「細胞説の歴史」はどのように描かれてきたか。

導入
  細胞の意義の変化
   発見される対象→認識枠組み→研究の前提条件
  細胞説の重要性の変化
  単線的な細胞説の歴史の記述

問題:細胞説とはいったい何だったのか
  まず細胞説の歴史はどのように描かれてきたかを知りたい。
    細胞説の内容はどのように変化してきたか。
      ・細胞組織
      ・発展原理としての細胞
      ・構造と発達の単位としての細胞
      ・すべての生物の構成要素
      ・すでに一つの有機体であるものとしての細胞
    その意義はどのように捉えられてきたか。
      ・ただ単に記述的な概念
      ・有機体の共通性を保証するもの
      ・学問の基盤として
    生物学の発達とともに細胞説の歴史の描かれ方はどのように変化してきたか
    なぜ細胞説の確立者はシュライデンとシュヴァンなのか。

「細胞説の歴史」の歴史
   (1)細胞「説」の存在は稀薄。
   (2)細胞説の重要性の主張。
   (3)細胞説の先駆者探し。
   (4)細胞説の歴史が多面的に描かれる。

 (1)SchleidenとSchwannの誤りを強調。
 (2)SchleidenとSchwannを確立者として重要視。
 (3)SchleidenとSchwann以前の先駆者を比較的重視。
 (4)SchleidenとSchwannに対する醒めた評価。

結論
  細胞説が重要であることを前提としない細胞説の歴史の必要性
   →なぜ重要であると見なされるようになったのかを問う。
  細胞説と、科学の啓蒙、科学的自然観、唯物論。
    細胞説は何か他の思想とリンクする事で重要視されるようになったのでは。
    その際に、重要な役目を担わされた人物がシュライデンとシュヴァンであった。
  生化学、分子生物学と細胞説:生命の基本要素の置き換え



資料

「細胞説の提唱者はシュライデンおよびシュヴァンだといわれているが、生物において細胞が共通のつくりをなしていることはシュライデン以前に認識されはじめていた」中村禎里『生物学の歴史』(河出書房新社 新装版1983)

「細胞説がいずれもドイツ人学者であるシュライデンとシュワンにより、そして前者の植物学的研究と後者の動物学的研究によって樹立されたというのが、生物学史での一般的観念である」八杉竜一『生物学の歴史(下)』(日本放送出版協会1984)

「1840年までのあいだに植物解剖学が一つ時代を画したのは、ほとんど主にHugo von Mohlの業績であったと言える」Julius von Sachs, Geschichte der Botanik von 16 Jahrhundert bis 1860, S.242
「Schleidenは1840年までに細胞形成の理論を作っていたが、それは数少ない不完全な観察によるものであった。」(S.243)

<ちなみに、Sachsが経歴に言及している細胞説関連の研究者は次の通り。
Bernhardi(Erfurt), Rudolphi(Berlin), Link(Rostock), L.C.Treviranus(Breslau, Bonn), Mirbel(Paris), Moldenhauer(Kiel), Meyen(Berlin), Mohl(Bern, Tingen), Payen(Paris)>

「40年前にSchleidenとSchwannによって基礎づけられた細胞説」E.Haeckel, "Zellseelen und Seelenzellen", Ges. Werke V. S.169

 「高等な動植物の身体をその箇々の器官に分解することにより、比較解剖学者等は、すでに簡単な有機体と複合した有機体を区別したが、次いで十九世紀の後半において、細胞説のさらに発達するにおよんで、吾人は、細胞をもってあらゆる生物に共通な解剖学的基礎だと認めるに至った。この細胞をもって「基本有機体」だとする見解は、さらに吾人自身の人体もまた、すべての高等動植物の身体と等しく、元来一個の「細胞国」で、顕微鏡的の国民である箇々の細胞の幾千万から集成され、これらの細胞は、多少独立して作業し、全国家の共同の目的のために戮力するものであるとの見解を導き至った。現代細胞説におけるこの根本思想は、殊にルードルフ・ウィルヒョーによって、病中の人体に応用されて最大の効果を奏し、その『細胞病理学』は、医学上に最も重要なる改革をなした。」 ヘッケル『生命の不可思議』後藤各次訳 岩波文庫 1928年上巻163-164頁(原著は1904年)

「細胞の概念 十七世紀の末葉約三十年間において多くの自然研究者、ことにイタリアのマルピーギおよび英国のグルーは、初めて顕微鏡を植物構造の解剖学的研究に応用し、植物の組織中に蜜蜂の蜜×と甚だ似ている構造を見た。蜂巣内の蜜でもって満たされた密接せる蝋室は、これを横断するときは、六角形をなし、細胞液を有する植物の木質細胞に似ている。細胞説の真の建設者であるシュライデンの大きな功績は、植物の各種の組織は、元来、このような細胞から構成せられるものなることを証明したのにある(一八三八年)。その後ただちにテオドール・シュウァンは、動物の組織において同一の証明を与え、『動植物の構造ならびに成長における一致』に関する顕微鏡的研究によって氏は(一八三九年)細胞説を有機体の全領域に拡張した。両研究家は細胞をもって実際一個の小なる個体、すなわち一八三三年、ブラウン氏が発見したる細胞核を有すとした。」ヘッケル『生命の不可思議』後藤各次訳 岩波文庫 1928年上巻171頁(原著は1904年)

「ところが同じころ自然科学は大きな躍進をとげ、輝かしい成果をあげたので、これによって一八世紀の機械論的な一面性を完全に克服することが可能になったばかりでなく、自然科学自体もまた、自然そのもののうちに存在するところの、さまざまな研究領域(力学、物理学、化学、生物学、等)の連関を立証することによって、経験的な学問から理論的な学問に変わり、また既得の成果を総括することによって唯物論的な自然認識の一体系に変わった。…しかし決定的に重要だったのは次の三つの大発見であった。第二の発見は―時代からいえばこのほうが早いのだが―シュヴァンとシュライデンによる生物細胞の発見であり、最下等の生物を除くあらゆる生物がその増殖と分化とによって発生し成長する単位としての細胞の発見である。この発見によってはじめて生きた有機的な自然産物の研究―比較解剖学と比較生理学、ならびに発生学―はしっかりとした土台を獲得することになった。生物の発生、成長、またその構造上の秘密は一掃された。これまでは不可解な謎であったものが、どんな多細胞生物にとっても本質的には同等である或る法則にしたがっておこなわれている一過程に解消されたのである。」(フリードリヒ・エンゲルス『自然の弁証法2』大月書店 264-266頁)

「1838年と39年にSchleidenとSchwannによって細胞説が宣言されてから半世紀のあいだに、すべての究極的な生物学上の問題の解決は細胞に求められなければならないということが、よりいっそう明らかになってきた。」Edmund B. Wilson,. The Cell in Development and Inheritance, The Macmillan Company, 1896. p.1
「進化論を除けば、細胞説ほど、明らかに多様な多くの現象を一つの共通の観点のもとに置き、知識の統一を達成した生物学上の一般化理論はない。」(同)

「『Schwannの細胞説』。彼は、それをSchleidenの植物発生史から採用した」(Rudolf Virchow, Hundert Jahre allgemainer Pathologie, (Berlin,1895))

「細胞説はSchleidenやSchwannより30年前の1808年と1809年にMirbelおよびLamarckによって初めて述べられた」 John H.Gerould, The Dawn of the Cell Theory, The Sccientific Monthly, 1922.vo.14., pp.268-277.

「Schleidenは、Moldenhauer、Meyen、Mirbel、Dutrochetらの研究を取り入れて、それらをまとめた」 Kter,1938.S.7. in L.Achoff, E.Kter, & W.J.Schmidt, Hundert Jahre Zellforschung, Berlin:Verlag von Gebrer Borntraeger, 1938

SchwannとPurkinjeは同等な業績を挙げていると評価。シュヴァンはそれを発表したという点が違い。( Schmidt,1938,S.68-69. in op.cit.)

Virchowの細胞説は、Schleiden、Schwannの後継者というよりは、ロマン主義者の球状体説の延長上にある。( Walter Pagel, "The Speculative Basis Modern Pathology. Jahn, Virchow and the Philosophy of Pathology", Bull.Hist.Med., 18(1945),pp.1-43.)

「Schleidenの書いたものは細胞説に関するものではない。」 John R. Baker, The Cell-Theory : a Restatement,History,and Critique,Part II, Quarterly Journal Microscopical Science, vol.90, part.1,March 1949.

Bakerの細胞説の分類
(1)生物が細胞からなる、(2)細胞は決まった構造をもつ、(3)細胞は細胞から分裂によって生じる、(4)細胞は物質合成の場、(5)個体としての特徴をもつ、(6)多細胞生物の細胞一つ一つが原生生物の全体に対応、(7)多細胞生物は原生生物が集合して誕生した。

「DutrochetとSchwannの差異は、Schwannの場合には彼が細胞として言及したものが、大部分が実際に細胞だったという点に求められることになるだろう。」 Thomas. S.Hall, History of General Physiology, 600 B.C. to A.D.1900, The Univsesity of Chicago Press:Chicago and London, 1967 (邦訳下182頁)

「核を持つ細胞という解剖学的特定がSchleiden、Schwannの業績をその先駆者たちと隔てている点である。しかし、ほとんどは彼ら以前にできあがっていた理論であった。」Hans G. Schlumberger, "Origins of the Cell Concept in Pathology", Archives of Pathology, 37(1944), pp.396-407.

「 Schwannにとっての細胞は私たちの細胞」J.Walter Wilson, "Cellular Tissue and the Dawn of the Cell Theory", ISIS, 35(1944), pp.168-173.