NOBE Laboratory
My Opinion
Everyday


日常茶飯事としての建築

室内で目覚め、街並みを移動し、人と会い、再び室内で眠りにつく。我々の生活はその殆どが建築と関わる場で展開される。いわば建築は日常茶飯事で、建築から受ける刺激にいちいち反応していてはやっていられない、というのが一般のかたがたの感覚と思われる。残念ながら、建築に関係して禄を食む我々のような者ですら、似たような状況であることは否めない。日常茶飯事としての建築的刺激は絶えずシャワーのようにおのが頭上に降り注ぐが、それを受け止める引き出しが頭の中にない、あるいは意識的に閉ざしているために、情報が右から左へと素通りしてしまっている。それらは我が国の建築とそれを取り巻く環境に対する認識を深めるための貴重な情報源であるにもかかわらず‥‥‥‥、勿体ないことだ。そういう意識で改めて建築を見渡してみると、当たり前のようにとらえてきたことに疑念が生じる。たとえば、最小の階高設定にもかかわらず当然のように梁型を隠蔽する真っ平らな天井は、天井懐にデッドスペースをつくるばかりで人間がまとう空間の量を著しく減じているではないか?木製建具の名残でもあるのか高層集合住宅にも当然のように引き違いサッシュが採用されるが、一旦開け放てば突風は吹き抜け、埃、騒音も容赦なく侵入するような開口部を、どうやって快適に使えというのか?等々。それぞれもっともらしい理由があるはずだが、偶には原点に立ち戻って考えてみると、今までとは違う展開が見えてくるはずである。