遺伝子研究のための採血ボランティアに応募して、そのためにインフォームド・コンセントを受けることになった。この遺伝子研究試料のための採血は、日本の製薬企業43社が共同で作ったPSC(ファルマ・スニップ・コンソーシアム)が、理化学研究所、東京女子医科大学とともに、2001年2月20日から行っている。PSCは、薬を飲んだときの効果や副作用の個人差と関係している遺伝子の多様性の研究を計画しており、その研究のために血液を提供してくれる人計1000人を募っている。この研究それ自体は、科学的・医学的・薬学的に大きな意味のあるものとされているが、他方で多人数から遺伝子データを採集するものであるため、法律的、倫理的(注1)に慎重な取り扱いもまた求められている。ヒトゲノム研究の倫理については、これまでもたまたま何度か考える機会があった(注2)。また、まさに現在議論が沸騰しているトピックでもある。そのため、このケース(つまり匿名化された遺伝子データの提供)におけるインフォームドコンセントはどのように行われるのかということに関心をもち、実態を知るためにはボランティアの側から調査するのがよいと考えて、さっそく応募することにした。研究内容について必ずしも十分に知っているわけではない「非専門家」の立場から、研究者の説明と情報公開がどのようなものとして見えるか。このことを知るチャンスだと思った。
注1:読みにくいけれどここに、科学技術庁(当時)の発表した「ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針(案) 」がある。(と思っていたら、もうここに策定された指針が出た。)また、研究倫理情報室は、国立医薬品食品衛生研究所・JCRB細胞バンク室長水沢博氏が運営しており、重要な資料がとりそろえられている。大いに参考になる。
注2:三井情報開発が送ってきたアンケートに答えたことが2度ある。最近と1年前の2回だ。あのアンケート結果こそどのように用いられたのか知りたいものだ。ちょっとウェブ上で調べたがよくわからなかった。ちなみに三井情報開発は(旧)科学技術庁に委託されてヒトゲノム研究に関するコンセンサス会議を引き受けている。
ボランティアの存在を知った情報源は、日経BPが行っているBiotechnolgy Japan Headline Newsというメーリングリスト(注3)だった。他にどのような媒体にこのボランティアの紹介が出ているのかはあまり調べていないが、朝日新聞には関連記事が出ていたようだ。しかし、あまり広範な募集はしているようには見えなかったので、比較的専門家に近い人や関係者の応募が多いのではないかと思う。万一ボランティアが足りないときには、各薬品会社から動員されるなんてことがあるのかも知れないと思った。
注3:このMLは、3万人もの人が受け取っている非常にメジャーな媒体である。無料なのでただ登録しているだけの人も多いのだろうが、無視できない媒体。
予約申し込みは、ウェブ上のPSCのページ以外ではできない。ウェブ上の応募フォームで名前、性別(デフォルトは男)、住所、年齢、電話番号、E-mailアドレスを入力。最後のメールアドレスは確認のため2度入力。「ボランティア募集についてのご案内」から入ると出てくるページ 応募フォーム「始めにお読み下さい」には「応募フォームの全項目を入力してください」と書いてあるが、試しに何も入力しないで「次へ」を押してもE-mailアドレスがエラーであると出るだけなので、ひょっとすると他の項目は入力しなくても次に進めるのかも知れない。実際に説明「補助」者(注4)は、年齢、性別とメールアドレスだけを入力するものだと思っていた(「住所」「氏名」も入力したと言ったら、それは知らなかったと驚かれた)し、案内はメールで来るのでそのアドレスさえあれば用が足りることも確かだ。応募フォームでは、1時間単位で日時の予約を受けるようになっている。第3志望まで選択するようになっているが、近い日時で選択できるものはあまりなかったので、満員のところは表示されないようになっているのかも知れない。3月7日の深夜の時点で予約可能だった最も早い時間である12日朝9時を第1志望にして送信。あっという間に返信メール(注5)がやってきて予約は完了した。はやい。
注4:実際に説明をしてくれた方は、正式には「説明補助者」と呼ばれる役割の人だった。名目上の「説明者」は東京女子医科大学の膠原病リウマチセンター所長・鎌谷直之教授ということになっていた。ただし、このことがわかったのは後からゆっくり同意文書を見たときだった。説明補助者はその場で同意文書に署名をしたが、説明者の印はあらかじめ押してあった。もちろん私が説明者と直接対面する機会はなかった。同意文書には説明「補助」者(以下このように補助にカッコをつけて呼ぶことにする、私にとっては補助者などではなく説明者そのものだった)のための欄はないので、欄外に署名してあった。どうせならそのための欄を作っておけばよいのに。
林真理様
ボランティア希望日時をお知らせいただき、ありがとうございました。
林真理様にご協力いただく日時が決まりましたので、下記の通りお知らせいたします。
なお、当日同意取得説明文書をもとに、担当の先生から説明を受けていただいたうえ、
同意文書に署名または記名捺印していただきますので、HPに掲載しております
同意取得説明文書(当日用いる説明文書と同一内容のもの)を、あらかじめお読み
頂きたく、宜しくお願いいたします。
また、当日は運転免許証等の身分を証明するものをご持参下さい。
実施日:2001年03月12日(月)09時から
実施場所:東京女子医科大学膠原病リウマチ痛風センター
(東京都 都営大江戸線「若松河田駅」下車 若松口出口。)
同意取得説明文書:http://www.psc.gr.jp
実施場所地図:http://www.twmu.ac.jp
以上
PSC事務局
本来はしっかり内容をつかんでから応募すべきなのだろう。この点で、私の行動は模範的な応募者にあるべからざる行動になっている。しかし、今回はまず応募ありきなので、学習は後回しになった。予約が完了してボランティアに行くことが確実になってから、やっと研究計画書をちゃんと読む。
最初の疑問。研究計画書によれば、日本人一般について調べたいと考えており、しかも日本人における遺伝子頻度まで知りたいとしている。どうして東京の一ヶ所だけで行うのだろうかというのが気になった。どのような根拠があって、この方法が十分なサンプリングであるという結論を見いだしたのか、あるいはどの程度まで確実に日本人の遺伝子頻度を測定できると考えているのか知りたい。研究の意義があるのかということと関連する疑問なので、聞いてみたいと思った。「日本人一般」について知るということだが、そうするとボランティアは日本人チェックをするのだろうかという疑問もあったが、これは第1回PSC倫理審査委員会議事録要旨を見て一応納得。確かに国籍には生物学的意味はないので、厳密に問う必要はないだろう。しかし、本当は外国人ばかりが来ても困るだろうが、厳密なチェックをするわけにはいかないということなのだろう。
研究計画書によれば、研究期間は、平成12年度〜平成14年度(平成12年9月6日〜平成15年3月31日)となっているが、「ただし、しかるべき手続きを経て変更することがある。」ともなっている。「しかるべき手続き」とはどのようなものか疑問に思った。単に倫理審査委員会のことを言っているのか、それともそれ以外の別の手続きが含まれるのだろうか。また、それはPSCだけでできるものなのか、それとも東京女子医科大学も関連するのか。さらに、PSCという組織自体がと特定の目的のために設立されたものであるために、その研究成果があがったら解散してしまうという時限的なものでありうる。その組織が消滅してからの問題をどこに訴えて良いのだろう。そもそも、個人データの流出などが起こった場合、その責任は研究者個人にあるのか、それとも組織にあるのか? いろいろと疑問は出てくる。
さて当日。小雪の舞う中、都営地下鉄の若松河田駅を使って会場の東京女子医科大学附属膠原病リウマチセンターへ。少し早く着いてしまった。センターの診察の受付は9時からということで、数人の患者らしき人がロビーの椅子に腰掛けて待っている。職員の人は、まだ奥にいるようなので、ロビーを一周して掲示物を見たりする。臓器提供意思表示カードの案内はあるのに、ボランティアの案内はどこにも出ていない。ここに通ってくる患者さんから募集するわけではないのだから不思議なことではないが、本当にここが会場だったかと一瞬不安になる。どこかに血液提供ボランティアの案内がないかと探すと、受付の横に「ボランティアの皆様」と書かれたA4の紙が置かれているのを発見して少し安心した。
9時少し前。受付カウンターに係と見られる人が現れて受付けを始めているようなので、そろそろ申し出ようかと思っていると、たった今受付からこちらに向かってきた40代と見られる男性が先ほどのA4のプリントをもっているのを発見。私も向かうことにした。血液提供のボランティアですがと言うと、お名前はと言われたので姓を名乗った。次に「身分を証明するものはお持ちですか」と聞かれた。そう来るとは思っていなかったので一瞬ひるんだが、常に持ち運ばれているにもかかわらず財布の奥深くに眠っていて身分を証明する役割しか果たしていない運転免許証を提示した。いきなり提示を求められるというとは、全員にそうしているということなのだろう。免許証を見せると、ファーストネームの読み方を尋ねられたので正解を示した。しかし、どうしてそんなことを尋ねられたのかは、よくわからなかった。ひょっとすると性別の確認だろうか。それとも、こういった場所では「患者」の名前の読み方を確認する習慣があって、単にその延長であるのかも知れない。
指定された個室(というのは正確ではなく間仕切りされたスペース)の前で待っていると、明らかに私より若いと思われる女性が出てきて、私の姓を呼んだ。その女性が説明「補助」者だった。まず、センター所長・鎌谷直之教授からの「委任状」を提示して自己紹介をした。こちらは勝手に「若手の研究医」のイメージを抱いていたので何となく医師だと思っていたのだが、その後ふっと目をやった委任状には看護婦の文字が見えてそこで初めて彼女の職業がわかった(注6)。こういう場合始めに何と言えば良いのかよくわからない。何となく、初めまして、よろしくお願いします、といったような挨拶をお互いに交わす。向かい合って椅子に座り、横に長いテーブルという配置だ。テーブルは、2人で同じ文章を見たり、署名をしたりするときに使う。
注6:後から考えてみたところ、私が彼女を医師だと思ったのは、医師が着るような白衣のせいだと思い至った。当然、看護婦用のキャップなどは身につけていない。また、説明の非常に初めのあたりに、(具体的には思い出せないのだが)専門(業界)用語を言って、あわてて患者でもわかるような言葉に言い直すところがあったため、その確信を深めてしまった。
最初に渡されたこのタイトルの紙について、まず説明がある。この紙は次のような文章で始まる。
ファルマ スニップ コンソーシアム(PSC)による「日本人の薬物動態関連遺伝子多型に関する研究」に関心を持っていただき、ありがとうございます。東京女子医科大学附属膠原病リウマチ痛風センターではPSCから委託を受けて、この計画に協力しております。
そして流れ図で本日の予定が説明されている。「だいたい1時間もあれば終わる」と言われ、時間は大丈夫かどうか聞かれた。確かにこんな時間に「いい大人」が仕事から離れているというのは変かも知れない。
次に「同意取得説明文書」の読み合わせが行われる。これは、添付資料1、2、3、4、5、同意文書とともに、2ヶ所をホチキス綴じして1冊の冊子になっている(注7)。二人が同じ文章を一緒に確認していくという作業。といっても全文を読むわけではなく、ピンクのマーカで線を引きながら、大事なところだけを確認。「自由意思」や「連結不可能匿名化」というところには、マーカでアンダーラインが引かれる。賃貸住宅の契約を思い出した。
注7:この冊子は2冊作成して、1冊は自分で持ち帰るもの。もう1冊は大切に保存されるはずだ。
この文書に出ていないにもかかわらず説明「補助」者が強調したポイントがあった。一つは、一旦採取した血液を研究に使わないで欲しいという差し止めが、いつまでなら可能かということだった。集まった試料は、100人分集まったところで、まとめて番号を打ち直して誰のものだかわからにようにする。したがって、その時点までに申し出てくれないと、使わないでくれといっても、もう誰のものだかわからなくなっているので無理だということだ(注8)。(言い換えれば、残り99人分を道連れにして廃棄する意思はないということだろう。)特に、私の受付番号は85なので、あとたった15人で100人そろってしまうから、同意を撤回しようとするならせいぜい明日くらいまでに申し出てくれないと困るということだった注8。「同意取得説明文書」には「いつでも同意を取り消すことができます」と書いてあるが、その「いつでも」が本当は「いつでも」ではないことを言いたかったのだろう(と後から考えた)。
注8:他のところもそうだが、説明「補助」者の発言はもう少し冗長な表現であり、それを私なりに要約している。そのため、もちろんそのようなことができるだけないように努めてはいるが、ニュアンスにかなりの違いが生じている可能性はないとは言えない。
もう一つ強調したのは、あくまでもボランティアなので提供者がすぐに何か利益を得ることはないということだ。もちろん、基礎研究の結果は将来臨床に応用されるものだから、将来この研究を生かした薬剤開発がなされて、それによって間接的に利益を得ることがあるということも述べられたが、他方で自分の病気を知りたいといっても「連結不可能匿名化」がなされるのでそれは無理だということが強調された。ひょっとすると自分のことが知りたくてボランティアに志願してしまう人がいるのかも知れない。たしかに自分が病気や体質のことで悩みなどを抱えていたらよいチャンスだと思うかもしれない。このあたりの誤解がけっこう多くて、そういう根本的な誤解を解かなければならないのだとしたら、説明者の役割は大変だと思う。
そのつもりだったのだが、同意取得説明文書に書いてあるのとは違う説明をしたので、「ここに書いてあることと違いませんか?」とうっかり口を開いてしまった。それは採血の量に関するもので、文書には遺伝子多型の研究に10ml、セルライン化のための提供に10ml、血液検査のために10mlと書いてあるのだが、この説明のときにはには実際に用いる採血用試験管を取り出して、研究用に10ml、セルライン化のための提供用に7ml、血液検査用に13mlという話をした。ちなみに、検査用の13mlは、2+2+9と3つの試験管に分けられていた。小さな試験管3本と、さらに小さな試験管2本を見せてくれた。指摘に対して、説明「補助」者は一桁の足し算をして見せ、合計は同じ30mlになっていることを示した。どうやら、私の疑問を、血液が思ったより多量に採られてしまうことはないのかという問題提起だと理解したらしい。しかし、同意取得説明文書は正式の文書だし、後から訂正文を挟むこともできるだろうし、(これが一番大事だと思うのだが)こちらから指摘される前にここは違っていると教えて欲しかったというのが本当のところだ。たいした違いではないということはわかる人にはわかるのだろうが、でも不信感の芽というのはどこから生まれるかわからない。
途中で話の腰を折ってしまったが、その後は説明「補助」者のペースに合わせて、「はい」「そうですね」「わかりました」を繰り返す。非常にスムーズに進行すると気持ちがよいのは確かである。このペースをあえて乱すのは難しいことでもありそうだ。しかし、とりあえず同意取得説明文書の説明が終わったところで、質問はありませんかと言ってくれたので、いくつか聞いてみることにした。
説明を受け終わったとき、この転用に関する説明が同意取得説明文書内には存在しないことに気づいた。添付資料3を見れば一応出ているのだが、この場では参照されなかったし、そこを見ても具体的なことは何もわからない。説明する側としては、はっきり説明可能なことについては詳しく書いてあるが、未定のことについては説明しようがないので何も書いていないということなのかも知れない。しかし、試料の提供者としては、はっきりわかっていることよりも、はっきりしていないことに説明を求めたくなるのが当然だろう。いずれにしても、同意取得説明文書本体に何も説明がない。逆に、「研究テーマ1」として遺伝子多型研究が、「研究テーマ2」としてセルライン化が挙げられているために、他に研究はないようにも読めてしまう。それでは不十分だと思った。そこで、遺伝子多型研究に使った血液が残った場合に行われる研究について説明はないのかと尋ねてみた。説明「補助」者の返事は、それは「同意文書」に署名するときに言おうと思っていたというものだった。確かに、2番目の同意事項「・・試料等が新たに計画・実施される遺伝子解析研究等に使用されることに同意します」を説明しようとしたら触れなければならないことだ。しかし、内容的には非常に「寛大」な同意を示す事項であるため、簡単に済ませられるものではないだろう。それから、「今までそういう鋭い質問がなかったものでそれで良いかと思ってました」とも言った。私の学生(および教員)としての経験から言うと、教員が学生に「鋭い質問だね」と言うのは、自分のミスをごまかそうとする場合であることがしばしばある。
基本的には何も決まっていないということだった。研究内容についてだけでなく、研究主体についてもそうであることがわかった。つまり、研究主体がPSCに関連している団体でない可能性もあるということだ。たとえば、現在は東京工業大学注8大学院生命理工学研究科に所属する石川智久氏の研究室も、これから研究に関係してくる予定であることを説明してくれた。(このことは、研究計画書にも出ているのでもちろん知っていた。)研究内容についても、まったく別の研究でありうる(少なくとも制限はない)ということがわかった。それ以上については、ある程度想像を交えた説明があった。たとえば、病院に通院している患者さんに血液試料の提供を願い出ることは可能だが、健康な人の試料はなかなか手に入らないのが悩みだと言われていると教えてくれた。たぶん、薬剤に対する感受性以外に、病気や体質に関連する遺伝子についての研究がなされるだろうということだ。「想像」でしか言えないことは確実な「情報」ではないのだが、説明「補助」者がわかるかぎり解答しようとしている熱意は伝わってくる。
注8:別の紙に記された「東京工業大学」という文字を読む説明「補助」者の口調がちょっとたどたどしかった。今まで読んだことのない文字を初めて読むようであり、「東工大」という略称など知らないという感じだったので少し驚いた。
その上で、どんな研究でもできるわけではなく倫理審査委員会が認めたものしかできないこと、他の研究主体にも必ず倫理審査委員会が作られてそこで議論がなされること、を説明「補助」者は強調した。しかし、倫理委員会があるから大丈夫だというのでおしまいならば、ここでこうして行っている説明も不要だということになる。また、どういう条件の場合なら提供できないかとか、提供にもPSCの倫理委員会の許可が必要だとか、いろいろな使用制限をあらかじめ決めておく仕方がありうるのではないだろうか。そのあたりの取り決めが何もないのはちょっと不可解ではある。この不定研究利用については、第1回PSC倫理審査委員会議事録要旨を見るとわかるように、この計画の最初から入っていたわけではないようだ。せっかく貴重な試料が得られるめったにないチャンスなのだから、その試料を有効にできるようにしておきたいという野心をかいま見えてしまうようにも思える。どうして途中からこんなの入れたんでしょうね、などとついつい口をすべらせてしまった。説明「補助」者は答えない。確かにこういう問に解答することは、彼女の職務を逸脱しているかも知れない。「倫理委員会があるから大丈夫」という説明には別の問題もある。それは、受け取り方によっては「私たちを信じなさい」という説明のようにも聞こえてしまうのではないだろうか。「人の善意を疑う」ような意見は言いにくいし、「悪意ある事態」を想定した質問もしにくいのも確かだ。
気を取り直して、あらかじめ考えてきた疑問、東京一ヶ所の調査をもって日本人一般についての判断として(どれほど)十分なのかという疑問をぶつけてみた。根拠がどのようなものか、あるいはどの程度日本人の平均値を反映すると想定しているのかを知りたかっただけであり、別にここだけで集めるという方法を非難しているつもりはなかったのだが、説明「補助」者の解答は、確かに不十分かも知れないというものと、一ヶ所でやることによるメリットもあるというものだった。どうやら私の疑問は問題点の指摘と見なされ、それに対して擁護に回るのが説明「補助」者という形になってきた。責める(攻める?)つもりがあるわけではなかったのだが、いつの間に攻守という役割が固定してた形になっていることに気づいた。しかし、とにかく説明「補助」者は研究内容について熟知しているわけではなさそうだ。これ以上聞いてはいけないような気がしてきたので、この方向で質問を続けることは自粛してしまった。少なくとも「研究内容について説明「補助」者に詳しく聞いてもよくわからない」ということだけはわかった。注9
注9:その他、試料採取の手順についても、いくつかわかっていないことがあるのではないかと思った。すでに述べたように、ウェブ上の申し込みで氏名を入力することを知らなかったし、一切個人情報は保存しないと述べたのでこれはどうなるんですかと言ったら、あっそれは残りますと言われた。
次の疑問は、研究期間の延長の手続きについてである。これは倫理審査委員会がそうするのだということだった。つまり、期間を延長するには、PSCの倫理審査委員会が開催されて、それが決定される必要があるということだろう。もともと委員会は様々な研究の変更の審査をする権限を持っているのだから、なぜわざわざ書いてあるのか逆に不思議でもある。そう書いてあることが審査において意味を持つのだろうか。それとも、かなりの可能性でそうなることがわかっているので、その情報を公開しているということだろうか。そのあたりは、こちらがうまく質問できなかったこともあり、はっきりしなかった。その場で浮かんできた疑問を適切な言葉にして質問をするということは確かに難しいと思う。何かしっくりこないまま、その違和感をはっきり口にできないで先へ進んでしまうということは多いに違いないと思った。
ここまで来たのだから実際に採血まで進まないともったいない。結末を見ないで映画館を出るようなものだ。同意文書には、3ヶ所○をつけて、署名するところがある。このうち1と3では「はい」に○を、2では「いいえ」に○をつけた。「いいえ」に○をつける際には、そうする理由を探している自分に気づいた。理由を口にする必要はないのだが、何となくそう思っている自分を発見して驚いた。2だけに○をつけなかった場合、採取される血液量に関して、全部に○をつけたのと違いはない。だから、確かに血液提供という観点から見ると、この2はあまり重大なことではないように捉えることも可能だろう。しかし、自分の血液が何に使われるのかその可能性という観点からすれば、2に○をつけることによってその可能性が一気に拡大するということにもなりうる。そう考えると2は重要だ。このあたりに認識の違いが存在するようだ。なお、「いいえ」に○をつけたあとで、説明「補助」者が「あっ」と小さな声を出した。聞くと「いいえ」に○をつけたときにも署名が必要なのかどうか迷ったが、私がすいすいと名前を書き始めたのでちょっと焦ったということだったらしい。どうも「いいえ」に○をつけられることに慣れていないようである。同意文書を書くと、次に調査票を渡されて、身長・体重を自己申告し、本人および家族の病歴を書き込み、検査に回されるという手順になっている。
これも気になっていたことなので、書く作業に入りながら世間話的に質問して解答になるような話をいくつか聞いて、以下のようなことがわかった。ボランティアをウェブ上で申し込む時にサーバに入ったデータ、今日ここに来て書いた調査票のデータ、署名した同意文書という3つがある。まず、サーバのデータは2人の限られた人にしか閲覧権限がないようになっているそうだ注10。次の、ここで私が今日記入するデータ(病歴などに関するデータ)のうち名前の書かれた部分はそれ以外のデータと切り離されて(実際切取線が引かれていた)、非連結匿名化がなされた後に葬り去られるそうだ。これを行うのが、重要な立場のである「個人識別情報管理者」で、同意取得説明文書によれば「東京女子医科大学学長が指名した個人識別情報管理者(刑法により業務上知り得た秘密を漏らすことが禁じられている医師又は薬剤師)」ということになっている。確かにこの2つの職業はそういう特殊な義務を負っている。しかし、この場合研究目的の試料採取であって、臨床目的ではないのだから、研究の専門家だけで試料収集が組織できないというのもおかしな気がする。個人情報を扱うために「医師」という資格者が引っ張り出されているという印象を受ける。しかし、入り口に立つ医師がすべての責任を負うわけではあるまい。研究者は匿名化された情報だけを扱うことにすれば気が楽で良いという見方もあるようだが、本来は研究者も責任を負わされ、自覚させられるようにすべきなのではないのか。
注10:サーバのセキュリティ問題についても気にはなっていたが、質問はしなかった。
5000円になる交通費をもらわないことは可能なのかという質問もしてみた。私は大学までの定期も持っているので往復の都営地下鉄の運賃しか払わなくてすむ。だから過剰な金額のように思えた。ひょっとすると、科学論の研究者として「インフォームド・コンセント体験」をしていること、それにウェブでこんなことを書こうと思っていることにどこか罪悪感があったのかも知れない。説明「補助」者の解答は、かまわないということだった。ちなみに、5000円という金額は新宿から病院までタクシーで往復したとして算出されたと教えてくれた。何度も乗ってみて確かめたらしい。(ホントか?)また、説明「補助」者は「私も地下鉄で来たんです」と言ったので、普段ここに勤めているわけではないことが伺えた。最後に、もう一度本当に良いんですかと念を押してくれた。親切だなと思った。
まず、説明「補助」者に付き添われて血圧測定から。血圧は、高くも低くもない。脈拍が速かったので、緊張してますかと言われた。そうかも知れない。普段からけっこう速いけど。次に採尿。紙のカップを持ってトイレに行く。トイレから出てきて、後は私がたしかに検査室に入るのを見届けて説明「補助」者は去っていった。ここまで連れてくるところで役目は終わりなのだろう。「いろいろ変なことを聞いてすみません」と頭を下げた。検査室ではまず心電図をとり、その後問題の血液を採取した。最初左腕を出した。が、うまくいかないので右腕でやりなおし。5本ある採血用試験管を取り換えながら、血液をどんどん抜いていく。3本の大きい方の試験管に入った血液の量がだいたい同じくらいに見えたので、全部で何ccくらいですか」と聞いてみた。答えは「30と数ccくらいですね」。検査室にはあまり情報が伝わっていないようだ。
血液採取ですべては終了である。少し雪が強くなった東京女子医科大学膠原病リウマチ痛風センターを後にした。いろいろと考えさせられるところのある面白い体験だった。
「説明」と「同意」が独立ではあり得ないことを実感した。「同意」が目的化されるところでの「説明」は、いかに文書内容が客観的であっても、同意のための説明になりかねない。たとえば、同意しないことを決意したら説明する必要はなくなってしまうので説明はそれで終わりになるが、同意しないことを決意していないなら同意することを決意するまで説明が続くのではないかと考えられるような条件下で説明を受けているということそれ自体が、すでに「説得」へと向かう環境を準備しているといって良いだろう。インフォームド・コンセントを受けるということを決意したということは、そういう流れの中に身を投じるということを意味していると理解される。また、すでに説明をある程度聞いたということも同じようなことを意味していると理解される。もちろんこの場合私自身は提供する意思があって自分から足を向けたのだが、説明者と対面する場に置かれたときの「意気込み」の度合いは様々でありうる。しかし、場の流れは何度も説明を繰り返している説明者が作ってしまう。かりにその意図がないとしても、いや相手に合わせようとする意図が説明者の側にあったとしても、そうなってしまう恐れは大いにある。ボランティアではなく、患者という立場だったらいっそうそうなるのではないだろうか。
同意するにせよしないにせよ、インフォームドコンセントを受けるとき、説明を「理解する」ことが要求される。もちろん、説明者はできるだけやさしく説明しようとする。実際その努力はよくわかった。しかし、説明する者ができるだけ易しく説明しようと努力するときに陥りやすい罠としてあるのは、説明内容自体よりも易しく説明しようとする態度が説明を受ける人に伝わってしまうということだ。その努力のほどがわかるだけに、聞いてる方がわからないとは言いにくい場合がある。わからないところがあるということを述べることが、申し訳ないこと、悪いことであるように思ってしまうからだ。この「良き説明者」が犯しかねない罪は、説明が熟練したところで出て来るものかも知れないが。また、理解していないということは、判断保留であり、否の判断をしたわけではない。(もちろん同意したことにもならないが。)判断は理解の後行われるものであるとされ、判断することが目的であるとされるならば、そのとき理解することは義務となり、そこからは逃れようもないものになってしまう。質問のしようもない無理解の情況は、同意しない理由を説明することを不可能にする。そういった情況は決してありえないわけではないだろう。
何らかの特殊な信念を持ち合わせ、かつその信念に対する反省能力を喪失しているという場合を除いて、人は易しい説明というものがごまかしと紙一重であることを常に気にしてしまうであろう。すぐに理解したと述べる相手ほど、説明する者にとって不安で恐ろしい相手はいない。理解できないところや自分なりに理解したことを口にすることができれば、どこまでわかっているかがわかるし、誤解を解いたりもできる。相手の「わかった」という反応を導くことと、自分の理解内容が相手の理解内容になることは必ずしも同じ事ではない。そこで生じるずれを見逃すことは、ごまかすことである。しかし、同意をとることは「わかった」「納得した」という反応を得ることに他ならない。「遺伝子多型」の意味を知るには遺伝学の基礎知識が必要だし、「SNP」の正確な定義を伝えることは困難であろう。本来、短時間では説明しきれない程の知識が関与する研究なのである。それらを易しく言い換えるところに入ってくる科学的な意味での不正確は、科学者としては本来忌むべきものである。そこに良心的な研究者はジレンマを感じるに違いない。しかし、そういったためらいは、説明を聞く者にとって不確かさに写り、不安を導きかねない。逆に、そういったためらいをうち消そうとするときに、ごまかしが侵入してくると言って良いであろう。
説明者はどういう役割をもつべきかという問題がある。たとえば、説明という単に部分的な役割に限定されるのか、それとももっと総合的な判断に加わるべき存在なのかということだ。説明者は、研究関係者からレクチャーを受けるのだろうが、そのさいに説明に直接関連する事項のみならず、研究全体について、たとえば研究内容とその意味、必要性、将来性深く知る必要があるだろう。そうでなければ、十分な説明を行い、質問に的確に答えることもできないだろう。知識が不足していると、自律的な判断は下せず、与えられた役割を果たすことに陥りかねない。しかし、おそらく知識は一つの必要条件に過ぎない。いろいろな意味で、自律性的か従属的かということが問題になってくるだろう。従属性は、ただ説得という目的のため働くという行動様式を導きやすくするのではなかろうか。あるいは、情報の伝達ではなく熱意の伝達になってしまうことも考えられる。これは、さらにやっかいな事態を導きかねないだろう。
自分の身体の一部が研究に使われるという気持ちはどのようなものかということを考えてみた。匿名化がなされるから誰のものかはわからないという事実は、この場合あまり意味がない。自分の身体の一部がどこかで用いられているということ、その事実を知っているということが問題だ。あまり気持ちの良いことではないと考える人もいるだろう。自分から進んでするのはイヤだという人もいるだろう。自分の身体の一部に関する所有の意識は消しがたいものでもある。献血という形の身体の切り離しは比較的頻繁に行われているものであるため、血液という組織を採取して試料にするというのは、採取する組織の選び方としては悪くない。しかし、献体とか臓器提供になるとまた別だろう。個人情報の保護という以前に、提供それ自体に対する抵抗があることも重要であろう。
インフォームド・コンセントに関するものではないがもう一つ。臨床的な場面では、医師や看護婦(士)という職業的な守秘義務を持つ人々が関与する。それに対して、研究の場面ではせいぜい「博士号」という研究能力に対して与えられる称号をもつに過ぎない人々が関与する。研究者が職業上秘密を知る機会はこれから出てくる可能性があるし、そもそも研究には責任が伴う物である。どのような形をとるのであれ、研究者に責任(特にインフォームド・コンセントのような説明責任)を明確にすることが必要になってくるのではないだろうか。責任の明文化とともにその周知徹底(教育?)が重要になってくるだろう。個人情報を知ってしまう研究、あるいは匿名化作業といったことには、職業的守秘義務が必要とされるはずだ。
もっと聞いておけばよいと思うことはたくさんあった。聞いても無駄だと思って途中で断念したこともある。後から初めて気になったこともあった。この体験談は公開しようと初めから考えていた。1事例に過ぎないかもしれないが、一つのインフォームド・コンセントの体験談としての価値はあるだろう。説明「補助」者の方には、変なことをたくさん聞いて迷惑をかけたかも知れません。仕事とはいえ、丁寧に答えていただきありがとうございました。