NOBE Laboratory
My Opinion
Scale


建築のスケール感

建築が創り出す空間は第二の衣服であると小生は常々主張しているが、衣服は個人の判断と責任において取捨選択できる物理的、経済的、時間的スケールを持ち合わせているのに対して、建築はそれぞれのスケールが少々大きいという特徴をもつ。とは言っても我が国の風土においては恒久不変の存在ではない。建築にまつわる様々な混乱は、このスケール感の欠如がその一因となっているのではなかろうか。
我々は自由に衣服を選択して着用することができるが、この自由度を建築にそのまま与えた結果は、どこにでも見受けられる雑然とした街並みである。その昔は資材や技術によって制約を受け、あるいは強大な権力によって統率されていた街並みが、今や自由に普段着のファサードを晒すことが我が国では可能なのだ。素晴らしい自由の天地!まるで下着のようなナリでも、平気で人前へ出られる無神経(イヤ失礼、自由!)。
しかし、街並みがチープだからといって、恥じることはない。この街並みにはそれなりの理由がある。美しく古色を帯びない建築を選択したことも、当人にとってはそれなりの理由有ってのこと。これが我が国における建築のスケール感なのだ。このスケール感を構築するものは、その中で営まれる我々の生活であり、それを取り巻く気候風土であるのだ。ただし、げすな小生とてもTPOに合わせて衣服を選ぶことは心得ている。喜怒哀楽が忙しく交錯する人間が少し時間スケールを広げて選択するのが衣服であり、もう少し時間軸を延ばして判断すべきなのが建築であると考える。時間的スケール以外にも建築に対して適切なスケール感を与えてこそ、建築は我々の生活と風土に連続した存在となるのではなかろうか。
COP3に端を発するエネルギー政策から、建築界も「30%の省エネルギー」と「100年の長寿命化」が目標として定められたが、この論議にも建築のスケール感を意識した具体論を導入すべきではなかろうか。