5月1日はメーデーに決まっている。世界的に見ればまだこの日が多数派のはず。代々木公園まで歩いて往復は足の裏が痛くなる。新宿西口を見慣れぬ他の大学の人たちのため、これが都庁です等の説明を行いながら歩く。
たまたま1F付近にいたために記念写真を撮らされた学生さん、使いにくいデジカメでごめんね。何度も押し直したみたいで、何枚も撮れていたよ。
学内で手をつないで歩いている男子学生同士のカップルが目撃されたとの朗報。
最初の授業のアンケートで「楽しい授業にして下さい」というのがあって、ちょっとびっくりしたのだが、 「シラバスを見て楽しそうな授業だと思った」とか、「今日は授業が楽しかった」という感想を読むと、いったい彼らにとって授業とは何だろう、楽しいとはどういうことだろうと考えてまう。 そりゃあ、映像や画像を利用するとか、ちょっとしたクイズや作業を取り入れるとか、その他興味をひく工夫は、授業が単調にならないようにしているつもりだが、どうもそういうところを見て言っているだけでもなさそうだ。 だいたい、授業に楽しみを見出すというのがよくわからない。授業の価値は楽しさ以外のところにあり、楽しみたかったら授業に出る以外のことをするというのが私の感覚だが、それはおかしいのだろうか。 かれらのいう「楽しい」は非常に広い意味を持つのだろうか。 単に語彙が乏しいだけなのだろうか。 謎は深まる。
今日の夜の授業の感想に「他大学学生です」というのがあった。 自分の通う大学は休みなので、高校時代の友人の通う学校に遊びにきて、 ついでに授業にまで出てしまったというところだろう。 けっこうこの時期休みになる大学は多い。
殺された人には申し訳ないが、ニュースで一番気になったのは、死んだ短大生に「担任」の先生がいて、しかも出欠をしっかり把握していることだった。
4日間、授業と組合と雑誌編集は忘れるけど良いですね?
サドについて(も)触れられている本を読んでいるので、ちょっと調べていたら、ここを発見。でも、日本語だと澁澤龍彦か三島由起夫経由というのが普通なんだろうか。フランス語のよくわからないこちらの「サド」イメージは、そうやって作られているように思うのだが。
翻訳された本を読んでいる。「これは?」と思うと訳者か原著者のミスであることがある。また、わかりにくい文章も、2つの言葉で表現されれば重ね合わせて意味を理解できるということがある。こういう確認に原著は欠かせない。
"historyand philosophy of science"が「科学の歴史と法則」、"historian and philosopher of science"が「科学史家で哲学者」と同一書内で訳されてしまうのは、「科学史科学哲学」という単語が認知されていないという事実を明らかにしているのだろう。
先日メーデーの夜の打ち上げで一緒だった3人の職員は、それぞれ経理課、衛生室、情報センターに勤務しているのだが、後から考えてみたところ三者三様に、「ヒラ」の教員など足下にも及ばないいずれ劣らぬ権力者であることに気づかされた。 まず、経理課職員は、全教職員の懐具合いを把握している。しかし、そういった人間の表面ではなく、教職員および学生の身体的データをすべて保持している衛生室の方が、圧倒的に強い力を持っていよう。 だが、大学のサーバの管理者でrootのパスワードを知っている人物こそ、影の権力者に違いあるまい。
よりによって、行楽地が混雑しているこの時期に日本に来なくても良いと思うのだが。 それに、将来の権力者たるべき人物が敵国文化に浸ろうとしたなんて、もし本当なら第一級の国家機密だろう。 日本政府としては、泳がしておいてアトラクションに興じている姿を写真におさめたり、お迎えの人(がきっといたはずだと思う)を把握しておき、今後の交渉で役立てるなどという手をどうして使おうとしなかったのか、とても不思議だ。
子供の日アンケートで、男の子のなりたい職業の第3位が「博士、学者」であったらしい。どういう風の吹き回しだろうか。野球選手と違ってテレビで放映されはしないし、医師や花屋さんと違って身近なところでその仕事に接することが多いとは思えない。親が期待する職業とも思えない。(低年齢の子供の職業希望に、親の影響は非常に大きいと思うのだが。)
ただし、日本の研究者の人数およそ70万人(文部省統計)は、プロ野球選手やサッカー選手と比べると100倍以上になるはずなので、現実的な職業ではあるのだろう。医師や弁護士のイメージ悪化による漁夫の利か?
「女の子」の方ではどのくらいなのかな 。
最寄りのJRの駅までバスが通ったことを知った。時刻表を確かめたところおよそ1時間に一本しかない。もうちょっと多ければ使えるのに。だいたい、地元に住んでいて知らなかったし、会社のウェブページを見ても(まだ?)載っていない なんて、やる気がないとしか思えない。
店員さんがナース服姿で本を並べている店の風景は、ちょっと不思議だ。大人数でコスプレすればそれなりの世界ができるのに、1人だけだと逆に危うい雰囲気が漂うということがわかった。
八王子から新宿に移動。日本語のあまりできない英語講師と一緒だったので、およそ30分間無料で英会話の練習相手を得た。外国人でも日本語の得意な人だと、ついつい通じる言葉に頼ってしまうので練習にならない。
郵便振替の自動受付の機械(新宿郵便局)が手書きの数字をちゃんと読み取っているようでちょっとびっくり。
八王子校舎が近くなった。「ひよどり山トンネル」というのができて、学校のバスが近道できるようになったからだ。でも、いつもこの有料道路を通るわけではなく、使ったり使わなかったり。基本的には近所にある総合学園のためにできたものであるという話だ。バスは、トンネルを抜けた後、この学校の巨大な建築物のふもとを抜けて工学院に至る。政治力と規模の違いを見せ付けられる月曜の朝である。
先月ここに書いたことの事情が少し判明。ここのとりわけ提言4を見るとよくわかります。 ポジティブ(アファーマティブ)アクションがしっかりと明言されているんですね。中には、これまでも女性の教員が欲しいと思っているけれど、「その他の条件が同等なら女性優先」とは書きにくい事情のところもあったと思う。この提言のような後ろ楯があると都合が良いかもしれない。
「2月および3月限定割引」という札の付いた棚にある商品をレジに持っていったら、その安い値段で買えた。値段をもとに戻すのを忘れているのか、札の数字を換えるのを忘れているのか、どちらかである。
米国の大統領は、エネルギー資源はこのままではなくなるが、当分化石燃料(と原子力)を使うので節約しようという意味のことを述べたらしい。石油危機があって、Amory Lovinsがためらいながらも「ソフトエネルギーパス」を提案したのは、いったいいつの話だっただろうか。間違えてお父さんの方にインタビューしたのではないのか。20年前のようなセリフだぞ。
書評1つを仕上げてメールで送信。返事が来てとりあえず安心。仕事が1つ終わった。
今年の予算で図書館に入れる学生用図書の選定など。「予算を消化する」ということの難しさは、多すぎでも少なすぎでもない金額を、周囲の動向を見ながら、ほどよく目的にかなった物品に対して使用するところにある。一定の金銭の使用を任されているのだから、適切に予算を執行するための配慮は当然必要なのだろうが、いろいろ考えると頭が痛くなる。 天性のバランス感覚と、長期にわたる厳しい訓練がともに必要とされ、大学教員の仕事の中でも最も難易度の高いものとされている(のではないかと私は思う)。
ふと気づいたのだが、某辞典でA氏の写真とされているものと某書でB氏の写真とされているものが、同じだった。 同じ人の別の写真というのではなく、まったく同じ写真なのだ。この二人は、どちらも物理学関係者だし、アルファベットで書いたら名字の最初の二文字も同じようだ。どうも、どちらかの書き手がうっかりしていたものと思われる。
どちらが本当なのか私にはよくわからない。詳しい人にはわかるのだろうけれど、特に調べるつもりはない。
同じ人の別名ではないかというのも、まったく考えられない話ではない。
新しく入手したラジオ(ただしラジオ機能がメインの製品ではない)のチューナの周波数設定をしようとNHK第2放送を探していたら、リクエスト再放送ということで松本健一が北一輝について語る番組をやっていた。20年も前の番組のリクエストをする人がいるのは驚きだが、その数少ないであろうリクエストに答えるとは、NHKの、しかも聴取率などもう気にされてもいないであろう第2放送ならではである。
たいへんお世話になった、日本でただひとつの医学部医史学研究室先生の退官パーティに出席。
当然のことながら出席者の平均年齢が高いこういう場で私のするべきことは、ご無沙汰しておりますと言いながら知っている人に挨拶してまわることだ。
「遺伝子スパイ」って何のことだろうと思った。理化学研究所は調査チームを作るらしいが、向こうは納得しないだろう。クリーブランドクリニックの背後には、NIHそしてアメリカ政府があるようだ。容疑の内容が本当ならば、日本では曖昧にできるようなことかも知れないが、権利意識がはっきりしており、研究資金の使われ方に厳しいアメリカではたいへんな問題になるはず。でも研究結果に直接反映していなければ明確な証拠はないだろうし、単なる牽制のために告発しているだけかも知れない。エイズウイルスの発見だってうやむやになった。そうなる可能性が高いのでは。
その一方で、アメリカには生物の情報はオープンソースにすべきだという運動があるらしい。モデルはLinuxだそうだ。確かに情報が共有されることによって推進される研究もあるだろうが、生命科学の研究に関して個人によるボランティア的な活動が自然発生するようになるとは考えにくい。だいたい生命の情報は、ハードウェア依存性が高すぎるのではないか。
大学に入って土曜日も学校があるのでびっくりしたという新入生。確かに高校までは土曜日が休みになりつつある。大学も国立なら休みだ。それに対して土日サービスを充実させようとするのが私立大学。
新聞報道によれば、入社する前はそうでもないのに入社後それほどしないうちに転職したいと思うようになる若者が増えているらしい。協定が廃止されてから、就職活動期間は妙に長くなった。3年生の終わり頃から卒業するまで、学生の誰かが就職活動をしている。短期決戦じゃなくなったから時間をかけて就職先を選んでいるように思うのだがどうしてだろうと考えてみた。たぶん、入社前に転職したいなどと思わないのは、難関を突破して就職できることになった喜びが大きくて、会社に適応できるかどうかなんて考えていないからにすぎないのだろう。
パソコンでワープロソフトとメールソフトは使えるのに、添付ファイルで文書を送れないという場合、連絡はメールだが原稿送付はFAXという非常に奇妙なことになるようだ。でも、こういう中途半端な「電子化」はよくあること。e-mailを使える人と使えない人がいるので、連絡によけい手間がかかるようになったという話はよく聞く。 そういう場合、むしろ古いやり方の方が省力化できて合理的かもしれない。何でも電子化すれば良いというものではないだろう。
NHK教育の「真剣10代しゃべり場」を見る、すでに10代ではなくなった人たちには、若いっていいなあとほのぼの見入るタイプ、痛々しくて見ていられなくなりチャンネルを替えてしまうタイプ、痛いのを我慢して見るのが快感で見てしまうタイプの3つがあることを知った。
うっかり使いかけのパスネットを2枚ためてしまったが、清算機がちゃんと2枚の半端金額を全部吸い取ってくれた。けっこう賢いじゃないか。でも、定期とパスネットを一緒に入れて改札を通るときは、たいてい一度改札が閉まってしまう。機械の判断が歩く早さに追い付かないようだ。
やったことはどこかにまとめて書いておかなければと考えるようになってしまった。明治時代動物学史関連は、もう少し何かまとめておこうと思っています。
夕方発表だというのに、テレビ各局のニュースがしっかり準備されていたのは、1月前に予告をしていたからだろう。「可能性」の発表には、そういう意味があったのか。映像、コメントとも、失礼がないように入念にしっかり準備するにはこのくらいの時間が必要かも知れない。
会議が多いのに驚きだというのが、日本で就職した外国人大学教員の弁。そのとおりだと思う。この調子だと、何も発言がない時間が一定程度経過することで議事が決定されていることには、まだ気づいていないかも知れない。おそらく親睦団体の活動や職員の「サービス残業」などはもっと理解できないだろう。