NOBE Laboratory
My Opinion
Torisetsu


取扱説明書の要らない建築を

先日アメリカへ行く機会があって、郊外のホームセンターを覗いてみた。広大な空間にドアから洗面器まで縦横に陳列され、プロに混じって素人も目当ての品を物色している。同一機能の品揃えとしては決して多くはないが、こんなものが売れるのかと思われる品目まで揃っている。これは何を意味するのだろうか?
アメリカの建築の特徴を一言で云えば、「わかりやすさ」であると思われる。平面的にも断面的にもゆったりとした空間においては、我が国のようにジャストな納まりが求められることが少なく、これは設備機器などに関しては誰が見ても理解可能な配置や取り付け方法に反映されている。それは建築がよりニートな存在である我が国においては「無骨」に映るかもしれないが、恐らく小型軽量化が売り物の我が国の機器類と違って、汎用品がいつまでも流通する素地があるのだろう。これは想像だが、数十年前の洗面器が壊れても、今日同じ取り付け金具で新品に入れ替えられるのではないだろうか。言い換えれば建築で使われている技術が等身大で、取扱説明書をいちいち見なくても建築の仕組みが誰の目にも一目瞭然なのである。

我が国では竣工時に分厚い取扱説明書(略して取説)という「理論武装」書が発注者に渡されるが、これは殆どがカタログの寄せ集めで不完全であるばかりか、建物に備わるシステムが複雑で特注品のかたまりになってしまっている。とくに設備設計者には複雑できわどく収まったシステムほどよく考えられて高度なシステムだと勘違いしているフシがあり、とくにグレードの高い建築ほど特注品が多用される傾向がある。しかし、建築はその一生のうちに多くの人が関与して運用されるものであり、設計者の一時の思いこみで複雑怪奇なシステムを渡された人はたまったものではない。消化不良を起こすのが関の山である。設備システムの期待値は、「潜在能力(性能)」と「それが発揮される確率」の積であろう。小生が愚考するに、恐らく前者が大きくても後者が低い建物が多いのではないだろうか。
いろいろな社会情勢ものとでいろいろな人々が関わることによって運用されていく建築としては、極論すれば中途半端なハイテクは有害で、むしろローテクのほうが最終的な期待値は高くなるものと思われる。小生としては、シンプルでブラックボックスのない建築のほうが長持ちするように感じられるのだが。