箕作佳吉と日本における動物学の「普及」
工学院大学 林真理
         MITSUKURI Kakichi and the Popularization of Zoology in Japan
Kogakuin University HAYASHI Makoto
前提:明治期日本における動物学全般の発展に関しては、近年、溝口(2001)、福井(2000,2001)、林(2001,2000,1998)等によっる実証的研究、東京大学最初の日本人動物学教授である箕作佳吉(1857-1909)個人の伝記的な研究(玉木(1999))がある。これらにより、日本動物学がどのようにして欧米の知識を吸収したか、またどのようにしてさらに自立の度合いを深めていったかということが明らかになっている。
視点と方法:本発表は、こういった研究成果に基づきながら別の観点から問題を捉える。ここで主題にしたいのは、学問の確立時において必要とされる「社会への認知」あるいは「普及」あるいは「社会的受容」といった問題である。しかも、国家に後押しされた制度的確立というより、むしろ多くの人々に動物学の成果と必要性を知らせるという問題である。こういったことが明治期にどのように意図されていたかを、当時の第一人者であった箕作の書いたもの、行ったことを中心に読みとっていきたい。本来こういったことは組織的に行われているため、それらは当時の「普及」活動のすべてではないが、当時の動物学における中心人物において、その重要な部分を見ることができると考えられる。
内容概略:こういった活動は大きく次の三つに分けることができる。
 1.個人的な執筆活動:主に人間も生物の一種であるという観点から、人間社会について生物学的な視点から光を当てるという意図の文章を執筆している。生物学の有用性を示唆する意図に基づいていると推測される。
 2.『動物学雑誌』を通じた普及活動:雑誌の目的に「斯の学を世上に広めんこと」(1891)を含めた。また「とりわけ初等中等教育における教師」(1897)に重点を置いていた。そういった意図に基づく編集がなされた。具体的には「質問応問」欄の設置、入門的な文章(総説)の掲載、地域動物観察の呼びかけ等が行われた。
 3.大学を通じた普及活動:三崎臨海実験所において、中等学校の教員の研修を行う等、組織を通じた活動が行われている。
結論と展望:ここでは明治期動物学に限定して見たが、日本科学の近代化問題一般に同じ視点を拡張できる。また科学の社会的認知や受容の問題一般を考える材料となる。専門家箕作も、一般向けの文章では非常に通俗的な側面を見せる。現代では、そういった側面は研究者自身によって担われることが比較的少なくなり、逆に批判を受けることすらある。しかし、通俗的普及活動は、専門家が専門家であり得る可能性を社会的に保証するものであり、対立しつつも相互依存関係にあると言え、様々な専門性を守る活動の一環であったと言うことができる。