試験とレポートの採点。この10日間くらいそれ以外のことがほとんどできていないよ。
彼氏の実家でお父さんに会って、最初に聞かれたのが「女の子なのにどうして理系なのか?」というものだったという体験を記したレポートがあった。(いったい何のレポートだ?)「男=理系、女=文系」という先入見の浸透の深さを初めて体験したということらしい。その「無垢」がまぶしいぞ。とらわれていないということは、いいことだと思う。でも、本人は「得意科目」で決めたらしい。それもなあ。
形式上の「夏休み」はあまり関係なく大学は動いている。卒業研究セミナーは夏休みもやることにしている。
保谷市と田無市が合併してできる市の名前の有力候補は、北多摩市、西東京市、ひばりヶ丘市らしい。たしかに東大阪市、東広島市もあるし、場所はすぐわかるけれど、「西東京市」は自主性のかけらもないぞ。だいたい「西東」って並びは変だ。「北多摩市」では、「北」を書き忘れる郵便物が殺到するに違いない。首都圏の人は、居住地や所在地を「最寄りの駅名」で言う習慣がある(”明治大学は「明大前」にある”という表現は、本当はおかしいでしょ?)ので、急行停車駅の名前でもあるひばりヶ丘市がいいかも。(いかにも新興住宅地的な響きをもつという恨みがあるし、ひばりヶ丘団地は東久留米市にもかかっているという反論も出そうだ。)
NTT東日本のフレッツ・アイ(4500円で事実上常時接続)は、1〜2ヶ月待ちらしい。大ショック。せっかく富士通のNet Vehicleを買ったのに。
右脳左脳は本当にあると信じるようになってきてしまった、と某氏から転向(?)を告白される。最近では、「話を聞かない男、地図の読めない女」とかいう本が売れているらしい。お決まりのストーリーによれば、脳はたくさんの種類の機能があって(これは本当だろう)、だからその能力に個人差があり(これもそうだろう)、特に男と女には明確な差があって(そこまで断言できるかな?)、しかもそれは生まれつきのものだ(それは確かめるのが難しいのでは?)というやつだ。性差(男女差)に意味を見つけようという試みを面白いと思う人が多いということなんでしょうね? うーん、面白いのかな?
文京区の某大学の総合図書館。コピー機の一部が新しくなっているが、古くてグワングワン音をたてるやつの方がリズムがとりやすくて仕事が速く進む。
面識のまったくない方からときどきメールを頂きます。できるだけ返事をしようと思っています。でも、「アメリカはなぜ生命科学に力を入れているのでしょうか?」とか「クローン技術の倫理的問題点はなんでしょうか?」といった質問に答えるのは難しいよね? 科学論の専門家なんだから、たぶん質問者より知識はあるだろうし、意見ももっているけれど、責任ある答をするのは難しいよ。手に負えない宿題を出されたみたいで泣きたくなっちゃいます。どうすればいいんだろう。Web上での責任って何だろう。メールだけの自己紹介なしの関係ってどういうもの? そんなことを考えていたら、質問メールの返事の返事がやってきました。科学史の勉強が可能な場所についての質問でしたが、実際に社会人入学の決意をされたというもの。ちょっとうれしかったです。
要町のBOOK OFFで大量に「人生本」を購入する若者(男)を発見。「自信」だの「恋愛」だのといった言葉がタイトルにつく本が十冊くらいはあった。彼の人生に何があったのだろうか。BOOK OFFは思わぬ拾い物ができることもある。
岡崎京子など、ふと手にとって読んでみる。実際に90年代になってからマンガが描けなくなってしまった彼女は、80年代の気分をその作品の中に凍結してしまったような存在だ。(後記:岡崎さんの事故は96年だそうです。どうやら自分の時間感覚ではまだ90年代が始まったばかりのようだ。確かにこの十年はあっという間だった。)
いつになるのかわからない。ISDNは導入完了。ダイアルアップルータもつないだ。ただし、ここにも書いていないけど工事には時間がかかるフレッツアイがにくらしい。NEC社PC-98固有のC-busという、現在ではあまり目にすることのない規格のLANボードを購入。レジの店員は「C-busで良いんですか?」と注意を喚起して欲しかった。「はい、間違いありません」と答えるのが、7年ものの使用者の楽しみなんじゃないか。ところで、共著者との打ち合わせのその日に編集者から暑中見舞を装った様子伺いと牽制のメールとは絶妙のタイミングだ。
コンセンサス会議が、いま話題です。詳しくはここに出ていますが、遺伝子組み換え作物について「素人が勉強して判断を下す」という、まあ陪審員のイメージで考えると捉えやすい制度ですね。ただし、別に公式の制度ではなく、試み的なものなので、いったいどのような効果があるのかは不明。もう、いろいろ進行してしまっていることについて、これからやるの?という疑問もある。でも注目すべき試みであることには間違いない。参加希望者は早めに! 資格は「一般市民」?
追試の課題を考えなければならない。(八王子校舎の「希望者」だけ)レポートの添削もまだ残っている。他にも出すべき書類がある。そうか、まだ私の夏休みは始まっていなかった。
研究と教育とその他の3領域の仕事の割合を合計100%になるように 「百分率」で示せというアンケートがきた。いや、間違えた。順序としては研究より教育が前だった。その他というのは、「校務」あるいは学会関係の仕事をいうようだ。気持の問題なら心に聞いてみて書けないことはないが、かけた時間の実測値となるとどうだろうか。実はちょっと計算してみて自分の週あたり労働時間がどんなものか調べたことはある。でもその結果がイヤになって見ないようにしていたことなので、あらためて問われるとは。。。
中村禎里著「生物学を創った人々」(みすず書房)の新装版(?)をまためくっている。この本は、著名な歴史上の人物を一人一人壇上に上げて論じていくタイプの歴史書だ。各人物と斬りつけ合うその真剣さに脱帽する。たしかに、そうやって人物ごとに取り上げないと、どこからどこまでが「生物学の歴史」なんだかよくわからなくなってしまう。どこかに線をひかなければ。
古本市というのが、この時期の新宿のいくつかの百貨店では行われている。(たしか1982年か81年に初めて京王の催しに行った覚えがある。)特に初日の伊勢丹の混雑は尋常ではない。勢いにのってかごに次々と商品を詰め込み、雰囲気に流されて買ってしまう。そう、これはバーゲンだ。しかし、コアなおじさんたちは、皆定年退職後という様子。いつまでこういった催しが続くのか?
芥川賞だ、そういえば。作家って副業になったのかしら。
東京工業大学のある研究室のゼミに参加。ここには、生命科学と倫理というテーマの関係で加わっています。新宿の町中は店内放送や音楽がうるさいが、ここではセミがうるさい。同じ東京とは思えない。そういえばこのキャンパスには、どこからか逃げ出して繁殖し、住み着いた熱帯の鳥たちもたくさんいるという。
「知の欺瞞」というタイトルで邦訳された本のことが話題になっているWeb Page(掲示板など)をいくつか見た。紙に印刷される書評なんかよりもこういうところの方が好きなことが言えるのだろうか。
新刊書を出したある研究者のところに、「今度あなたの本のこんな書評がうちの雑誌に出るけど良いか?」という伺いが来たという話を聞いたことがある。その人は正しくも、「そんなこと聞くもんじゃないでしょ」とはねつけたらしいが、でもそういう気配り(?)っていかにもありそう。
「ポストゲノム」という言葉をよく目にする。一次会が終わってこの盛り上がりを消さないように二次会に持っていこうという感じかな。「IT」だの「ゲノム」だのタイトルにうたって、この一冊でわかるよとアピールする本はそこそこ売れるのだろうね。
夏休みということで大学には人が少ない。といっても、新宿校舎は何かの催しに部屋を貸しているし、卒業研究のために実験をしているような学生もちらほら。そして、研究室に閉じこもって文章を書いている教員。やかましくないだけで、けっこういるのね。人口密度が低くなると冷房が効きすぎというのは、「中央集権型」空調の欠点だ。
昔の学生が家に来た。ウィンドウズ2000を数十台の計算機にinstallするときには一度に7台ずつ試みるのが効率的であること、インドから輸入するサンスクリット語辞典は臭いということを習った。