NOBE Laboratory
My Opinion
Leonard


出でよ!現代のダ・ビンチ

建築はいつの時代から現在のような極度に細分化された分業体制になったのだろうか。設計や施工はもとより、教育や研究に至るまで、スペシャリストという美名に幻惑されて、木を見て森を見ずの状況にある。時間がゆったりと経過し、富と権力が偏在していた過去においてはレオナルド・ダ・ビンチのような統括マネージャーがすべてを咀嚼して建築にひとつの形態を与えていたが、今や各分野の最適解の集合体が建築の理想型であるかのようなあんばいだ。小生は偶々建築設備に関わっているが、幾ら設備が凝っていてもとんでもない建築は腐るほど存在する。人間にとっては建築とは(ある程度の)長期ビジョンの具現化であるといえる。そのビジョンとはスペシャリストの合議によって決まるものとは思えない。ましてや、申し送りで次の担当者へバトンタッチできるほどお気楽なものでは決してないと思うのであるが。
建築は既存の学問体系に当て嵌めて解釈するのではなく、あくまでも人間(複数形)を原点とした極座標でとらえるべき事象であることを再認識したい。