NOBE Laboratory
My Opinion
cellular


当世携帯電話考
もっと考える時間を!

これはとくに学内の学生向けに発するメッセージです。学外のかたはお気に障るものと推察いたしますので、お読みにならないで下さい。


昨今の携帯電話の普及には瞠目すると同時にいろいろ考えさせられるものがある。携帯電話によって人間の生活が変わるのであれば、包含する建築にも当然その変化が及ぶはずでなので、気が気でない。しかし、より多くの情報を持つことの意義は、ソクラテスが「無知の知」を主張して以来あまり疑問視されていないようであるが、氾濫する情報には必ずしも知に結びつくものばかりではない。さらに人間のCPUがいつもbusyになるため、価値のある情報が入力されてもそのプライオリティを認識できないことにもなりかねない。いつでもどこでも情報の受発信ができるということが携帯電話の特徴であるが、その安直さが禍となることは、大いにあり得る。
それでは同じ呼び出しにしても携帯電話が鳴るのと固定電話で呼び出されることと何がどう異なるのか。近くの電話で人を呼び出すにはその番号を調べたり取り次ぎを依頼したり等、かなりの労力を要する。しかし、この一見無駄とも思える労力が情報の質を高めるハードルともなり、結果的には不要な情報伝達を控えることになる。現在の携帯電話の通話料金が幾らなのかは知らないが、仮に1円になるとしたら世の中は1円の価値の用事で溢れかえることだろう。
情報を咀嚼して知識に昇華する時間がないとは、恐ろしいことだ。車中で無神経に携帯電話を使う人はさすがに少なくなったが、観察しているとこちらからかけていることは稀で、その殆どが呼び出されて応答しているように思える。通話はかける側と受ける側がいて成立するというのに、これは奇妙なことだ。その黎明期には携帯電話を持つことが情報に対して敏感であるというステータスにもなっていたが、もはや自分で考えて情報を発信できない「使いっ走り」のシンボルにも見える。以前、表情は笑いながら言葉で怒るという某氏の芸をテレビで見たことがあるが、面白いのと同時にそのアンバランスな状況に不気味さすら感じた。携帯電話にもその幽体離脱にも似た感覚を覚える。電話の主はどうしても話の内容に相応しい表情と音声を周囲に発散するが、それは自分のテリトリーを認識される範囲まで拡大することにもなり、無意識に均衡を保っていた周囲との個体間距離を侵食してしまうことに他ならない。
情報氾濫時代の花形職業は、IT関連ではなく情報集約の担い手と精神科医ではなかろうか。建築設備を専門とする小生にとって無縁の話でもないので、思うところを無謀にも開陳した次第である。


(010817追記)
小生の研究室では時間と空間を共有することの意義を尊重したいので、学生諸君にはせめて在室時は携帯電話をOFFにするようお願いしている。ところが、電話が命の綱であるかのようなお方にはこのお願いはなかなか受け入れてもらえず、折角対面して話をしていても携帯電話の呼び出し音によって気もそぞろになる学生が後を絶たない。話し相手が上の空では小生も気合いを入れて話をしたくなくなる。ゆくゆくは携帯電話も極小化され、頭の中に埋め込まれる日も遠くあるまい。その節は敢えてOFFにする選択権を行使できなければ、指示に従って動くロボットと化してしまう。(このロボットとは自ら思考する鉄腕アトムではなく、リモコンによって動くだけの鉄人28号のこと。ちょっと古いか?)今から情報の選択権を各自が行使できるようにしておかないと、大変なことになってしまうぞ!