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すでに何度か述べてきたように,電磁気力と弱い力は統合された 理論により解釈されるようになりました。 このため,電弱理論(Electro-weak theory : EWと略す)と呼ばれます。

EWでは,結合定数α(強い力のαsとは別の量)が約100分の1と 小さく,摂動展開が有効となっています。 このため,実験との比較で要求される精度が仮に1%程度ならば, 最低の次数の計算と,その次の次数の計算があれば,理論の精度としては 十分と考えられます。 実は,純電磁気力に関する部分については,αと大きな対数因子が 同時に現れる場合があるので,そのときには,今の結論は修正が必要となり ます。しかし,この純電磁気力に起因する,このやや大きな量は その主要項を組織的に全次数加える方法が確立しているので, 理論研究上障害とはなりません。 しかも,この主要項は,物理的プロセスに依存しない ユニバーサルな構造を持っているので,各種の場合に共通に利用できます。

実験の結果は多種多様なものがありますので,それら すべてについての理論的研究が必要となります。その中には難しいものも, 容易なものもあります。 また狙っているプロセスと似たような実験的シグナルを出す可能性のある 別の(既知の,あるいは,ありふれた)プロセス(バックグラウンドと 呼ばれます)がある場合は,そちらに 関しても同様に理論的結果を出しておく必要があります。 釣りをしていると狙った獲物以外に雑魚が入ってくるように, バックグラウンドを狙って研究をしている訳ではなくても, 測定器にシグナルを出してくるので,そちらの研究も不可欠なのです。 うっかり,食用と間違えて毒キノコを食べてしまっては困りますが, 同じように,似ている現象の研究も重要なのです。

加速器実験では高エネルギーの陽子や電子を衝突させ,その結果の 「破片」の飛び散り具合を精密な測定器で測ることから, どのような現象がおきたかを推定します。 このとき,可能な現象は,その発生確率に従ってすべてのものが 起きます。狙っている現象だけを,選択的に発生させることは できません。稀な現象がターゲットであれば,張り込みを続ける 刑事のように,長期間辛抱強く実験を続けることになります。 理論家が予測すべきものは,その狙った現象(およびバックグラウンド)が 何回に1回の割合でおきるか,「破片」の角度分布やエネルギー分布が どうなるか,といったことです。 これらの量を基礎となる方程式から導き,理論の基礎となるパラメータを 決定するにはどうすればよいか,もし,理論と実験が一致しない場合は どのような可能性が考えられるか,といったことを研究します。 どうしても一致しない場合は,それはむしろ大きな喜びへと つながります。 なぜなら,それは標準理論を拡張する必要性があることを示すもの であって,21世紀の素粒子論への大きな手がかりとなるからです。

以下でファインマンダイアグラムによる摂動計算の手法を説明します。 最低の次数の寄与をツリー(tree),その次の次数の寄与を1ループ(1-loop) と呼びます。(ただし,最低の次数が1ループであるケースもあります。) 理論家が,ツリー,1ループ,(それと,必要に応じて,純電磁気力起源の 高次項)を計算しておけば, それに対応する実験結果を分析することができます。

こういってしまうと簡単ですが,EWの難しさ,あるいは面倒は, その複雑さにあります。出発点となる式(EWのラグランジアン)は ノート1ページにおさまる式ですが,それから出発する計算は 膨大なものとなるのです。

ファインマンダイアグラムによる摂動計算では,まず,考えている プロセスに関するダイアグラムをすべて書き下します。 例として,電子と陽電子が衝突して,ヒッグス粒子とニュートリノ, 反ニュートリノ対が生じるプロセスを考えます。(これは,将来 電子・陽電子加速器でヒッグス粒子の探求をする際,最も重要性の高い チャネルです。)ツリー振幅です。

sample diagrams

ここで線は理論に含まれている粒子です。(フェルミオンは 矢印で表し,半粒子は逆向きに書きます。) 線と線が交わったところが,頂点と呼ばれ,粒子同士の相互作用を 表しています。どのような相互作用があるかは,出発点となる ラグランジアンですべて決まっています。
この図では,ダイアグラムは下から上に読みます。 左のダイアグラムでは,電子と陽電子が衝突して対消滅してZボソンとなり, そのZボソンがヒッグス粒子とZボソンに分裂し,そのZボソンが ニュートリノ対に変換された,という過程を表します。 右のダイアグラムでは,電子と陽電子がそれぞれWボソンとニュートリノ に変換され,その2つのWが衝突してヒッグス粒子になっています。
例えば,左のダイアグラムでは,ZZHの3体頂点が見えます。 このZをγ(光子)に置き換えることも出来るように見えますが, γγHの3体頂点は,ラグランジアンの中にないため(この次数では), そのようなダイアグラムを描くことは禁止されます。
多くの粒子,多くの頂点の種類がある中で,可能なものをすべて 間違いなく計算しないと正しい結果は得られません。 今の場合ツリーでは2個のグラフでしたが,1ループを考えると グラフの数は約200個となります。そうなると,過不足なしに ダイアグラムを考えるだけでも,大変だということは分りますね。

diagram to amplitude

上に示したように,1つ1つのダイアグラムは一定のルールで, それを表す関数に置き換えられます。 上の図でDは粒子の内線を表すプロパゲーター関数,Γは頂点関数, 残りの因子は外線の波動関数です。ベクトルやスピナーの細かい数学的 構造は省略しています。pは粒子の運動量で,保存則により, p1 + p2 =q, p1 + p2 = p3 + p4 + p5 などの関係が成り立っています。 それぞれの関数は理論に入ってくる粒子の質量や 運動量,結合定数の関数です。この関数をすべてのダイアグラムについて 合計したものを計算することにより, プロセスの理論的な記述ができます。

プロセスによっては,それを表現する数式が何千ページにもわたる 出力となることもあります。(実際には印刷はしません。無駄ですから。) 我々のグループが最近計算したプロセスは,その被積分関数を表す式 だけでCD-ROM1枚には収まりませんでした。CD-ROMは約640万文字の 数字と文字記号からなる数式を記録できるのですが。 さらに,それを計算して,実験結果と比較できる数値を 出す必要がありますが,それには高速のコンピューターを使っても 1日以上かかる場合もあります。 馬鹿馬鹿しいと思うかもしれませんし,実際,やっている我々も もっと良い方法がないかとは考えるのですが,とにかく,重要なのは 実験データが出てきたときに,それを分析できければならない,という 点が最重要だということです。そこを原点にして問題に対処します。 それしか答えを出す方法がなければそうするしかありません。

このような長大な式を処理するためには,従来の理論家がやっていた 紙と鉛筆と頭脳に頼る方法では限界があります。 一方,計算の方法自体はよく確立されていますので,EW理論の摂動計算の 補助を自動計算システムに任せることにより,答えを出すことが可能となって きました。
理論物理学者というと,書斎にこもってなにやら思索しているという イメージがあるかもしれませんが, このような大規模計算をこなすためには,グループで計算機を駆使して 仕事をする必要があります。(仕事がたてこんでくると, 「計算労務者」という状態となります。) 世界的に見ても,その必要性から,いくつかのチームが それぞれ自動計算システムを開発し,標準模型の理解に必要な計算を 行っております。私は,日本のKEKを中心としたGRACEグループに所属して 仕事をしています。GRACEグループは,(以前の)研究場所から「南建屋」とも 呼ばれており,この業界の関係者であれば "Minami-Tateya"で通じます。

GRACEシステムにより物理プロセスを計算する手順の おおよそを示します。図も参照してください。

  1. 理論を忠実に表すモデルファイルを準備しておく。
  2. 計算したいプロセスを指定し, それを表現するファインマンダイアグラムをすべて生成する。
  3. 生成されたダイアグラムに対応した式を生成する。
  4. 生成された式を必要なライブラリとリンクして, 反応の行列要素を表す被積分関数を作る。
  5. 適切な運動学的コードをライブラリから選んでつなげ (ない場合は運動学的コードを作って),数値積分を行う。 この結果が,実験結果に対する理論的予測となる。
  6. さらに,その結果を使って,イベントジェネレータを作ることもできる。

GRACE system


....以下説明未了
運動学的コード

1ループ

イベントジェネレータ

検算