2ヶ月に満たない時点で発表するとは、どこかにもれちゃったか、大きく取り上げられては困る他のニュースをごまかすためか、どちらかではないだろうか。
大学全体の会議(教授総会)は今年度初めて。新人の紹介があるが、大学教員の新人は30歳台から60歳台までバラエティに富む。たいへんお世話になった方の親族がいるとか、不況業種の企業を辞めて来た人は逃げてきたのだろうかとか、某工業大学から来た人がいるということは、そこよりうちの方が研究条件が良いのだろうかとか、いろいろ考える。
「今日5つめの会議」というK先生に「4つめです、負けました」と答えたが、午前中2時間授業していることも考慮したらどうだかわからない。
河島英五の死因が肝臓病と聞いて「言行一致」という四字熟語が頭に浮かんだ。どうして肝臓病になったのかは知らないけど。
日本の大学教員採用でこういうものは初めて見た。ここにある大学教員の公募要項には、「研究業績及び研究、教育能力が同等と判断された場合は女性候補者を優先採用します。」とある。
そういえば文部科学省の科学研究費の応募書類に通称(たとえば旧姓)が使えるようになるらしい。
産休のせいで手当てがカットされたのを不当と訴えていた予備校職員が裁判で勝訴というニュースで判決で、裁判官は「働く女性」という言葉を用いていたが、対して原告側弁護士は「働く男女」と述べていた。
外国人や女性の採用がいまどき珍しがられているというのもなあ。女子学生や留学生が少ないのも納得。
NHKスペシャルの「遺伝子特許」再放送。特許が研究や医療の妨げになるというスタンス。それもたしかだが、特許がとれなかったら誰が大金払って研究を支援するのかという声も当然入れて良いだろう。
今年からできた第2部の新しい3つの学科は、 漢字2文字+カタカナ8文字、漢字4文字+カタカナ4文字、漢字7文字とそれぞれ長い名称を持っている。ちょっと今っぽくてかっこいいのだが、書類の学科欄は小さいままだったりするので書きにくいことこのうえない。そろそろ自然発生的に略称が発生してくる頃だが、単に旧名称が略称になりそうな気がするところもある。
まだ1年生しかいないので気が早い話だが、就職活動の時に「機械システムデザイン学科とは何か」ときかれて「元は機械工学科です」というのが最も簡単でわかりやすい答えになってしまいそうな危惧も感じないわけではない。
「教養学部教養学科第一科学史および科学哲学分科」とか「大学院理学系研究科科学史科学基礎論専攻」とかいうのを履歴書に書くのもけっこうめんどくさくて、「文学部哲学科」とか書けたら手が痛くならないし、ワープロでも一発で変換できるし気持がいいんだろうなと思った覚えはある。「教養学科第一」が学科名だなんて、卒業生でも知らない人がいるかもしれない。いくら欧州かぶれが多いからといっても、日本語で後ろからかかる修飾語を使うなんて信じられない。
また事故で止まっているという中央線を横目で見ながら夜が更ければ更けるほど汚く込み合ってくる埼京線のホームへ。水曜日にしては比較的早い時間に学校に行ったこともあって、夜の授業が終わると疲れがどっとでてきた。
大学の研究室に電話があって、投資用にマンションを買わないかというものだったが、自分のもないのだというとあっさり引き下がった。「自宅以外にマンションを購入されて副収入を得ていらっしゃる先生がたくさんいらっしゃいますよね」と言われたが、私は一人もしらない。
日記に自分のことを書いて欲しいという学生がいるので、何か目立つことをするように言おうかと思ったが、何をしでかすかわからないと考えて言わずにおいた。
台湾の偉い人が私の故郷に来るらしい、しかも治療目的なので日本の他の地域に行くことは許されないそうなのだが、最寄りの空港はほとんど国際線がないようなところだ。この空港に直接専用機で来るのだろうか。
何だかわからずに各社の勧誘でマイラインに登録して、互いに矛盾する情報がNTT東日本に行った場合どうなるのだろう。勧誘が激しいだけにありそうな気がする。
都心の大学に通う大学生の通学時間は増加しているように思う。神奈川、埼玉、千葉はまだいい方。茨城、栃木、山梨、静岡から毎朝通ってくる学生がけっこういる。「今朝カモシカを見た」などという話を東京の大学生から聞くとちょっとびっくりする。実家の家業が動物園であるか、珍しいペットを飼う趣味があるのでなければ、カモシカの棲息地域に住んでいるということになる。
昔だったら下宿か何かしないと通えなかった中途半端に近い地域に実家のある学生が、自宅通学を選ぶようになっているということではないかと思う。新幹線通勤が可能になった、一人暮らし 向け住宅の家賃が上昇した、昔風の安い下宿の人気がなくなったなどの理由が考えられる。
気分が悪くなるくらい暖かい日。駅のベンチでスーツ姿の女性が吐いている。夜ではない、朝8時台の話だ。
道に迷って案内板を見ながら大学の内外を歩きまわって思ったのだが、早稲田大学は膨張しているのではないだろうか。近辺の土地が売りに出されると買って新しい建物をたてているのか、大学の名前を冠した新しい建物が、門の外にいくつもできている。
組合の仕事で2週連続土曜日にお勉強。急造執行委員には知らないことばかり。都心の窮屈さを避けて郊外に避難した大学の都心回帰が始まっており、今や学校法人は都心でまとまった土地を探している最も優良な買手であるそうだ。
日曜日は短い。土曜日に遅くまで起きていて、月曜日の朝が早いからだ。
会議のあと共通課程今年の新人の歓迎会。異質な人が一人入ってくることで、その集団の見えざる等質性があらわになることがあるものだ。
青土社の『ダーウィン ウォーズ』は、変な日本語タイトルで驚いたが、原著もこのタイトルと知って再び驚いた。
カケンヒ=文部省科学研究費補助金、落ちました。帯状疱疹を押して学校に応募用紙を持参し、学務課長の前の長い列に並び、たった一カ所のミスのために何枚も書き直したあの努力が報われないとはちょっと虚しい。黙っていても1人数十万円もらえるような大学もある(>こういったことは私大教連の資料で知った)中、基本の研究予算が中高の先生から大学の先生まで同じ15万円しかない学校法人工学院大学では、どこからか予算を調達しなければならない。今年は学校の研究費を申し込んでいるので、それで何とかする。そちらもなくなる来年度がたいへんだ。
「駐輪禁止」のプレートがいくつもあるのに、ことごとく自転車に取り囲まれており、駅前広場中に広がっている目白駅前は広くなった分、汚さが目立つようになってきた。駅はきれいになったのに。
商品のバーコードをスキャン入力して、その商品についての情報を検索するシステムがあるらしいのだが、バーコードをスキャンできるようになるのは商品を買ってしまってからなので、情報を商品の選択に役立てることはできないのでは?
池袋「古本大学」。良いのか悪いのかよくわからない微妙な立地の店。けっこうちゃんとした本も置いてあるしそれなりの値付けもしているのだが、どこにでもある本の安売りもしているというあたりの方針もけっこう微妙だ。
オヤジギャグに対して最近自分が寛容になってきていることに気づいている。その理由としては、社会的機能を理解することができる という合理的な側面もあるのだが、他方で言わざるを得ないことに対する同情の気持もあるのではないかと自分の心理を分析している。 なお、現在のところ概念を明確に定義するまでは至っていないが、特徴としては、わかりやすい、くだらない、害がないの3点を挙げることができるのではないかと考えている。そして、特に上記の第三の要素が、社会的機能という面では重要なのではないかとにらんでいる。
また仕事がたてこんできたぞ。
「10時半になると電気を消します」という放送。光量が減って暗くなるので、あわてて仕事を途中で放り投げて出てくる。エレベータで地下まで降りると、もう電気は消えていた。入り口のシャッターは閉っている。横の鉄扉を開けて外に出る。
教室定員=座席数の70%くらい埋まると、教室が小さすぎると文句をいう学生が出てくる。たしかに大学の教室は座席が密着していて、狭苦しいものだ。 1人に1つずつの机で小、中、高校と過ごしてきた学生には苦かも知れない。 ただし、教える方としては一人一人の顔色が読みにくくなるし、教え手の存在感がなくなるので、広い教室はイヤだね。
シラバスをWebで見た「20数年前の大学生」の方から、最近の大学の授業では教科書をあまり使わないでプリントやレジュメを使うのですねという指摘を受けた。確かに大学授業における教科書使用は衰退していると思われる。理由として考えられることは、教科書を指定しても学生が買わなくなった、学生が教科書のレベルについてゆけなくなった、大学の先生が授業に工夫をするようになった等である。
新宿駅の埼京線のホーム正面に見えるビックカメラパソコン館の大きな看板の前を、黒三毛の小さな猫が横切った。どこで生まれて、どこに住んでいるのだろうか。確かに食べ物はたくさんあるだろうが。
やっと『生物学史研究』の入稿が全部終わった。いろいろと気を使うことがあることに気づいた。
最近テレビニュースは自民党の宣伝ばかりしているように思える。総裁選というイベントでもりあげをはかるなど、賢いマスコミの使い方を覚えたようだ。
GWの計画をたてる。といっても、遅れている仕事のうちどれからやるかという計画だったりする。とりあえず締め切りがはっきりしている書評を優先してしまいそうだ。
行政責任が認められたのは画期的だが、当時の役人はもうとっくに退職済。責任って何だ。水俣病に関してはこちらが詳しい。
「満州国」皇帝の元妻が亡くなったというニュースも同じだが、まだこんなことがあったんだねという意外なニュースの一つではある。あんまり大きく取り上げられていないようだ。
4月でもメーデーとは変だが、そもそも5月1日を祝日にしないのが間違いだ。
立ち読みで岩波書店の『世界』5月号をたまたまじっくりと読んでしまっていたので、NHKの番組「問われる戦時性暴力」が放送直前に大幅な内容及び方針変更をした経緯についてはすでに知っていたのだが、 ネット上でもここに出ていることを科学史のメーリングリストで知った。
「従軍慰安婦問題」に代表される「戦争時の性暴力」をどのように裁くべきかという、もともとの方針の核心部分が排除され、批判精神を欠いた、焦点のぼけたぬるい番組になったのは(しかも直前に変更された)、 どっかから圧力があったからじゃないかと考えるのは当然だろう。もとの方針に賛同して出演した研究者たちが「ダマシやがったな」と思うのは無理もない。「知る権利の侵害」というのも、確かにそうだと思う。 しかし、最初からそういう番組だったらこんなに騒ぎにはならなかったろう(「女性国際戦犯法廷」を取り上げる必然性を認めない人がいるはず)から、 そもそもこういう番組をNHKが企画できたというあたりは誉めても良いのではないかと思う。NHKにあんまり期待するのもどうかな。 良い番組作りそうだったからちょっとは期待して出演引き受けたのにいったい何だよ、というのが出演者としてはまっとうな怒り方のような気がする。国や天皇にかかわる言論の「不自由」はここに始まったわけではないのだから。大状況の見えない学者たちが自分のかかわったことだけ問題にして騒いでいるという誤解は受けたくないものだ。
ちなみに、署名はもちろんしました。
日に「3度」新宿郵便局に足を運ぶことがもう何回かあった。窓口の何人かは、特に余分な会話を交わすわけではないのだが、十分に顔見知りだ。髪を軽く脱色したおじさん(お兄さんと言うよりはおじさんだと思う)は、なかなかイカシタ公務員だぜ。
もらいものの本、書評する本、授業用の資料、研究のための本など、読みかけの本が何冊もある。一気に読まないと読めない本もあれば、少しずつじゃないと読めない本もある。一番やっかいな本の場合、少し読んで、またしばらくして最初から読んで、そのときは前に読んだときよりはたくさん読む、といったことを繰り返して最後に通読するというものだ。
ヘルペス跡の神経痛。全然気にならない時間もあるが、チクチクしてくるときもある。夜中はけっこう痛む時間帯。他に、気温、湿度、気圧、その他気候条件、また睡眠時間、活動量、食事などの身体条件、心配事の数、たまっている仕事の量、近日中に連絡をとるべき人の数などの社会的、精神的条件のうち、どれがどのくらい痛みに関係してくるかたいへん興味のあるところだが、自分でデータを細かくとるだけの余裕はない。夏休みに自由研究をする小学生の観察日記の対象になってもよい。
洋泉社『遺伝子改造社会あなたはどうする』を少し立ち読み。対談だけで1冊の本とは。それぞれの著者がちゃんと一冊の本を書いたら買うことにしよう。 同じ新書コーナーにあった森博嗣『臨機応答 変問自在』(集英社)は、教える立場の感覚に共感。
ジャパンネットバンクに口座を作ったらちゃんと500円プレゼントされていた。今確認したところ。使う予定は今のところほとんどなし。そうそう、電話代プレゼントのフュージョンコミュニケーションズにも登録した。
ブックオフ花小金井店にバスで行くときは、「花小金井駅入口」ではなく「青梅街道」で降りるのがおすすめです。