2013年 生物学史研究会
- 今回の生物学史研究会は「漁業からみる帝国日本の内と外」というテーマで、シェル・エリクソンさんに報告を、谷本雅之さんにコメントをおこなっていただきます。
- 【日時】8月10日(土) 午後3:00〜6:00
- 場所:東京大学駒場キャンパス14号館3階308号室(※京王井の頭線「駒場東大前」駅下車、渋谷寄り改札を出て正面手前に構内案内板があります。)http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam02_01_13_j.html
- *事前申し込み人数によっては会場が変更となる場合がございます。
- 【発表者・発表題目】
- シェル・エリクソン(Ph.D. Candidate, Princeton University/神戸大学訪問研究員)
「海から海へ―日本帝国内外の貝類と真珠養殖の普及」
- 谷本雅之(東京大学大学院経済学研究科・教授)「エリクソン報告へのコメント」
- 【タイムスケジュール】
- 15:00-15:05 はじめに:発表者の紹介・研究会テーマ説明
- 15:05-15:50 発表:シェル・エリクソン
- 15:50-16:15 コメント:谷本雅之
- 16:15-16:35 休憩
- 16:35-16:45 ディスカッション1:エリクソンによるリプライ
- 16:45-17:45 ディスカッション2:フロアからのコメント・質疑応答
- *研究会終了後、18:00から懇親会を行います。会費は3000円前後を予定しています。
- 【参加申込・問い合わせ】
- 生物学史研究会係 藤本大士(東京大学大学院 修士課程)E-mail: hiro.fujimoto.n@gmail.com
- シェル・エリクソン(Ph.D. Candidate, Princeton University/神戸大学訪問研究員)「海から海へ―日本帝国内外の貝類と真珠養殖の普及」
- [要旨]
貝の中に物質の塊を入れて真珠を形成させるという真珠養殖の方法は、日本の特許技術としてよく知られています。この技術を技術を聞いてすぐに連想されるのは真珠王とも呼ばれた御木本幸吉でしょう。20世紀初期から、彼のライバルは西日本各地にいましたし、「真珠の発明者は誰か」をめぐる論争もおこなわれていました。真珠養殖の方法に取り組んだ人たちの共通する目的は、真珠を稀に発見される物ではなく、予測通りに生産できる物にすることでした。このとき、真珠養殖に使われる貝の役割も変化することになります。すなわち、「採ってからすぐに開くもの」だった貝が、「採ってから計画的に活かせるもの」となったのです。本報告は、日本帝国内外の真珠養殖普及を、貝の役割に注目して検討します。同時に、真珠貝をめぐる調査・移植・保護の活動を、イギリス帝国やフランス帝国における「acclimatisation」の概念と比較しながら考察します。真珠養殖に適切な「母貝」がどこに分布されているのか、その貝類を実際にどうやって供給して保護するのか、そしてある地域に棲息する貝類を別の地域に移植できるのかということは、真珠養殖業者を常に悩ませていた課題でした。以上を通じて、真珠貝を中心に、貝を調査する大学の動物学者、貝を移植させるコレクターと水産試験所の技師、および貝を海中の被害から守ろうとする養殖家たちの間で形成された太平洋ネットワークを描き出したいと思います。
- 【参考文献】
1) Michael A. Osborne, "Acclimatizing the World: A History of the Paradigmatic Colonial Science," Osiris series 2 v. 15 (2000): pp. 135-151.
2) Jim Endersby, Imperial Nature: Joseph Hooker and the Practices of Victorian Science (University of Chicago, 2008).
3) Robert Kohler, Landscapes and Labscapes: Exploring the Lab-Field Border in Biology (University of Chicago, 2002).
4) Daniel P. Todes, Pavlov's Physiology Factory: Experiment, Interpretation, Enterprise (Johns Hopkins, 2002).
5) 丹下孚「真珠養殖業における技術発達の構造(上)」『漁業経済研究』8(4)、1960年。
6) 片岡千賀之『南洋の日本人漁業』同文官、1991年。
7) 久留太郎『真珠の発明者は誰か?――西川藤吉と東大フロジェクト』勁草書房、1987年。
- 今回の生物学史研究会は「近代日本・朝鮮からみる医療宣教の歴史」というテーマで、小田敏花さん、田中智子さんに報告をおこなっていただきます。研究会・懇親会ともに会員・非会員にかかわらずどなたでも参加可能ですので、みなさまふるってご参加ください。
- 【日時】11月23日(土・祝) 午後3:00〜6:00
- 【場所】 早稲田大学早稲田キャンパス 19号館314教室
http://www.waseda.jp/jp/campus/waseda.html
*いつもの研究会と会場が異なりますのでご注意ください!
- 【タイムスケジュール】
- 15:00-15:05 はじめに:発表者の紹介・研究会テーマ説明
- 15:05-15:50 発表1:小田敏花
- 15:50-16:35 発表2:田中智子
- 16:35-16:55 休憩
- 16:55-17:15 ディスカッション1:発表者間でのコメント・リプライ
- 17:15-18:00 ディスカッション2:フロアからのコメント・質疑応答
- *研究会終了後、18:00から懇親会を行います。会費は3000円前後を予定しています。
- 【発表1】
小田敏花(早稲田大学大学院)
「19世紀アメリカニズム派生の「福音宣教の精神」と国境を超えるイデオロギーとしての「社会的福音」との関連――北米プロテスタントの朝鮮医療ミッションを事例として、1885−1910」
内容紹介:
海外宣教といえば一般にどんなイメージを思い浮かべるだろうか。日本人や韓国人であれば、宣教師のたてた地域の名門校や病院のイメージと重ね合わせ、近代化・文明化への貢献、または、慈善と人道主義のため逆境にも負けず福音を現地の人々に伝えようと献身した宣教師たちの活動を好意的にみる、そこまでいかなくとも悪い印象はもっていないというのが一般的であろう。
新世界の普遍的理念を象徴するアメリカで生まれた宣教師たちにとって、アメリカニズムに支えられた揺るぎない彼らの信念が東アジア宣教へと駆り立て、その駆動力となっていったことは否めない。本報告がアメリカニズムになぜ着目するかは、海外宣教がアメリカの膨張主義に伴って創造され、福音宣教の精神とはまさにそこから派生したものであると考えるからである。
また、このテーマを選んだのは、先行研究を踏まえて次のような問題意識をもつようになったからである。それは、伝統文化に対する宣教師の否定的な態度や姿勢を批判的にみる研究はあるとしても、最終的には、社会正義や人道主義といった西洋の価値観の普遍的通用力、政教分離の標榜のため見えづらいアメリカの政治的力学などが大きく作用するため、「伝統v.s.文明」の二元論的議論から発展しない。さらには、韓国の宣教史研究においてはとりわけ、政治批判が日本の植民地主義に集中化することもあり、宣教師の活動を政治的に批判する視点は微々たるものである。福音伝道によって朝鮮の人々を回心させたいという願望を宣教師はもっていたとはいえ、結局は、社会的福音という社会改革を焦点とした活動が大部分を占めていて、これは世界に共通する海外宣教の特徴でもある。この意味で、朝鮮ミッションも政治・社会的次元での「回心」に偏した性格をもっていたといってもいいだろう。医療が歴史的に本報告の関心である宗教と政治との関連が強い領域であることは、医療宣教という社会的福音が宣教本部や宣教師にとって最も成功した事業のうちの一つとかぞえられたことと、なにか関連性があるのではないだろうか。
以上の問題意識を踏まえて本報告では、宣教における社会的福音への集中化という特徴に注目し、社会的福音を神学的教義というよりも政治的イデオロギーとしてみることによって、福音宣教の政治的側面を検証していきたい。朝鮮ミッションは、治外法権の効力により宣教師が比較的自由に活動できたという点でも、福音宣教の精神を検討するのに興味深い事例である。
参考文献:
Mark A Noll, The Scandal of the Evangelical Mind (Eerdmans 1994)
Anthony B Bradley, Liberating Black Theology (Crossway 2010)
The Korea Mission Field Letters, the Presbyterian Historical Society, Philadelphia, U.S.A.
- 【発表2】
田中智子(同志社大学人文科学研究所)
「近代日本における医療伝道と地方行政――アメリカン・ボード宣教師J.C.ベリーの活動を素材に」
内容紹介 :
John Cutting Berry(1847〜1936)は、アメリカ・プロテスタント系宣教団アメリカン・ボード(会衆派)の一員として1872年に来日し、1893年に帰国するまで、主に神戸とその周辺、岡山、京都において活動した医療宣教師である。その約20年は、各府県において、病院や医学校などの近代的医療制度・施設が創り上げられていく時期にあたっていた。それぞれの地域は、ベリーが外国人であること、さらにはキリスト教勢力であることを警戒し注意を払いつつも、彼に近づきその力を求めた。本報告では、医療事業を伝道の有効な方途とするキリスト教勢力と各府県の行政官や地元有力者との間に生じた協同・妥協・決裂の様相を、国レベルでの政策展開との関係も念頭に置きつつ、明らかにしていく。これを通じ、日本の近代化における「医療」の位相について、世界史・比較史的見地から議論していきたい。
参考文献 :
田中智子『近代日本高等教育体制の黎明――交錯する地域と国とキリスト教界』(思文閣出版、2012年)