Virchow『細胞病理学』における細胞説の展開
Development of Cell Theory in Virchow's Die Cellularpathologie.
2000年度日本科学史学会報告(2000/05/21)

 発表者はこれまでシュライデンおよびシュヴァンの細胞説について研究し、またウィルヒョ−(フィルヒョー)の細胞説の形成期についても調べ、主にそこに見られる生命観と科学方法論について論じてきた。また、それらの研究に注目しながら、生命現象を物質レベルに還元することと、細胞という生命独自の概念を形成することという2つの相反しかねない方向性をとってきた19世紀の生命科学の思想を再構成しようと試みてきた。
 本発表では、ウィルヒョー自身が、時間の経過とともに、細胞説*に関する見方、捉え方をどのように変えていったかを検討する。具体的には『細胞病理学』の3つの版(1858,1862,1871)の、特に細胞説そのものに関する記述**を比較し、そこに見られる細胞および細胞説に関する見解の遷移をたどる。
 連続講義の記録として開始した『細胞病理学』は、版を重ねて、次第に書物らしくなり、また内容も増補される。細胞説に関する記述としては、以下のような進展が見られる。
 ・cellulare Prinzip(細胞原理)という表現が用いられるようになる。
 ・細胞が生命の形態の単位のみならず活動の単位とされるようになる。
 ・細胞の形成についての顕微鏡的観察が加えられる。
 ・「すべての細胞は細胞から」生じることが明言されるようになる。
 ・植物細胞が細胞のモデルの位置を脅かされるようになる。
 ・核と膜からなる単純な細胞モデルが捨てられていく。
 ・細胞の「部分」の存在と役割が問題とされるようになる。
 ・原形質の意味が強調されるようになる。
 ・細胞の形成についての議論が充実するようになった。
 以上のようなことなどを踏まえて、次のような進展が認められると主張する。細胞説は多くの事実によって根拠づけられ、生物界の原則としてより強く確信されるようになり、その適用領域も拡大する。細胞説が一つの原理として確定することで、原形質など細胞の構成要素の意味についての問が成立する。発生の問題をクリアすることで、一つの世界観を越え、研究プログラムを提出する仮説として細胞説が捉えられるようになっていった。

<注>
*いわゆる細胞説。ウィルヒョーは別の意味で「細胞説」というタームを用いている。
**Virchow(1858)では第1講と第2講。Virchow(1862)、Virchow(1871)では第1章。
<文献>
Rudolf Virchow, Cellularpathologie in ihrer Begrundung auf physiologische und pathologische Gewebelehre, Verlag von August Hirschwald : Berlin, 1858.(邦訳は朝日出版社)
同著者、同タイトル Dritte, neu bearbeitete und vermehrte Aufl. 同出版社1862.
同著者、同タイトル Vierte, neu bearbeitete und stark vermehrte Aufl. 同出版社 1871.(邦訳は南山堂)
(他にZweite, neu durchgesehene Aufl.がある。)

注:一部予稿を訂正しました。