DIARY 2001年9月後半



日記目次9月前半16171819202122232425262728293010月前半


9月16日(日)

2時39分と2時50分にメールを書いて送ったときには、メールが読まれるのは翌朝になるだろうと思った。しかし、それぞれ4時41分、3時48分に返事が来た。後者に対しては4時13分にさらに返事を書いたが、前者にはもう書く気がしなかった。土曜の夜。皆仕事中である。

といった生活ももうおしまいだ。明日から授業。早く寝よう。


9月17日(月)

100人の学生の名前を3回の授業で覚えるのもプロだが、新宿八王子間の所要時間をカーナビより正確に読めるのもプロの業だ。見習わねばなるまい。

とあるメーリングリストにポストされた東欧研究者の投稿によれば、ユーゴスラビアでは「神様は本当にいらっしゃった!」と喜んでいる人がたくさんいるそうだ。

今日から授業。親元に発送された成績表はすでにおおかた到着済みらしい。しかし、自分の分は、学生証を本校自慢の証明書等自動発行マシーン「キャンパスビュー」に通して発行しなければならない。昼休みには行列ができている。ということで、午前中の自宅外通学者はまだ前期の成績を知らない。

受講人数は、うれしいことに1限、2限とも2ケタ(100人未満)におさまった(と思う)。工学院に来て、ずっとこの月曜午前中の授業をやっているが、これが今までで最少の人数。このくらいがちょうど良いかな。

初日の昼休みに前期のレポートの返却を求めて来るのは、だいたい成績の良い学生に決まっている。


9月18日(火)

暑い。夏にもどったような暑さの大学は、学期初めの学生で賑わっている。普段ならガランとしている22時近くの地下フロアに、けっこう学生が残っている。

とうとここで、「最近サイトが非常に遅くなっている大学・大学院の後輩の林真理氏のホームページ」と書かれてしまった。やはり遅いようだ。

日本学術振興会ともあろうものが、書類ダウンロードのためのミラーサイトを私立大学に間借りして作るなんて、どうしたことだろうか。

論文を書くのが仕事だろうか。他の仕事よりは好きだということだろうか。せかされるのはイヤだがそうも言っていられない。


9月19日(水)

同じ人からメールの返事が2回きた。内容はだいたい同じだが、順序や表現がかなり異なるところをみると、1日おいて独立に書かれたもののようだ。たぶん、最初のメールを出したことを忘れて、もう一度書いてしまったのだろう。そういえば私も、ときどきメールの返事を出したかどうか不安になって「送信済み」を探してみることがある(見つかることもあるし、ないこともある)ので、他の人のことを笑えない。メールを読んで、返事を頭の中で考えて、書いたつもりになってしまうというのが、やってしまいそうで、しかも一番危険である。2度出すのは、内容に矛盾さえなければ、害のあるものではないから、まだましだ。

新宿西口のコンビニは、ほとんど食品店だ。そもそも店が小さい上、食べ物ばっかり売れるので、他の商品はほとんど置かないのだろう。

初めて会う専門学校職員の人。事務室に行ってただちにその人とわかるだろうかとちょっと不安だったが、「もうすぐ産休に入る」という情報のおかげで一目瞭然だった。

今さらだが、プロクター『がんをつくる社会』平沢正夫訳、共同通信社を読んでいる。よく調べられている欧米各地のデータ、社会的に作り出される病気という構想の多面的・実証的な検討。見習いたいものだ。


9月20日(木)

木曜日最初の授業。今年の前期も、八王子の授業も出ていた学生に、「この授業がとれれば先生の授業は全制覇」だと指摘される。もう長い間この大学にいるのだなと思い知らされる。教える方の立場からみると、まだ3年目でしかない。しかし、学生は4年間しかいないので、3/4の学生から見れば私は初めから学校とともに存在していたことになる。

深夜でもないのにやっている「討論生テレビ」は、ちょっと見ていられない。酔っぱらいの集団のそばに素面で居合わせてしまったような心地の悪さを感じる。

多摩大学の新学長は「大学ルネサンス」を主張しているそうだが、いつの時代の大学を「復興」するつもりなのだろうか。

授業の後は、会議とか、打ち合わせとか。暗くなった「八王子送り荷物」置き場に、封筒を持っていく。


9月21日(金)

池袋の地下で、柱にあるコンセント(おそらく清掃用)から電源をとって携帯電話をかけている若者を見かける。

杉田聡著『クルマを捨てて歩く!』(講談社プラスアルファ新書)を少し立ち読み。帯広で車なしの生活をする筆者は、心ない周りの人々から変人と見なされているに違いない。しかし、それでも持論を合理的に構築するところは、さすが哲学者だ。ついでに、車がないと不便であると私たちが感じる理由は、社会の仕組みが車の存在を前提としてできあがっているからに他ならないとも言えるだろう。つまり、車が便利なのは、車が欠けると不便なようになっているからだ。車そのものが本質的に便利であるわけではないということになる。人、物の輸送手段は他にもある。


9月22日(土)

研究室に珍しいお客さん。写真は後日。(こちらです。10/05)

1週間が過ぎた。まだ十分にエンジンがかかった状態ではない。まだまだ先が長い。何とか生活のペースをつかまなければ。朝から朝まで起きているのはやめよう。

深夜のNHKは、テロ関連情報が右と上に出ていて、画面が小さい。ハイビジョンテレビを買えということなのだろう。

「ランボー怒りのアフガン」などというタイトルを突然思い出してしまう。あのころは、ソ連が敵だったのか。歴史的な映画だ。


9月23日(日)

地下のフロアで、社会学辞典を脇に置いて勉強会をする四人組の若い男性を目撃。「フランス革命」とか「カノン」とか「テクストの意味」とかいう、本来ならばこの学内ではめったに聞こえてこないような言葉が飛び交っている光景に、いったい彼らは誰だろうと考える。

日曜開館が売りの図書室に入ると、アルバイトらしき人にアンケートですと紙を見せられる。大学生、大学院生などの「身分」を示す言葉が書かれており、それぞれの横に「正」の字を書いて人数を数えているらしかった。「教職員」は、私が最初のようだ。しかし、よく考えると、入館ゲートで学生証・身分証をリーダに通す必要があるので、こういった集計は機械的になされているはずだ。なぜわざわざ、人を使って別に集計する必要があるのだろう。これは、機械が正しく動いているかどうか、アルバイトがちゃんと入り口に座っていたかどうか、入館者が正しく自分の身分を申告しているかどうか、のいずれかを確かめているものと思われる。


9月24日(月)

学校に行かなかったのは久々のような気がする。家で仕事。インターネットで資料を探し、ワープロで論文を書き、メールで連絡をとるので、ずっとパソコンの前にいることになる。

駅前のスーパーに夕方以降に入ると、たいてい数人の若い男性がレジを打っているのだが、かれらはおしなべてたいへんよい体格をしているように見える。これは何故なのかということについて、現在のところ以下の3つの説が存在し、いずれも真である可能性をもっているように思われている。(1)遺伝説:彼らは皆親族であり、体格が似ているのは遺伝のなせるわざである。(2)部活説:学生アルバイトや卒業生のフリーターを集めるのに、何らかの運動部のコネクションを用いている。(3)趣味説:店長の趣味で、そういう体格の人ばかりがアルバイト面接で合格になる。

カレーのメニューの中から牛の入っていないのを選ぼうとしている人がいたが、塊で入っていないのは見ればわかるとしても、エキスとして入っていないかどうか保証はできない。日本人は、突然ヒンズー教徒になったようだ。


9月25日(火)

牛をやめるより、タバコか酒をやめた方が、寿命の伸びの期待値は大きいに違いない。学校給食ならともかく、先のない大人が気にするものじゃない。潜伏期間も長いそうだ。他の動物で見つからないというが、寿命の短い動物では見つかりようがないのでは。

郵便局のATMは、どうしてあれほどプライバシーに考慮しない配置ができるのだろう。大金を引き出しているところとか、あるいは暗証番号を押すときの手の動きとかが丸見えだ。また、ここから後ろに並ぶようにというラインが最近足もとについたが、まったく守られていない。

終わりの見えてきた仕事には気合いが入る。そろそろ任期終了だ。

『自然の権利』(ロデリック・ナッシュ、ちくま学芸文庫)は、入手しやすい環境思想史の本だが、文庫だというのに1500円もする。手軽に買えるのが特徴なので、1000円を超えるものは文庫本とは呼ばないことにすべきだ。


9月26日(水)

疲れた。帰りの電車の中で、短時間ながらかなり深い眠りに落ちる。

たまたま比較的近所に住んでいる、工学院大学非常勤講師I氏に、この前古本屋で見かけた(声はかけなかった)という話をしたら、そういえば村上陽一郎の本がたくさんならんでいたと指摘される。私が指導教官の著書を大量に処分したわけではない。


9月27日(木)

疲れた。しかし、ここのところ夜中になってから学校から帰ることが多いので、ちょうど二部の学生が新宿駅方面から学校に向かってくるような時間に学校を出ると変な気がする。

「練馬」の声が聞こえてハッとする。高野台かと思ったらまだだった。一方の駅名が他方の駅名の一部になるようなまぎらわしい駅名をつけて欲しくない。あと、イントネーションや発音が車掌さんによって違う「江古田」も何とかして欲しい。

ウシがウシを食べるというところに何か不自然さを感じる。同種の他個体を食料にすることは、手頃ですぐれた栄養源の確保という点で、合理的な方法にもなりうる。しかし、それにもかかわらず、そういったことがそれほど起こっていないということは、病気が広がりやすいこういった「食べ方」を自然界が避けてきたということなのかも知れない。理屈にはなっていないのだが、何となく気になる。

以前から本当に目に良いのかどうか気になっていたので、ブルーベリードリンクをプレゼントされて感謝。続けて飲んで体調の変化を確かめてみるという楽しみができた。


9月28日(金)

米軍とタリバン軍のニュースを差し置いて巨人軍のニュースだ。自衛隊が軍と呼べない日本では、一番金がかかっていて、戦力も整っている「軍」かも知れないが。

オークションで某M大学の出席カードが売られているとの情報あり。ここ。もう終わっているので公開。売れなかったようだ。「超レア」? 「宝物」? どこの大学でも同じような出席票を使っている。教員の方も、こんなもので出席をとってはいけないということだろう。大人数の授業などやるべきでないか、やっても出席などとるべきではないということでもあろう。(売れなかった理由は「白」が欠けているからかも知れない。)


9月29日(土)

ウェブページをインターネット・エクスプローラで閲覧しただけで感染すると言われている例のウイルスについては、さっそくIEをバージョンアップするという対応をとった。その後、マイクロソフトのサイトが混雑しているようなので、自分のサイトにバージョンアッププログラムを置いたから、そこからダウンロードしませんかという親切なメールが、ソフト関係会社員の某氏から来た。たしかにありがたいが、そういうのってアリなんだろうか?

牛丼とハンバーガとどちらにしようかと迷うお金のない大学生が、今日もたくさんいるだろう。焼き肉屋さんには影響が出ているらしいが、牛丼屋さんもハンバーガ屋さんも、外から見る限り客足が遠のいたという雰囲気はなさそうだ。野菜不足外食が常食となっている人にとっては、狂牛病以外の健康リスクがすでに充分大きいため、あまり気にするに値しなくなっており、そのまま食べ続けるのが合理的行動と言えるかも知れない。

大量得票で比例区上位当選した議員が一人辞めるだけで済むなら、これからだって、一人が大々的に違法選挙活動を行って数人を当選させて、自分だけ辞めてしまえば良いという作戦が通用することになるのでは?


9月30日(日)

長嶋が選手だったときのことを語り出すおじさんが増えそうだ。気を付けよう。自分も含めて。

雨が降り出していることですら、ネットワーク上で情報として入ってくる。ビルの中は外とはまったく切り離された世界だ。



日記目次前頁次頁 :メールは こちら