審査論文要約(掲載順)


ルイ14世治下のヴェルサイユ宮殿第2次増築の沿革について−関連史料の位置付けと解釈をめぐる諸問題−

 ヴェルサイユ宮殿の造営史の中でも、ル=ヴォーによる新城館つまり「包囲建築」の建設をめぐって多くの研究者が議論してきた。しかし、彼らの説の間には、たとえば、着工時期、競技設計に関する事情、着工案について大きな相違があり、これは建設長官コルベールの書いた3文書に日付がないことに大きく由来する。この問題を解きほぐすには、これら先行研究における関連史料の分析を比較することが必要だろう。この結果、着工時期やコンペで選ばれた案についてなど、幾つかの点は整理できたものの、着工案の姿がどうだったのかなど、史料の分析だけでは自ずと限界があり、ル=ギユーが行った実測調査のような別の方法も必要だと思われる。


ヴェルサイユ宮殿鏡の間の天井画の図像主題の変遷が城館と庭園の関係に及ぼした影響について

 ヴェルサイユ宮殿鏡の回廊は、マンサールの登場、離宮から首都へという宮殿の性格の変化、鏡を用いた新しい美学の実践などの見地からも重要な転回点を画したが、本稿ではその天井画計画の図像主題の変遷を追いながら、その意味するところや城館と庭園の関係に与えた影響について論じる。当初、天井画の図像主題は太陽神アポロンを中心としたものだった。そこからヘラクレスの12の功業へと移行し、さらには神話を止めてルイ14世自らが主人公となる。したがって、最初は「太陽神の宮殿」の要として庭園とも密接な関係を持っていたにもかかわらず、最終的にはそれと全く異なる戦争の要素が導入され、全体の調和は保てなくなってしまったのだった。


ルイ14世治下のヴェルサイユ宮殿第2次増築計画の着工案について

 ヴェルサイユ宮殿の造営史の中でも、ル=ヴォーによる新城館つまり「包囲建築」の建設をめぐって多くの研究者が議論してきた。それでも、ルイ13世の小城館を保存するのか否か、また、着工時の計画案の姿について意見の一致をみていない。これは建設長官コルベールの書いた3文書の解釈の難解さに大きく由来し、この問題を解きほぐすには、これら先行研究における関連史料の分析を比較することが必要だろう。これに加えて、実測調査の結果から、当初から小城館の保存が前提とされていたことが分かった。また、コルベールの示した数値は、完成案以前に別の計画案が存在したことを示しており、彼の数値からそれを復元することも可能である。


ルイ14世編「ヴェルサイユ庭園案内法」にみる庭園鑑賞法

 「ヴェルサイユ庭園案内法」はルイ14世自身の手で編纂されており、庭園とその見方に対する当時の考え方を最もよく伝えているものと思われる。本稿ではその邦訳を試みた後、ラ=フォンテーヌのヴェルサイユ礼讃詩と比較しながら、本文や、そこで示された鑑賞法の特徴を導き出したい。まず、鑑賞の対象物を列挙するだけという簡潔さが目を引き、その中では噴水の美に最も力点が置かれていることが分かる。鑑賞法については、特定の「眺望点」に立ち止まって、そこから眺めるという極めて静的なものであることで一貫しているが、ボスケなど閉じたところと、花壇、泉水や園路など開けたところとでは、異なった点も見られることが指摘できる。


マルリーの機械の構想者をめぐる問題

 ヴェルサイユ庭園の美の中でも噴水は重要な位置を占めているが、その実現のために、多大な物的人的知的資源の投入が必要だった。多くの試みの中で最も王を満足させたのが「マルリーの機械」である。その作者は誰かという点について、諸家の意見はレヌカンとドゥ=ヴィルの間で分かれており、一般には経験豊富な職人レヌカンの作だと言われている。本稿では、18世紀以来繰返されてきたこの論争を整理し、もって筆者自身の見解を明らかにする。その結果、問題はドゥ=ヴィルの水利工作物の知識に関するものに絞られた。彼の出身階層とイエズス会の学院で教育を受けたことを考えると、技術面への関与を完全に否定しさることもできないと考える。


ヴェルサイユ宮殿新城館の国王のアパルトマンと太陽神神話−天井画と広間の間取をめぐって−

 ヴェルサイユ宮殿新城館北翼の国王のアパルトマンは、当初、7つの広間からなっており、それぞれ、七惑星を象徴する古代の神々が天井に描かれた。天井湾曲部には、中央の古代神に関連する諸美徳、および、その諸美徳の現れたる古代史の場面が描かれ、これらによってルイ14世の徳や広間の機能と結び付けられた。これは南翼の王妃のアパルトマンでも同様である。しかし、先行研究によると着工案は竣工案とは別の姿をしていた。二つの案を比較して、その変更理由を考察すると、竣工案では広間数が一つ増えて七つとなり、寝室前後の広間数が等しくなったことから、太陽を中心とする七惑星主題がある程度の影響を与えたと考えてよいだろう。


ルイ14世編『ヴェルサイユ庭園案内法』に基づいた同庭園の構成分析

 ヴェルサイユ宮殿の図像解釈学的研究は、1980年代以降、盛んに行われているが、ルイ14世自ら編纂した「ヴェルサイユ庭園案内法」は、記述の簡潔さゆえ、あまり参照されていない。しかし、そこで示された鑑賞法から庭園の全体構成を導きうるという点で、有益な情報を提供するはずである。特に中央軸線と直角に交わり城館前を通る南北軸については、その存在を重視しなかったり、南北軸を一体と見なす先行諸研究の解釈に対して、各眺望点からの鑑賞対象への視線を分析することにより、城館を中心として南北に分かたれるという説を提出することができた。つまり、城館の南北でそれぞれ異なった世界が構想された可能性があるということである。


ヴェルサイユ宮殿の王妃のアパルトマンとスペイン領低地地方帰属戦争

 ヴェルサイユ宮殿の王妃のアパルトマンは、宮殿中央軸を挟んで国王のそれと対称に配された。しかし、この配置はフランス王室の伝統ではないという。本稿では両アパルトマンの対称性を確認し、当時の宮廷社会のあり方とスペインとの外交関係という内外の要素からその背景を考察する。両アパルトマンの対称性は間取と機能だけでなく、共に七惑星主題に基づく天井画主題の面でも確認された。一方、当時の貴族邸宅では夫妻が同格で、ゆえに前庭を挟んで対称に両者のアパルトマンが配されていた。また、着工直前にフランスはスペイン領低地地方の王妃による継承を企てていた。これら恒常的時事的条件が、王妃のアパルトマンの配置を導いたのである。


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