2010年 生物学史研究会(旧称月例会)
- 日時:1月30日(土) 午後3:00〜5:30
- 場所:東京大学駒場キャンパス14号館3階308号室(※京王井の頭線「駒場東大前」駅下車、渋谷寄り改札を出て正面手前に構内案内板があります。)
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam02_01_13_j.html
- 発表者:森修一氏(国立感染症研究所 ハンセン病研究センター 感染制御部第7室 室長、学術博士・医学博士)
- 題目:草津湯の沢ハンセン病自由療養地の研究
- 内容紹介:
ハンセン病患者の隔離は相対隔離と絶対隔離の二つに大別される。前者は患者村などを中心とした隔離で、感染の拡大阻止を目的とはするが社会から迫害されている患者の保護の側面が強い。患者村は世界の隔離政策の中で特設部落または自由療養地と呼ばれ、政府またはキリスト教救済団体などの援助の下に医療・福祉などが行われ、患者は農耕などを営みながら暮らし、患者達の自治により運営されるものであった。後者は前者と相反して患者を強力な感染源としてみなし、病院施設、療養所などを中心に厳重な隔離を行うもので、一般には社会防衛の側面が強い。日本のハンセン病政策も常にこの対立する二つのバランスの中でのダイナミズムを有し、やがて絶対隔離政策へと傾倒していった。
本研究は戦前、群馬県草津温泉に存在したハンセン病患者の自由療養地「湯の沢部落」の歴史的実態、隔離政策進展と部落の関わり、住民の思いなどを中心に、日本のハンセン病政策は何故に絶対隔離を選択していったのかを考察したい。
《参考文献》
草津湯の沢ハンセン病自由療養地の研究III
http://www.journalarchive.jst.go.jp/japanese/jnltoc_ja.php?cdjournal=hansen1996&cdvol=72&noissue=3
草津湯の沢ハンセン病自由療養地の研究IV
http://www.journalarchive.jst.go.jp/japanese/jnltoc_ja.php?cdjournal=hansen1996&cdvol=73&noissue=1
ハンセン病と医学I
http://www.meteo-intergate.com/journal/jsearch.php?jo=cu3lepro&ye=2006&vo=75&issue=1
ハンセン病と医学II
http://www.meteo-intergate.com/journal/jsearch.php?jo=cu3lepro&ye=2007&vo=76&issue=1
- 日時:2月27日(土) 午後3:00〜5:30
- 場所:東京大学駒場キャンパス14号館3階308号室(※京王井の頭線「駒場東大前」駅下車、渋谷寄り改札を出て正面手前に構内案内板があります。)
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam02_01_13_j.html
- 報告者:香西豊子氏(東京大学大学院人文社会系研究科G-COE特別研究員)
- 報告タイトル:種痘という<衛生>――明治初年の「大都」・「近郷」・「僻地・孤島」の歴史から
- 報告概要:
黎明期の近代日本において、国民の健康を保全する事業は、種痘(天然痘の罹患に対する予防的措置としての、牛痘ワクチンの接種)からはじまった。
本報告では、ほかの伝染病に対する大仕掛けな衛生事業の陰にかくれ、あまり採りあげられることのないこの種痘に着目し、それが近代以降、疾病流行の地勢図と身体とをどのように変容させたのかについて考えてみたい。
《参照》
(1)香西豊子「アイヌはなぜ『山に逃げた』か――幕末蝦夷地における『我が国最初の強制種痘』の奥行き」『思想』1017号(2009年1月号)
(2)香西豊子「医説のなかの八丈島――疱瘡譚の縁どる近世日本の外延」『思想』1025号(2009年9月号)
- 日時:4月17日(土) 午後3:00〜5:30
- 場所:東京大学駒場キャンパス14号館3階308号室(※京王井の頭線「駒場東大前」駅下車、渋谷寄り改札を出て正面手前に構内案内板があります。)
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam02_01_13_j.html
- 報告者:小松美彦氏
現職:東京海洋大学教授
主要業績:『死は共鳴する』(勁草書房)、『脳死・臓器移植の本当の話』(PHP新書)、『メタバイオエシックスの構築へ』(共編著、NTT出版)
- 題目:西洋医学思想における死生観の展開――歴史研究と現代批判の視座
- 内容紹介:
死をめぐる社会史や文化史や宗教史は、これまで夥しい数公刊されてきました。しかし、存外にも、死の科学史や医学史はきわめて少なく、しかも、一定の視軸を通じて論じたたものはより少ないのが実情です。そこで、古代ギリシアからデカルトを経て現在の脳死論までを、私なりに概観してみたいと思います。この試みは、同時に、歴史研究と現代批判とを、そして科学史と生命倫理学とを架橋する試行でもあります。
- 参考文献:
小松美彦「西洋医学思想における死生観の展開」
飯田隆ほか編『岩波講座哲学第八巻 環境/生命』(岩波書店、2009年)、17-40頁。
- 日時:5月8日(土) 午後3:00〜5:30
- 場所:東京大学駒場キャンパス14号館3階308号室(※京王井の頭線「駒場東大前」駅下車、渋谷寄り改札を出て正面手前に構内案内板があります。)
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam02_01_13_j.html
- 報告者:内山弘美氏
- 題目:高等教育論における日本の大学の環境教育研究と今後の展望-旧制4帝大の大学院環境教育プログラム・「サステイナビリティ学教育プログラム」の調査報告-
- 内容紹介:
前半では、第一次環境ブームの開始から40年間における日本の大学の環境教育研究のレビューを行い、そのうち高等教育論(教育学)の領域の研究をピックアップし、その動向を整理します。
後半においては、2010年1月〜3月の期間に実施した、旧制4帝大の大学院環境教育プログラム及び「サステイナビリティ学教育プログラム」の訪問調査の結果について報告します。
- 日時:6月26日(土) 午後3:00〜5:30
- 場所:東京大学駒場キャンパス14号館3階308号室(※京王井の頭線「駒場東大前」駅下車、渋谷寄り改札を出て正面手前に構内案内板があります。)
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam02_01_13_j.html
- 報告者:横山尊氏
- 題目:一九三〇−四〇年代の日本における産児調節の「禁圧」と優生学
- 内容紹介:
本報告は、戦前日本の優生学と産児調節の関係を問い直し、整理することを試みます。
昨今は、産児調節運動に分析の力点を置き、両者の密接不可分性を論じる研究が多く出されてきました。一方で永井潜らの優生学論者は産児調節を攻撃しました。実際は、産児調節推進派と反対派の構想に大きな相違はなかったとの指摘もあります。しかし、推進派は一部で弾圧の対象とされ、反対派は国家政策に深く関与した理由は未だに不明瞭です。
これは産児調節の「禁圧」と密接に関わります。一般には、一九三〇年の内務省令「有害避妊具取締規則」により産児調節運動が弾圧され、一九四〇年の国民優生法で産児調節は「禁圧」されたと理解されます。しかし、「禁圧」の内容や範囲、影響の理解は曖昧なものに止まっています。
本報告は、特に「有害避妊具取締規則」、国民優生法第十五、十六条の成立に焦点を当て、厚生省官僚の構想や内務省のメディア統制をふまえて再検討します。。
- 日時:7月17日(土) 午後3:00〜5:30
- 場所》 東京大学駒場キャンパス14号館3階308号室(※京王井の頭線「駒場東大前」駅下車、渋谷寄り改札を出て正面手前に構内案内板があります。)
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam02_01_13_j.html
- 報告者:内田賢太郎氏(慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程/ドイツ文学)
- 題目:生きものを見る眼――エルンスト・ユンガー『冒険心・第一稿』を中心に――
- 内容紹介
ドイツの作家エルンスト・ユンガー(1895-1998)の思索日記としての側面も持つ『冒険心・第一稿』には、その後の彼の論考やエッセー、また小説に結実されるテーマが数多く呈示されている。いま、その中でも取り上げてみたいのはユンガーが「新しい認識」として掲げる「立体的な認識」についてである。たとえば、三十年代に書かれた『労働者』のテーマでもあるゲシュタルトとしての労働者という理念もまた、この認識によってつかんだ生きもののすがたと密接にある。ではユンガーの「立体的な認識」は、また生きものへのまなざしはどのようなものだったのだろうか。このことを顕微鏡、照準器、ルーペといった光学器械を軸に分析し、呈示していきたい。
- 日時:8月21日(土) 午後3:00〜5:30
- 場所》 東京大学駒場キャンパス14号館3階308号室(※京王井の頭線「駒場東大前」駅下車、渋谷寄り改札を出て正面手前に構内案内板があります。)
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam02_01_13_j.html
- 報告者:林田愛氏(慶應義塾大学准教授/フランス文学)
- 題目:19世紀後半の〈精神外科〉― 精神疾患治療における心的装置の否定
- 内容紹介
フランス自然主義作家のエミール・ゾラ(1840-1902)は、その作品『豊饒』(1899)において、慢性病や精神病治療のための卵巣摘出術について言及しています。実際に19世紀後半の医学史を紐解いてみると、精神科医の関心が無意識の世界へと移行する時代の波に逆行するかのように 、後に「精神外科」と称されるものの萌芽――卵巣・子宮・精巣摘出術、虹彩切除術、声門縫合術など――が、ヨーロッパやアメリカという外科先進国で見受けられます。本発表では、このような精神医学の一側面に焦点をあてながら、20世紀の「ロボトミー」につながる精神疾患治療への外科的介入が孕む問題について考察したいと思います。
主要業績
・「科学者と治癒者―『豊饒』『壊滅』における医療哲学―」(『慶應義塾大学日吉紀要 フランス語フランス文学』No. 49-50)
・<<Les Transformations du jardin de "La Conquete de Plassans". Le
sacrilege de l'atheisme tranquille>> in "Zola a l'OEuvre",pp. 175-185 (Presses Universitaires de Strasbourg) ※アクサン省略
- 日時:9月25日(土) 午後3:00〜5:30
- 場所》 東京大学駒場キャンパス14号館3階308号室(※京王井の頭線「駒場東大前」駅下車、渋谷寄り改札を出て正面手前に構内案内板があります。)
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam02_01_13_j.html
- 報告者:金森修氏(東京大学大学院教授/科学思想史・フランス哲学)
- ※コメンテーター:奥村大介(慶應義塾大学大学院/思想史・文化史)
- 題目:金森修『〈生政治〉の哲学』(ミネルヴァ書房、2010年3月)合評会
- 内容紹介
金森修『〈生政治〉の哲学』(ミネルヴァ書房、2010年3月刊)の概要:
「死なせて、生きるに任せる」から「生かして、死へと廃棄する」権力へ。1970年代、フーコーによってあらためて世に問われた新しい権力・政治の形態、〈生政治〉。昨今、思想界を賑わせている〈生政治〉や〈生権力〉概念とはいかなるものか。フーコー、アレント、ネグリ、アガンベンらの検討を経て、これら概念の変遷と、現代における浸潤の意味、さらにその思想的・社会的な根拠を論じる。(ミネルヴァ書房紹介文より)
今回は、著者の金森修氏を迎えて、本書の合評会を行います。初めに金森氏からお話しいただき、それを受けて、奥村が最初のコメントをさせていただきます。その後、フロアの皆様との討論といたします。
- 日時:11月3日(水・土) 午後2:00〜5:30
- 場所:東京大学駒場キャンパス14号館3階308号室(※京王井の頭線「駒場東大前」駅下車、渋谷寄り改札を出て正面手前に構内案内板があります。)
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam02_01_13_j.html
- 報告者:花岡龍毅氏(医学博士/鎌倉女子大学・早稲田大学・埼玉医科大学非常勤講師/発生遺伝学・科学史・科学論・生命倫理)
- 題目:体外受精技術の歴史――技術の発展と安全性をめぐる言説の変遷
- 内容紹介:
生殖補助技術である体外受精 (IVF)技術を開発し、世界初の体外受精児を誕生させたロバート・エドワーズ博士のノーベル医学・生理学賞の受賞が、つい先日報じられた。この技術の普及により、世界で400万人以上の子どもが誕生したとされ、日本国内でも年間約2万人(累計20万人)、出生児のおよそ50-100人に1人はこの技術によって誕生しているとみられている。
このように、体外受精は、今や日常的な医療技術となりつつあるのであるが、その一方で、技術の安全性をめぐる科学的検証はなかなか進展せず、ヒトの生殖に関する限られた知見に比べて、体外受精の臨床応用は遥か先に進んでいってしまっているのが現状である。
そこで、本報告では、体外受精の臨床応用までの特殊な経緯、臨床応用の成功から今日に至る技術の検証過程を概観し、さらにこうした技術の発展の歴史と、技術をめぐる科学的・倫理的な諸言説の変遷とを照らし合わせることによって、体外受精技術の現状を正確に定位することを試みてみたい。
《参考文献》
Edwards, R. G. & Steptoe, P., A matter of Life: The Story of a Medical Breakthrough. Morrow, London, 1980 (『試験管ベビー』飯塚理八監督訳, 時事通信社, 1980).
Henig, R. M. Pandra's Baby-How the First Test Tube Baby Sparked theReproductive Technology.Houghton Mifflin Company 2004.
石原理 『生殖革命』 (筑摩書房, 1998).
Testart, J. L'oeuf transparent. Flammarion, 1986 (小林幹生訳『透明な卵』法政大学出版局, 2005).
花岡龍毅「不確実性の生成−体外受精技術の歴史」『科学史・科学哲学』22, 25-43 (2009).
花岡龍毅「体外受精技術の歴史における基礎研究から臨床研究への移行過程の特質」『生物学史研究』82, 1-20 (2009).