以前1つだけ項目の原稿を書いた某辞典の会社から発行が遅れるというハガキが来た。これから校正に入るらしいが、原稿を書いたことなどすっかり忘れていた。所属に変更のある人は届けるように書いてあったが、原稿を書いたのはこの大学に来てからのことだったか来る前のことだったか、よく覚えていない。
辞典項目の執筆の良いところは、辞典を1冊もらえる可能性があるところだ。しかも、辞典の代金の方が、たいていの場合原稿料より高い。
事件の公表が、学長選挙を前にしてというあたりは、気にならないと言えば嘘になる。やっとWeb Pageも作ったようだ。
「蚊」のTV-CMを見たが、終わるまでそれと気づかなかった。もちろんどんなゲームなのかを伝えてくれるものでもない。(リンク先の頁の、蚊に血を吸われる山田家親子のABO式血液型の設定は、遺伝の法則に反しているとの指摘あり。2001/06/17)
風邪をひいたようだ。この季節のマスクは暑くて仕方がない。
病気の進行が私に風邪をうつした人の場合と同じであれば、明日から明後日にかけて軽い発熱と鼻水が見られる予定。
午前授業、午後会議。それだけ。
西口地下の某寿司屋のランチメニューは、すべて「うどん付き」である。これは普通にある組合わせなのだろうか。江戸前と書いてあるが、江戸ならソバじゃないかとつっこみたくなる。まだ入ったことはない。
風邪好転せず。本日これまで。
入試採点ミスに関する世間の風当たりが強くなってきているので、来年度の入試では合格最低点の公表、受験生本人への得点の開示はほぼ必須となるだろう。配点や採点基準の公表だって当たり前になるかも。
大学がぜひ行うべきなのは、正解(解答例)の公表だ。これをしないから、アルバイトに片手間に作らせた、入試問題の解答例を集めた(しかも間違った解答がけっこうある)だけの本が売れる。 出題意図や採点基準に関しても、正しく教育的な情報と同時にいいかげんな情報があふれて、受験生は混乱している。そういう混乱を防ぐためにも、大学は解答例、採点基準を公表すべきだ。 完璧なものはできないだろうが、どこの大学が比較的ていねいに問題を作り、答案を見ているかは明らかになり、定員の何倍も学生を入学させるような大学は決して質の高い教育をしていないことも見えるだろう。 加熱する受験生集めにも歯止めがかかるものと期待される。
八王子の学バスの中に「義歯が落ちていたので庶務課に届けた」旨の貼紙があったが、小さい字なので高齢者向けではないと感じた。
風邪は比較的軽くて済んだようです。意外。
都議会議員選挙が近い。駅に行くまでにたくさんポスターを見るのだが、どれも隣の選挙区のものだ。我が家が区の隅に位置しているのでそうなる。選挙区外に選挙ポスターを貼るのは選挙違反なのだろうか。 有権者の行動範囲が居住地域と一致するとは限らないので、行動域を読んでポスターを貼るのは当然のように思えるのだが。たとえば、埼玉県知事選挙のポスターなど、池袋に貼っておけばとても効果的だと思う。
試験問題や試験の日やレポートの書き方についてなど、いろいろと学生が尋ねてくる時期になってきた。
「作る会」の中学歴史教科書を古本屋で見かけた。表紙は違うけど作りは教科書そのものだ。当たり前だけれど。
いきなりADSLを始めたのでどうしたのだろうと思ったら、東京めたりっく通信が買収されたということで腑に落ちた。ISDNからアナログ回線に戻した人もいる。ちょっと考えてみよう。惜しいのは設定に苦労し、動作不良ということで交換までしたダイアルアップルータが無駄になることだ。苦労をかけられただけに捨てるのが惜しいという気持ち。機械なんだけどね。
西武百貨店のベンチで腹話術の練習をするオジサンを発見。左手が犬、右手が女の子だった。どのような会話をさせているのか知りたい。あ、ひょっとすると狼だったかも。
無洗米の水加減がよくわからない。同じカップで計りとっても、普通なら洗い落とされるぬかの分だけ重いはずだ。同じ重さでもちょっとお得だという表現は見る。しかし、水加減に言及はしていない。 ちなみに、「無磨米」とか「無研米」とは言わないのだろうか。
私学に助成金を増やせと言う署名活動。国立大学さえ独立行政法人化される昨今、なかなか難しいのは確かだ。
出版社からダイレクトメールがよく送られてくる。だいたい専門書の出版案内である。関連学会の名簿で送付先を調べているのだろう。某学会の名簿では私の名前が誤って記載されているが、その名前で来ることがときどきある。また、別の学会は、どうせ名簿を参考に郵便を送られてくるのだからということで、タックシールに全会員の住所氏名を打ち出したものを信頼できる出版社には販売し、学会運営の足しにしているところもある。たしかに、それはお互いにとって得になることだ。
「本人代理」という旗をもった人を某駅前で見かけた。同じような服装をした人が数人並んで何か叫んでいた。そういう人たちを他の駅前でも見た。宗教団体か何の集会の案内だろう、本人とは誰のことかだろうと思ったが、叫んでいる内容からどうやら選挙の応援らしいとわかる。連呼されていた氏名の人がきっと本人に違いない。候補者はきっと「本人」というのぼりを持ち歩いているに違いない。
無洗米について。いくつかのサイトで「水加減は多めに」というのを見た。しかし、これまでと同じ量の栄養と熱量を摂取することを目的とするならば、むしろ糠の分だけ計りとる米の量を減らすべきだということになる。ここによれば、そのための少し小さめのカップが存在するらしい。これが正しいやり方に思える。「一合」という単位は、それがもし私たちの食事量に応じてできた単位だとすると、その定義量が変わるかもしれない。
選挙民の健康のために開票速報は早く終わらせて欲しいものだ。あるいは夕方から、裏の方でぼちぼち始めていてはどうか。そういうわけにはいかないのだろうけどね。昨日の「本人」氏の当落まで気になってしまう(ちなみに落選)。
逃避してます。森下裕美『ナゾナゾ謎のお友達』とか斉藤貴男『機会不平等』とか。森下氏のキャラクター創造力はちょっとこちらの想像の限界を越えている。すごい。斉藤氏の日本=階級社会論は読む価値あり。
夏休みまでにやるべきことを書き出してみよう。
自民党勝利? 首相が人気あるわりにはたいしたことないのでは。目標を低くしただけでは。議席増加? 生活者ネットなんて倍増だぞ。
授業と会議と団交のあいまの時間を細切れに使いながら研究している。
会議と会議のあいだの僅かなあいまに研究室へ戻ったところ学生がちょうど質問に来た。なかなかすばらしいタイミングだ。「運がいいぞ」と誉めておいた。
野球放送をほとんど見なくなって長い年月がたっているのだが、セリーグの勝敗表の表記がどうしても気になるのでちょっと調べてみたら、今年から140試合固定で「引き分け再試合」はなし、勝数最多のチームが優勝だそうだ。 だから勝敗表は勝数の順にチームを並べているらしい。どこでもそうやっているようだ。しかし、これは明らかに大きな間違いである。勝数ではなく勝率で並べた方がわかりやすい。 ただし、この場合、勝率=勝試合数/全試合数とすべきであろう。 というのも、この制度では引き分けは「両チームとも負け」と同義だからだ。そして、勝試合数ー(負試合数+引き分け試合数)をチームごとにとって、その差の半分を新たに「ゲーム差」概念として定義すべきである。こうすれば、勝敗表の順番が優勝への近さを正確に反映するものになるし、これまでと似た気分で勝敗表をながめることができる。勝率の平均が5割にならないという心地悪さくらいはこのさい我慢すべきだ。
のどがちょっと変だけど風邪は治っています。
夕刻ちょうど買い物を終えてたくさんの袋とともに自転車に乗って家に帰ろうとしているとき、最寄り駅が同じだと聞いていた研究関係の知人と鉢合わせする。「生活」を目撃されたようで、何となく恥ずかしかった。
「バイオテクノロジーへの恐怖心は、有機農法のマーケティング戦略によって作り出されたもの」という報告が、サンディエゴのBIO2001では行われたという話が伝わってくる。 しかし、商品販売戦略は、消費者の心理をつかんでいないと成功しないこともまた確かだ。「バイテク企業」の宣伝が「有機農業者」より下手であること、あるいは宣伝不足を言っているのかも知れない。
登校途中に学内で足を怪我して病院に行った非常勤の先生の命を受け、代わりに教室に行って出席カードを配る。「教員名」は何と書くのかという質問が出た。たしかに2通りの解釈がありうる。
コビトカバやメクラカメムシといった動物名を見直す動きがあるらしい。変えると混乱するという人もいるようだが、もともと方言があったり、別の昆虫が同じ名前で呼ばれていたり、その他いろいろとあった混乱をやっと整理して人工的な和名を100年あまりかかって作り上げてきたのだから、また変えたっていいのでは。学名なら学問上の混乱があるという理屈も成り立つが、和名にまで文句をつける必要はないだろう。ちなみに、見直しの理由は「その動物がかわいそうだから」ではない(と思う)。
OfficeXPは、すごいとか、そうでもないとか言われている。マイクロソフトはけっこう宣伝している。人に聞いたところでは、うるさいイルカが消えたのが最大の進歩だとか。
「素朴にマジメなのが実験研究するには一番」というようなことを言った人がいるので、ちょっと引っかかる。誉めてはいるんだろうし、確かに同じ手順を実直に繰り返したり、すぐに結果の出ない研究を根気強く続けることも大事だと思うが、創造性というのはどうなるのだろう。
区役所出張所、みどりの窓口、あさひ銀行、郵便局。
開いたら簡単に終わるのに、開くまでが大変な委員会。
地球の周りのオゾン層を示す典型的な絵(たとえばこれ)は、そこにはオゾンしかなく、そこ以外にはオゾンがないような印象をけっこう多くの人たちに与えているらしいことがわかった。たいてい、説明文を読めばわかるのではあるが。(翌日追記:オゾン層は地上数千kmのかなたにあるようにも見える。)
山形大学工学部では入学式をやったそうだ。国立大学の授業料は前後期払いだから、前期の授業を夏休みに受ける今日の入学者たちは、前期分の授業料もちゃんと満額払わされているのだろうか。
理工系の1年生は、だいたいどこの大学でも同じことをやっているので、2年生から編入しても普通に1年生からいた学生とほとんど同じ授業を受けていけば間に合うはずだ。そう考えていて気づいたのだが、2年生から大学を変わる「編入」というか「転校」制度を定常化しても構わないのではないだろうか。受験生は大学の研究室について十分調べないで偏差値と相談して受験・入学してくるので、自分のやりたいことのできる研究室がないことに入ってから気づく場合がある。成績が優秀であれば、他の大学に移ってやりたい勉強ができるというのは良いことではないだろうか。また、実際に大学に入ってから見えてくる大学の良し悪しもたくさんあるはずなので、大学が実質的に学生の評価を受けることになり、大学の教育研究状況の改善も促されるだろう。ただし、大学が1年間学生に審査されることになるのだから、教員はいっそう負担が増えるに違いない。やっぱりやめよう。
ホームページを見たという学生から、最も印象に残っているのは「生まれた年」だと言われた。
思ったほど気温が上がらないと教室が冷えて冷えてしょうがない。
西新宿駅は新しくて綺麗だ。丸の内線の他の駅が、そろって古ぼけているだけに目立っている。老人会に誰かが孫をつれて参加しているような感じだ。
生物学史分科会の月例会。日本人のノーベル賞の歴史について日本で最も詳しい報告者の話を聞きにいった。遅れたけどね。
深夜0時の閉店時間直前に、臨時に閉店を30分遅らせるとの店内放送をする店。 立ち読みを続けようかと思ったが、土曜日の早い終電を考慮して立ち去る。果たしてスタッフは今夜帰れるのか。皆近所に住んでいるのか。徹夜作業か。半年分の反省会か。半年分の売り上げ目標額を達成していないからやめられないのか。飲み会になだれ込むのか。2階の奥に仮眠室があるのか。 印象的な声のSさんは何時まで元気なのか。たくさんの疑問が浮かんでくる。
その直前に訪れた、24時間窓口対応の郵便局は局内が蒸せるような暑さだった。深夜広いところで少人数が作業しているのだろうから、全館単位の冷房を効かせるのは無駄だと考えるのも無理はない。