技術者倫理教育におけるSTS的視点
Introduction of the view of STS to the engineering ethics education
 
林真理(工学院大学)
HAYASHI Makoto (Kogakuin University)
 
 本報告は技術者倫理教育とSTSの関係についての基本的な考え方に関する提案である。
 技術者倫理教育の内容吟味、手法、目的に関する議論は、日本においてもすでに多数行
われてきたと思われる。しかし、たとえば実質的な必要性の議論に対して制度的要請が先
行していた、アメリカにおいてすでに広く行われていた学問(および教育)の輸入として
開始した、日本の既存の学問との関係性が考慮されなかった等の理由によって、技術者倫
理(教育)の本質を問う議論、とりわけ日本における科学技術と社会の発展の歴史的位相
を踏まえた必要性と意味に関する議論はいまだ十分ではないと感じられる。本報告はこう
いった議論の必要性を主張し、1つの提案を行うものである*。
 
I.基本的な考え方の提案
 技術者倫理教育は「Engineers’ Understanding of the Public」であると理解することが
できる。
 
II.その意味
(1) 技術者倫理は、専門家としての技術者という理解に基づきながらも、専門家集団外部に
向けた内容を重視する。したがって、技術者が非専門家に対してどのように対応し、社会
においてどのような責任を果たしていくという問題が重要になってくる。
(2) 社会制度や人々の考え方の変化に応じて、個々の倫理規則あるいは時には倫理規範自体
も変化していく可能性がある。したがって技術者は、具体的な規則をしっかりと身につけ
るだけでなく、規則の背景を学んで規範の意味を学習し、規範を自らのものとする必要が
ある。また、規範に対する反省的な考察を行い新たな規範の構築を構想する能力も要求さ
れる。そういった奥行きのある意味での創造性の育成が必要となる。
(3) (2)のような狭い意味での倫理の探求は、学ぶべきことの一部に過ぎない。むしろ現代社
会に関する様々な知識を得ること、様々な文化を理解すること、さらにはそういった学習
や理解の能力を高めることが重要になる。
 
III. 具体的問題点
(1) 導入教育における技術者観の育成の必要性
 技術者倫理は専門教育の一環と見なされてきた。しかしむしろ技術者になるとはどうい
うことか、この社会の中でどのような役割を果たすことなのか、自身にとってどのような
意味をもつのかといったことを考える時間が必要ではないかと思われる。それはむしろ教
養教育あるいは導入教育の趣旨とマッチする。
(2) 問題解決型教育への疑問
 技術者倫理教育においては、臨床倫理教育と同様に、例題を積み重ねることによって時
間内にできる限り良い行動解を求めるための行為の組織化の方法を学ぶことが重要な意味
をもつと見なされてきた。そういった問題解決テクニックを学ぶことは必要なことであり、
規則の内面化に役立つことも確かである。しかしながら繰り返し訓練を重ねる教育は乏し
いパターン認識に移行する危険性があり、応用性の幅を狭める危険性がある。あるいは規
則への疑いという姿勢を損ない、自主的な能力養成の芽を摘むものになりかねない。もち
ろん技術者倫理教育において創造性が求められることはしばしばある。新しいアイデアを
思いつくことのすべてが広い意味では創造性と言える。しかし、ある考え方の枠の限界を
超えることが創造性であるとすると、規範・規則の教育は創造性を奪いかねない面を持っ
ていることも確かである。
(3) 技術者資格のグローバリゼーションに誘導されることの危険性
 価値観や倫理の位置づけが異なる社会において、「同じ」技術者の倫理を導入することは
違った意味を持つ。同様に、どのような技術者倫理が社会において要請されるかは、その
社会のあり方によって違ってくる可能性がある。したがって日本において求められる固有
の技術者倫理はどのようなものかという考察が重要になる。
(4) どのような技術者を育てるべきかを、誰が決めるのか?
 専門家集団は自律的であるべきであり、したがって専門家は自己規定を持つべきである。
しかし説明責任は必要である。社会の中に有機的に組み込まれるべきではないか。技術者
に求められることに関する体系的、系統的情報収集と議論の上に初めて技術者倫理(教育)
が成立することになる。
(5)技術者倫理教育は本当に専門職教育なのか?
 日本の大学工学部生は1年学年約10万人である。そのすべてがいわゆる技術者になるわ
けではない。大学(といっても本来は多様であるが)における技術者倫理教育には、専門
家および非専門家双方を育成する意味が出てくるのではないか。
 
IV. いくつかの方針の提案
(1)歴史性の導入:分野・時代を限らない様々な具体的事例の導入
(2)非専門家と専門家の間を行き来する教育
(3)「技術者」の共同イメージ形成を行う教育
 
*本報告においては具体的な授業実践の問題に触れる余裕はない。林の授業実践の具体的報
告は、ワークショップ「技術者倫理―教育実践例の紹介と今後の課題の検討―」 (2003年
7月26日)報告「STS(科学技術〔社会〕論)研究者による技術者倫理授業」林真理(工
学院大学)(「科学技術倫理教育システムの調査研究報告書」(文部科学省科学技術振興調整
費/科学技術政策提言/平成14〜15年度)所収)で述べた。この報告書は2003年度中の完
成予定である。