言動をとることは誰しもあることです。私も慣れない環境で自然と明るく振る舞ったりすることはよくあります。これは中学生、高校生と徐々に身につけていくものであると思いますが、葉蔵は幼いころからこのことに気づいて自分を道化していました。私は、これまで生きてきた環境、関わってきた人物は本当に人それぞれであるし、それが自分の性格や言動に強くつながっていくということを改めて感じました。これからの人生まだまだ多くの出会いがあると思うので、ひとつひとつの出会いを大切にしていきたいです。 

■堀口亮祐 
大河の一滴(五木寛之)生とは何か、死とは何か、病とは何かについて考えさせられるものであった。現代人の抱える闇や不安などと行ったネガティブな要素を仏陀や親鸞などの過去の人物と対比しながら、作者ならではの視点で述べられていた。現代を生きる我々に大切なことは何かを考えさせてくれるものであった。記憶喪失になった僕が見た世界(坪倉優介)記憶喪失というものを通して人間が成長していく姿や人の温かさを感じる作品であった。主人公が記憶喪失になってしまった後に再び成長していく姿を見て自分も一生懸命に生きなければいけないなと感じた。また今健康に生きていることに対してのありがたさや大切さを痛感させられた。 

■前川一郎 
ひみつのダイアリー(みうらじゅん) 打撃投手 天才バッターの恋人と呼ばれた男たち(澤宮優) 東京百景(又吉直樹) いやよいやよも旅のうち(北大路公子) 日報隠蔽 自衛隊が最も「戦場」に近づいた日(布施祐仁・三浦英之) 偏差値70の甲子園 僕たちは文武両道で東大も目指す(松永多佳倫) すき焼きを浅草で(平松洋子) 愛してるよ、愛してるぜ(安部譲二/山田詠美) 2020年・米朝核戦争(ジェフリー・ルイス 土方奈美訳) 昭和の名騎手(江面 弘也) 筒井康隆、自作を語る(筒井康隆) ことばの波止場(和田誠) 日航123便 墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る(青山透子) 清原和博 告白(清原和博) あのころ、早稲田で(中野翠) 令和の巨人軍(中溝康隆) スピンクの笑顔(町田康) もっとヘンな論文(サンキュータツオ) ノン・サラブレッド(島田明宏) 新編「終戦日記」を読む(野坂昭如) ぼくが戦争に行くとき(寺山修司) そのへんをどのように受け止めてらっしゃるか(能町みね子) 捜査一課秘録 伝説の刑事が証言する昭和・平成 凶悪事件の内幕(別冊宝島編集部 編) 建築設備新思想体系(野部達夫) 短歌ください 明日でイエスは2010才篇(穂村弘) 表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬(若林正恭) 字が汚い!(新保信長)自分の字の汚さに、今さらながら愕然とした著者(52歳)は考えた。なぜ自分の字はこんなに汚いのか、どうすれば字はうまくなるのか、やっぱり字は人を表すのか……。手書き文字をめぐる右往左往ルポ!ぐるぐる博物館(三浦しをん)博物館が大好きな著者が、まじめに、ときに妄想を膨らませつつお宝や珍品に迫る。人類史、鉱物、漫画、服飾、地場産業、伝統工芸……さまざまな世界と人間への情熱と愛と好奇心に満ちたルポエッセイ。激動の昭和名馬列伝(中川秀一)故・吉田善哉氏などの大物ホースマンと交流し競馬シーンを内から見続けてきた。激動の昭和日本の世相と空気とともに数多の名馬たちが躍動した時代を綴る。461個のお弁当(丸山智)妻と別れ、シングルファーザーとなったミュージシャンの一樹。一浪の末、高校生となった息子・虹樹。虹樹の高校生活が始まるにあたって、二人は男と男の約束を代わした。「3年間毎日おべんとうを作ること」「3年間休まず高校に通って卒業すること」。こうして、一樹の怒涛のおべんとう作りが始まった。高校生ワーキングプア「見えない貧困」の真実(NHKスペシャル取材班)スマホを持つ一見普通の高校生が,親に代わって毎日家事をこなす。彼らのSOSはなぜ見過ごされてしまうのか? 働かなければ学べない高校生の声を集め、この国の隠れた貧困層の実態を浮かび上がらせた切実なルポルタージュ。パンダの丸かじり43(東海林さだお)週刊朝日の超長寿連載「あれも食いたいこれも食いたい」の最新刊。かっぱ巻きの時はよい時/パンダかわいや/鶏むね肉の“向き""/ビビンバはラテンの匂い……。/定番シリーズ第43弾! 昭和プロレスを語ろう! (小佐野景浩,二宮清純)昭和プロレスの生みの親,力道山。その遺伝子はG.馬場・A.猪木へと受け継がれ人気は絶頂を迎える。団体分裂の中で,藤波・長州、鶴田・天龍が登場し,タイガーマスクによって終焉に向かう昭和プロレス。あの時代の熱気と舞台裏を語り尽くしたファン必読の書。一発屋芸人列伝(山田ルイ53世)やがてブームは終わり,世間は彼らを「一発屋」と呼んだ。自身も一発屋芸人と呼ばれた著者が,コウメ太夫・ジョイマン・波田陽区・キンタロー。・スギちゃんなど12組の芸人に取材。不器用ながら一歩ずつ前に進むそれぞれの今に迫る。 一九七二「はじまりのおわり」と「おわりのはじまり」(坪内祐三)札幌五輪・あさま山荘事件・ニクソン訪中など,エポックメイキングな数々の出来事で彩られたこの年は,'64年から始まった高度経済成長の激しい変化が完了し,大衆化社会へと突入していく戦後史の分水嶺となる一年だった。ツベルクリンムーチョThe cream of the notes 9(森博嗣)社会からも人からも、いつも多めに距離を取っているベストセラー作家の目から見たコロナ禍の日本とは。もやもやしていたことが一気にクリアに見えてくる明快エッセィ100編。世界全体会議(みうらじゅん,宮藤官九郎)みうらじゅんと宮藤官九郎が、世界中の誰もが疑問に思いながらも曖昧なまま放置されてきた""難題""について、人類を代表して語り合う。〝知と恥〟のくだらなさの中にこそ人生の真理を見出していくための知恵が満載。野球にときめいて 王貞治、半生を語る(王貞治)「人生、いい時ばかりではなかった。でも、不満だったことはない」。真摯な言葉に秘められた強いメッセージが胸に響く半生の記録。野球は人生そのものだ(長嶋茂雄)王さんを読んだら,チョーさんも読まねばならぬ。現役時代、二度の監督就任、そして闘病とリハビリ生活についてもふれた最新自伝。FAKEな日本(森達也)報道をはじめ、表現の自粛と萎縮は終わることなく続いている。撮影したいテーマはことごとくタブー視され、発表媒体が限られていく中でも、作品の力で“空気”を吹きはらってきたドキュメンタリー監督が、自粛と萎縮の正体を探る! 

■橘雅哉 
オリジン・ストーリー(デーヴィッド・クリスチャンセン/柴田裕之訳) 精神の危機(ポール・ヴァレリー/恒川邦夫訳)  精神の危機(ポール・ヴァレリー/恒川邦夫訳)  中国皇帝伝(稲畑耕一郎)  夜間飛行(サン・テグジュペリ) 南方郵便機(サン・テグジュペリ) 新実存主義(マルクス・ガブリエル) 建築設備新思想大系(野部達夫) 神曲 地獄編(ダンテ) 神曲 煉獄編(ダンテ) 神曲 天国編(ダンテ) 物語 東ドイツの歴史分断国家の挑戦と挫折(河合伸晴) 時間とテクノロジー(佐々木俊尚)光文社 ドイツ統一(アンドレアス・レーダー)岩波新書 シン・ニホン(安宅和人)ニューズ・ピックス 

■安田健一 
新大陸の植物が世界を変えた(酒井伸雄)コロンブスが新大陸からもたらした功績、ジャガイモ、トウモロコシ、唐辛子、トマト、カカオ、タバコ、ゴムの木。現代社会を支えているのはアメリカ大陸の植物だったのか!フォッサマグナ(藤岡換太郞)日本列島を分断する巨大地溝の正体に迫る。プレートテクトニクス理論に従えば、やがて世界の大陸は日本に集まり1つになる??? あんなに大きかったホッケがなぜこんなに小さくなったのか(生田興克)築地魚河岸の仲買人がズバリ指摘する、日本政府の場当たり的な政策と既得権益!プレイフル・シンキング(上田信行)建築設計プロセスの変革を求めて、上田先生と毎月セッションをしている。この本はその教科書のような存在。漫画のようにすらすら読める哲学予備校の講師が浪人生向けに書いた本。西洋哲学全体の流れが掴めるので、これまでの自分の知識が一本に繋がる!! プレイフル・シンキング、2回目(上田信行)思っていることを外化(文字等で表記する)とメタ認知、省察(リフレクション)の3つが基本!建築設備新思想大系(野部達夫)痛快、サイコー!自身も徒手空拳で臨もう!!" お酒入門(赤池広之)元新聞記者が披露するお酒をちょっと美味しくするうんちく集。ウィスキー編世界の五大ウィスキーの産地と特徴を述べた本。最近はアイラにはまっている。強いピートが堪りません!! 三菱地所設計130周年記念本(新建築編)先日研究室にお届けに上がる機会があって良かったです。暇な時にでも眺めてもらえると嬉しいです。プレイフル・シンキング、3回目(上田信行)人をPLAYFULにする環境の力、PLAYFULなオフィスの実践へ。PROJECT DESIGN PATTERNS(井庭崇、梶原文夫)他人に説明する資料を自分で造る際に、ちょこっと見ると作業が捗る。クリスマスキャロル(チャールズ・ディケンズ)もはや古典。誰もが持つスクルージの人間性!