In Taipei now. I found "manga kissa" but had much difficulty to telnet to kogakuin server. At last I succeed connecting but found Japanese is not available in ms-dos level.
やっと帰ってきましたが、またでかけます。国内だからちゃんと日本語で更新できるか? 次は福岡から。
第12回全国私立大学研究集会の会場である福岡工業大学の近くのマンガ喫茶からアクセス。
ホテルで朝食をとりながら、外でクマゼミがワシャワシャ鳴いているのを聞くと、ほとんど台北と変わらないように感じる。動物地理学上の境界線は、人間が勝手に決めた国境線とまったく無関係だ。
telnetできますか、と尋ねたら店員は「普通のインターネットだけです」と答えた。どういう意味かよくわからない。よくわからないけど入れてもらい、試してみたらできたのでよしとしよう。「設定を変えないように」と釘を刺された。あやしいやつだと疑われていると見た。
私立大学への補助金についての勉強会。これで学務課勤務を命じられても、なんとかやっていけるという自信がついた。(後記:これは冗談です。工学院ではありえないことです。念のため。 ただし、教員の職員への配置転換というのは、学校によってはありえないことではなくなっているそうです。)
収容定員と在学者数のうち大きくない方の値つまりmin(定員、在学者)を、「定員内実員」と呼ぶらしい。またひとつ、つまらない用語の定義を覚えてしまった。
文部科学省の略称は、「もんかしょう」だと思っていたのだが、「ぶんかしょう」と発音されるようだ。
午後は報告をする。工学院大学における(主に一般教育の)カリキュラムや授業の改革について話す。来るまで参加者は全員報告をするものだと思わされていたが、まったく違っていた。
福岡 から帰ってきたら少し涼しく感じる。6日のあいだに4回も飛行機に乗るなどということは、初めてだし、もう二度とないだろう。
JASの機内でテトリスができるなんて知らなかった。
昨日の私の報告に対してコメントをしてくれた先生の勤め先が、10年程度前から知っている人と同じ大学、学部だったので、その人の話題をちょっと切り出してみたら、 その人がいかに困った人かということを、こちらが聞きもしないのにいろいろ教えてくれるので、戸惑う。話題にしたことを大後悔した。
メールにお返事を書く。8月の1日から3日の日記を事後更新。まだ写真がなくて未完成ですが、とりあえずこちら。(8/10:写真も入りました。)
うっかり忘れていたが、今月1日は、日記を書き始めて1年の記念日だ。定職(ボーナスのもらえる職業)に就いて4年の記念日でもある。
某学会の発表の予稿を書いている。MS-Wordで決まった書式の原稿を提出するのだが、E-mailの添付ファイルではだめで、郵送だそうだ。
発表1月前に原稿を提出すれば良いというのは、けっこうすばやくて良いと思う。別の某学会など2ヶ月も前に出さなければならない。 そのあいだに研究が進んでまったく違う内容になってしまうことがある。そんなことだから、前に実験系の研究者の某氏と話したら、予稿は白紙だと言っていた。その場で最新のデータを出すので、予稿は意味がないということだ。また、これも当然理科系の話だが、実用化されそうな研究内容の場合、特許化との兼ね合いで予稿が出せないこともあるそうだ。
予稿を書き上げて速達で郵送。
ずっと前から書いている論文を1月ぶりに出してきて書き継ぐ。(ファイルの更新日から前に書いた日付がわかる。)前に書いていたことを忘れているのが問題だ。
いつから夏休みですか、とよく尋ねられるが、実ははっきりしていない。授業と試験が終われば一応休みだ。でも、試験の採点はしばらく続く。授業以外の仕事はいつでもある。ただし、学校関係の仕事については、事務系統が夏休みに入ると少しお休みに入る。その休みがこの週末からおよそ10日間だ。
昔住んでいたことのある建物がとうとう壊されるかも知れません。しかし、夏休みに大学の先生を大量動員して学生証チェックを行い、ガードマンを何百人も雇って見張りと用心棒をさせ、フェンスを張って、そのうえ機動隊まで学校そばに待機させるなんて、いったいどのような「強制力」が発揮されるというのだろう。
学校は比較的静かだ。大学の授業はだいたい休みだが、空き教室を使って予備校の授業などが行われているらしい。
生物学史分科会の関係で集まる。便利な工学院大学は少人数のミーティングにはもってこいだ。久しぶりに同じ分野の関係者と会うと、いく つもの仕事の話が交錯して頭が混乱する。終わったらどっと疲れた。研究室を早く出たいと思いながら、何を家に持って帰るべきなのかの判断が十分にできていない。電車の中で後悔しても遅い。
ドイツとフランスは、ヒトクローン 問題を国連に持ち込んだ。この手の話題が国連レベルになるのは珍しいこと。 はたして、ヒトクローンには、文化による差異には解消されない「絶対悪」が 存在しているのだろうか。わからない。
こちら のページに写真も入れました。一応完成。
大学の停電は昼間で終わったので、夜中に日記を書くのに不都合はなし。 新宿が停電の昼間も読むことはできた。このページがあるのは八王子だからだ。でも、大学の外から日記を書き換えるには新宿を経由しないといけない仕組みになっているので、書くことはできないのだった。
フランス語の雑誌Le Monde diplomatiqueの記事の一部を定期的に日本語訳しているページを発見。ここ。ちなみに、科学論関係で面白い記事は、たとえばこちらなど。 この文章の著者には、何冊か著書があるようだが、どうやらその日本語訳や英語訳はないらしい。誰か訳してくれないかなと思うが、フランス語と生物学と倫理学がどれもある程度はできるという日本人などほとんどいないだろう。該当者は責任を感じて欲しい!?
高校野球の季節になると暑さも盛りというのが普通なのに、今年はもう峠を越えたようで、何だか夏が終わりそうな気配だ。
学生のレポートを読んでいて、常体と敬体が混ざっているのが気になっていたのだが、実はこの日記も(わざとだが)そうなっていることに気づき、反省。ただし、自分のことを棚に上げて、敢えて学生の悪い点を指摘するのが教師である(か?)。
不調だ。体調が悪いというわけではなく、気候も良いのだが、曇った空を見ると何だか夏らしくなくて、拍子抜け。 朝の予報を見て「えー、今日も35度だって!」などと言わせてくれないのが、何だかつまらない。
田中外相が群馬に行くのに高速道路を使ったというニュースに驚く。パパが用意してくれた高速鉄道があるだろうに。
参議院選挙で、これだけ素人が当選してしまうと、もともと政治家だったり政治学者だったりするのは、プロが同じ土俵にのるなんてズルいなどと感じてしまうからおかしい。舛添氏がタレント候補をやりこめるなんて、子供相手に議論しているようなものだ。田島寧子が芸能人水泳大会で優勝しても偉くないだろう。
そう言えば昨日パンクを直してもらった自転車屋さんで、「タイヤもチューブも良いものじゃないね」と言われた。 思い出してみると、以前にも別の自転車のパンク修理時に言われたことが複数回ある。 どうも、スーパーで売っている自転車というのは、どうせ長く使わないからと、安い部品を使い、値段を下げて売り出しているもののようだ。自転車のプロはきっとそれが気にくわないのだろう。 張り切った(というか商売のうまい)自転車屋さんに、タイヤを交換して「パンクしないタイヤ」(と彼は言った、きっと「比較的丈夫だ」ということなのだろう)ものに代えてもらったことがある。しかし、その自転車はその後あえなく盗難にあってしまった。高価な自転車を買いたくない心理を後押しする要因は、こういうところにもある。
朝の電車が混んでいない。いつもこうだといいのに。
帝国大学理科大学紀要(明治時代に日本が初めて出した欧文科学雑誌)をコピーするのに最も便利な東京大学医学図書館で、コピーを待っているあいだに雑誌『医療と社会』などをながめる。「倫理」という言葉を使わないで医療と社会について語ることも可能だ。では、なぜ「倫理」を強調する人がいるのか、よくわからなくなる。
現代思想8月号は、他にもいろいろあるが、B.ウィンの文章が何といっても一番面白かった。昔話もけっこういけるぞ。
ギロチンという名前のカードゲームがあるのを知った。ちょっとびっくり。ゲームにR指定はないし、ルールもそんなに簡単ではないが難しくはなさそうなので、子供でも遊べるだろう。ただし、日本語にはなっていないかも知れない。
高校訪問の報告をやっと書き終えた。すぐ書けばよいのに、忘れていただけで、大変なことではない。結局7月中に埼玉県下3校をまわった。大学の営業活動だ。愛想よく向かえてくれる先生もいるが、うちの高校はA大学やB大学にも受かっているんだと例示し、 そんなに高い評定値(推薦入学に必要な学校の成績の基準)では推薦する学生はいないということを示唆されたりするのは、ちょっとつらいな。
「1組の**ちゃんが、モー娘。応募したんだって」などという会話をバス停で聞いたりするのは、妙に新鮮だった。
高校時代同じ学年だったA氏が、同窓会に行ったよと、掲示板に書き込み+メール。あんまり行きたいと思わないのは、なぜだろう。思い出したくないことが多いからとか、 会いにくい人がいるからとか、同級生と今ではほとんどつきあいがないからとか、考えてみたが、 結局単に地元に帰るのがめんどうだからかも知れない。
仕事から引退する歳になって、同窓の絆が復活するということがあるようだ。とすると、私にはまだそこまでの余裕がないということだろうか。あるいは、歳をとったと思いたくないからかも知れない。
新宿西口(こんなところです)で、工学院大学の卒業生2人と飲む。
1970年代後半生まれの君たちが、さだまさしや谷村新司や中島みゆきの話題で盛り上がっているのは、とっても不思議だったよ。
TVのニュース番組でインタビューを受けていた デオデオ西葛西店(東京都江戸川区)の店長が、中国地方なまりで話していたのを私は聞き逃さなかった。 本店地元の採用か、あるいは入社後周囲の影響で身に着けたかのどちらかだろう。
参拝の日にちを変更したくらいで、日本の外交が侮られるなんて考えるのは、ちょっと臆病すぎるんじゃないだろうか。
ここ数日、このホームページのアクセスログにやたら登場する、131.107.3.91というIPアドレスはいったい何だろうと思ってここで調べると、マイクロソフト社だった。 どう見ても、この頻度は人為的なアクセスではなく、機械的なアクセスだと思われる。いったい何だろう。マイクロソフトのサーバは、世界中のホームページを適当に偵察してまわっているのだろうか。
大学の先生のための授業の入門書が出ているのを発見。ここ に関連のページ。たとえば「授業の基本」には「魅力ある授業の演出を」などという項目がある。 明確に言葉にされなかった大学の授業のコツといった感じだろう。 こういう情報が、教員のあいだで交換されること、それに学生にも共有されることには、大きな意味があると思う。 しかし、勘と経験に頼ってきた技術を規格化するというのは、どの世界にも起っていることで、それが「大学講義」の場にもやってきたということのような気もしてちょっと複雑だ。
例えば、「最初に教壇に立つ時は、できるだけ清潔感のある服装で、かがみがちにならないように気をつけましょう。学生のあごのあたりを見ながら(目を直視すると学生はおじけづいてしまう、という研究があります)大きな声ではっきり・ゆっくりと話して下さい。あいさつと自己紹介は、ユーモアを交えながら、笑顔で語りかけるのが良いでしょう。」というのを、皆がマニュアル的自覚的に実践するようになったら怖いぞ。
大学の教養課程時代の教師で最も印象に残っているのは、なぜか英語を教えていたアル中の経済学者(故人)だ。学生からは好かれていたが、同僚からは相当嫌われていたと後で知った。 こういう人は、もう出ないのだろう。